東京大学大学院 情報理工学系研究科
システム情報学専攻 教授 生田 幸士
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東京は厳冬から一挙に4月の陽気となり、例年より2週間も早く桜が満開。本郷の安田講堂前や駒場野球グラウンドの枝垂れ桜は、濃厚なピンクの花を見せてくれている。今年はソメイヨシノも追いついて、同時に楽しめる状態になっている。筆者のラボがある先端研の敷地内の桜の老木たちも元気である。庇のような桜花もダイナミックで良いが、太い幹の側面に直接咲く花びらにはいつも微笑んでしまう。「私は、あんな桜花集団には混じらないわよ」と自己主張している点が好きである。
マスコミ報道では、花見弁当屋さんやお花見イベント業者が大慌てで、自然相手の仕事は大変である。
一方、桜花の元で卒業式を迎えることができた今年の学生はラッキーである。近年はガウンを着ている学生も散見される。黒いガウン生地に青いラインが入っている。帽子もかぶり、赤門や安田講堂の前でさかんに記念写真を撮っている。ガウン姿には留学生の姿も多い。訪米の真似である。
しかし、「どうして、今だけガウンなの?」と思うのは、筆者だけではないだろう。普段、日本の大学では教授も学生もガウンを着ることはない。欧米では、特別な授業や口頭試験の際などにガウン姿の教員を見ることがある。日本でも私学の場合は、昔から卒業式にガウンを着る伝統があるが、国立大学では見たことがなかった。海外からの留学生が欧米を真似て、ガウンを着たのが始まりなのかと推察するが、少し違和感がある。日本人なら、ガウンより和服ではないのか。女子学生は袴か振袖なのだから。和装で行くなら、やはり紋付袴だと思うが。
前任地の名古屋大学では、動物の全身着ぐるみで卒業式に猛者が毎年いた。学生時代最後の馬鹿をしたいとの気持ちの発露と理解していた。最近制定された名古屋大学の教育モットーは「勇気ある知識人」なので、着ぐるみは教育の成果の現われなのかもしれない。
卒業式のガウンの話を関西在住の友人にメールしたところ、この「名言」をもらった。まさに同感である。読者は、ご存知ないかもしれないが、昨今、国策で海外からの留学生が激増した反面、留学する日本人学生が激減した。10年前には、交換留学生の枠には、常に数倍以上の希望者が殺到し、面接や成績で選出していた。ところが今では、希望倍率は1以下である。手を上げれば行けるのに手を上げない。どうなっているのか?
短期のホームステイや語学留学はそれなりに盛んで、大学生協でも夏休み、春休み中のツアーパンフレットは好調と聞いている。円高も後押ししているはずである。正規の学位取得のための留学を希望しない理由はなんであろう。
2年前、ノーベル賞に輝くMITの日本人教授が駒場キャンパスで特別講義をされた際、この点も強調された。講演後、学生から「先生の時代と違い、今の日本では世界的レベルの指導が受けられ、研究費も十分ある。なぜ海外に留学しないといけないのか?」との質問が出た。その先生は「君ねー、世界にはねー、君が想像もできないすごい人間や場所があるんだよー!それを知るだけでも十分価値があるんだよー!」と大声で返答された。さすがである。さらに具体的な説明もされていたが、最高の質疑応答であった。
たまたま筆者の隣に座っていた面識のない学生が、「本当なのかなー?」とつぶやいたので、小さな声で補足説明をしたら、「そうなんですか。知りませんでした。すごく興味あります。今日の講演、来て良かったです」との優等生の回答であった。
この学生の反応が今の日本の学生なのである。要するに「知らない」のである。昔と違い、今はインターネットなど無駄に多量な情報が溢れている。しかし、みんなが信用し欲しがるのは、図書館的な「置いてある情報」ではなく、話し言葉的な「生の情報」なのである。ツイッターや各種ソーシャルネットが盛んなのも、みんな生の情報を欲しがっているからだと筆者は感じている。
学位留学に関しては、この生の情報が不足していることが、原因の一つである。想像して欲しい、クラスの中で数名の友人が、何か話をしていて、その情報が漏れ聞こえてくれば、みんなは注目する。ある一定数以上の割合で情報が共有、配布されないと集団はその色に染まらない。
中国や韓国などでは、この生の口コミ的なネットワークが強固で、留学の表と裏の情報を共有している。親戚が渡米した、クラスメイトが英国の大学に行ったなど、情報が飛び交えば、優秀で野心的な若者なら動き出すものである。お金は2番手の条件である。ノーベル賞候補にもなった野口英世は、若い頃、知人から借金しまくり評判を落としてまで資金を集めて渡米留学した話は有名である。
水を飲まない馬を泉に連れて行くことは、本来筆者の望む方法ではない。しかし、今はそんなことを言っている状況ではないのである。中国、韓国、シンガポールの大学や政府が最先端科学技術の研究と人材育成に効果的かつ迅速な戦略を打ち出している主要因は、欧米への元留学生や元教授、研究者が帰国して活躍しているからである。もちろん、欧米以上に自己実現ができる資金的、人的環境とビッグチャンスを与えるから、帰国するのである。
今、日本がこの戦略を取ろうとしても、帰国して活躍できる人材は多くはない。もともとの母数が小さいからである。これでは21世紀の日本は生きていけない。
そこで、東大をはじめ、多くの大学人が頑張って予算を確保し、若人を留学させる努力を始めた。筆者の学部でも、博士課程在学者のリーダー教育の一部としてや、若手研究者の海外派遣に努力している。
しかし、大半が月単位の短期なのである。これが問題である。やはり年単位での留学、派遣でないと受け入れ大学も本気になってくれない。さらに、貴重な「苦渋の体験」をする機会もない。所詮「お客さん」なのである。かつて筆者がカリフォリニア大学のロボットセンターの研究員であった際、日本から客員研究員として半年から1年、滞在する大学や企業からの研究者がいた。多忙な米国大学の教授たちは、彼らに机こそ与えても、お客さまとして表面的な交流が大半であることを見てきた。他方、筆者らは研究所の存亡にかかわる予算申請や、厳しい国からのレビュー(審査)などにも携わった。このときに、仲間としての扱いを受け、米国研究者の真の姿を経験することができた。留学も短期では、この経験ができないため、文化を肌で感じることが困難なのである。
最近、米国の大学の研究員からいきなり東大教授に抜擢された方がいる。まだ38歳である。彼は応用物理学の分野であるが経歴が興味深い。某有名私学の2年から米国のコミュニティーカレッジに入り、1年間そこで語学と授業を受け、英語の実力を付けてから、カリフォリニア大学バークレーの編入に成功。卒業後、MITの大学院に進学、博士取得後、西海岸の有名大学で研究者をしていた。そこで世界的な業績を上げたわけである。このルートは無理が少ないルートで非常に賢い。筆者にこのルートは初耳であった。彼は日本で先輩からこのルートを聞き、挑戦したとのこと。「生の情報」を得られたことが彼の英断を後押ししたことは間違いない。
彼のような勇気ある知識人を育成、増産するためには、彼のような留学経験を持つ教員を増やすことが早道である。大学の国際化にも貢献できる。滞在期間が限定されて帰国が約束されている客員ではなく、帰国予定は未定で欧米の飯を食った人材を増やすことである。簡単に言えば、教員採用にも帰国子女枠を作ることである。
お試しの短期留学を本当の学位留学にする方法や、それをサポートする学生ボランティア団体「ステラ」のことなど、他にも話したいことはあるが、また別の機会にし、そろそろ小雨に散る桜を楽しみたい。(3月28日臨時配信号)
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Vol.5 No.3
2013年03月12日号
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