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ホーム > WEBマガジン SHINKAWA Times > コラム > 金子 成彦 > 日本機械学会会長の経験を通じて(その3)日英文化交流活動
掲載日:2013年08月06日

日本機械学会会長の経験を通じて (その3)
日英文化交流活動

東京大学 大学院工学系研究科 機械工学専攻 教授  金子 成彦

 

 

 

 

 

東京大学  大学院工学系研究科
機械工学専攻  教授  金子 成彦
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はじめに

  第2号に少し書きましたが、7月19日にグラスゴーのリバーサイドミュージアムで、「山尾庸三の功績と工部大学校(現在の東京大学工学部)」について講演してきました(注1,2)。

  小生がこのテーマで講演を依頼されたのは、幾つかの理由があります。まず、小生が山口市の生まれで山尾侯と同郷であること、次に、工部大学校の初代都検を務めたヘンリー・ダイアーは蒸気サイクルで有名なランキンの弟子で、小生が担当している東京大学工学部機械エネルギーシステム工学講座の内容に関係があることでした。

長州ファイヴ

ロンドン到着後の長州ファイヴの写真(注3)ロンドン到着後の
長州ファイヴの写真(注3)

今を遡る150年前の1863年、徳川幕府によって海外渡航が禁止されていた時代に長州の5人の若者がロンドンにたどり着きました。この5名は井上聞多(井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(伊藤博文)、野村弥吉(井上勝)で、後に長州五傑または、2006年に製作された映画のタイトルから長州ファイヴと呼ばれるようになります。日本の近代化に貢献された先人を「○○の父」と呼んでその功績を称えていますが、伊藤博文は「内閣の父」、井上馨は「外交の父」、遠藤謹助は「造幣の父」、井上勝は「鉄道の父」、山尾庸三は「工学の父」と呼ばれています。実は、小生の実家と井上馨侯の生家は100m、山尾侯の生家は約20キロの距離にあり、子供のころの遊び場が井上馨侯の生家があった井上公園(ここは幕末の七卿落ち(八月十八日の政変)で京都から追放された三条実美ら7名の公卿が一時滞留した場所でもあり記念碑が建てられています)だったこともあり、司馬遼太郎の歴史小説を読み始める以前から明治の偉人のことには関心を持っていました。 

日本の工学全分野の発展に尽くした山尾庸三

  山尾侯は、1837年10月8日、現在の山口市秋穂二島に生まれ、藩内の私塾で学び、その後、江戸で剣術と航海術を学びます。江戸滞在時に、幕府の亀田丸がロシアに行くことを知り、黒竜江方面に4か月の航海に出ます。この時、船舶修理工場で機械を使用しているのを見て、日本国内での人力による作業との差を痛感し、海外渡航への思いを強めます。
  山尾侯はImperial College of Londonで自然科学を学んだ後、1866年に単身グラスゴーに移り、昼間は、 Napier 造船所の徒弟として、夜は、 Anderson College (今の University of Strathclyde) で2年間工業技術を学びました。当時、徒弟は、apprenticeと呼ばれ、潜在的な能力を持つ大切な人たちという位置付けで社会的な地位は高かったようです。実務経験と基礎知識の両方を備えて1868年に帰国した山尾侯は、明治政府に出仕し、1870年に工部省の設置を、翌年には工学校の開設を建議します。当時の日本には工業の発展に目を向ける人材が乏しく、政府の中では反対の声が上がりますが、山尾侯は「人材を育成すれば、その人が工業をつくって行く」と力説しました。その結果、工学寮が設置され、山尾侯は工学頭に就任し、その後、工部大輔、工部卿を歴任しました。この状況を、今上天皇はEarly cultivators of Science in Japan, SCIENCE, VOL.258, 23 OCTOBER, 1992と題する論文の中で触れておられ、山尾侯の日本の近代化に対する貢献を高く評価しておられます。この論文は世界的に著名な科学雑誌SCIENCEに掲載されているため、広く読まれたものと推察します。
  西洋の科学技術を導入し殖産興業政策を推進する工部省は、民部省の一部が独立して1870年に設置され、1885年に廃止されるまで、近代国家建設のために鉄道敷設、造船、鉱山開拓、製鉄、電信整備、灯台設置などの官営事業を担うことになります。工学寮設置当時工部大輔として外国人教師を採用する職にあった長州ファイヴの一人、伊藤博文侯はグラスゴー大学の著名な教授であるMacquorn Rankineの推薦により工学寮の都検(教頭に相当する職)として25歳のHenry Dyerを日本に招聘します。Henry Dyerも山尾侯と同様にAnderson College で学んだことがあり、この二人のコンビで、土木、機械、造家(建築)、電信、化学、冶金、鉱山の7科、後に造船を加えた8科体制で工部大学校における実務を重視した工学分野の人材育成は力強く推進されることになります。
  1879年に23名の第一回卒業生を送り出して以来、工部大学校からは日本の近代化の礎を築く数多くの技術者が輩出しました。工部大学校の第一回卒業生たちが、1879年に相互の親睦、知識の交換を目的に設置したのが工学会(現在の日本工学会(注4))で、1882年に会長に就任された山尾侯は、1917年に辞任するまで35年の長きにわたり日本の工学全分野の発展のために尽くされます。このような功績により、山尾侯は「工学の父」と呼ばれるようになりました。さらに付け加えると、山尾侯は明治期の美術教育にも貢献されています。1876年に工部美術学校を設立し、この時期にすでに工業デザインの重要性を認識していました。この学校は、現在の東京芸術大学に発展してゆきます。
  山尾侯は、また、聾唖教育・盲教育の推進者としても知られています。1880年に山尾侯によって開校された東京・築地の訓盲院は、日本初の盲教育機関と言われています。この教育機関は、その後、現在の筑波大学附属聴覚特別支援学校につながって行きます。山尾侯が盲教育に熱心だったのは、グラスゴーの造船所時代に、ハンディキャップのある人が健常者に混じって鋲打ちの仕事をしているのを見て、衝撃を受けた経験があったからと言われており、日本でもハンディキャップのある人が教育を受け、健常者以上の能力を備えて社会に参加し貢献できる環境を実現しようとしました。ここにも山尾侯の先見性が見られます。

リバーサイドミュージアム

  小生が講演を行ったリバーサイドミュージアム(注5)は2011年6月1日にオープンした新しい博物館で、グラスゴー市内を流れるカルヴィン川がクライド川に合流する地点に位置しており対岸には造船所を臨むことができる素敵な博物館でした。展示内容は、グラスゴーの繁栄を担ってきた輸送、エンジニアリング、造船に関する歴史的遺産です。この博物館は、展示内容もさることながら建物を見学する人々からも好評を博していて、2013年のヨーロッパベストミュージアムに選ばれています。この大胆な設計は、イギリス在住のイラク生まれの著名な女性建築家ザハ・ハディド(注6)の手によるものです。

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クライド川から見た博物館

なお、東京代々木の新国立競技場の設計者はこの建築家に決まっており、大胆な設計になる予定です。(注7)

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博物館正面玄関にて記念撮影

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正面から見た博物館

  7月19日の小生の講演会には63名の方が出席してくださいました。1時間20分ほどの説明の後に、質疑応答になりましたが、さすがに歴史に詳しい方が多く、小生が知らなかった技術を通じての日英の交流の話には驚きました。特に、スコットランドの橋の設計に貢献した渡邊嘉一の話には感心させられました。(注8)

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講演の様子(その1)

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講演の様子(その2)

  渡邊嘉一は、工部大学校5期生として土木科に学び、1883年に首席で卒業、ただちに工部省に技師として雇われ鉄道局に勤務しました。しかし、翌1884年に職を辞して英国に渡り、グラスゴー大学に入学し、土木工学と理学の学位を取得して1886年4月に卒業します。卒業後は、ファウラー・ベイカー工務所の技師見習い生となり、続いて技師に昇格しています。その後、フォース・ブリッジ鉄道株式会社のフォース鉄道橋建設工事監督係となります。工事監督のかたわら、同橋前後の鉄道線路約20キロの実地測量とその設計主務も担当しています。フォース鉄道橋がまだ建設中であった1887年に、王立科学研究所において、人間模型を使ってこの橋の構造であるカンチレバーの原理が説明されました。椅子に腰掛けた2人が両腕を伸ばし、握った棒を張り出して桁をつくる。両端の支点はブロックの重りで押さえられ、中央径間の吊桁に相当するところに人間の荷重を載せる。これでこの構造に十分耐荷力があることが示されたとのことです。

中央が渡邊嘉一

中央が渡邊嘉一

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フォース鉄道橋

20ポンド紙幣(右上に写真が使われている)20ポンド紙幣(右上に写真が使われている)

王立科学研究所で原理を示す写真が撮られてから120年後、スコットランド銀行が新しい紙幣を発行しました。20ポンド紙幣の図案に選ばれたのは、スコットランドが世界に誇るフォース鉄道橋、そしてフォース鉄道橋を語るときに欠かせない、「Human Bridge」と呼ばれる人間模型の写真でした。

このように、山尾侯が開校に奔走された工部大学校の卒業生の功績はいまでもスコットランドに残っていることを今回の日英交流によって知ることができました。

次の150年に向けて

  今回、同郷の偉人である山尾庸三侯の功績について調査し、改めて明治初期の政策立案担当者のスケールの大きさと視野の広さ、日本への想い、人のつながりの濃密さに感銘を受けました。明治維新からもう150年か、まだ150年かは人によって印象が違うと思いますが、自分自身の教員生活がそろそろ30年になろうとしているとき、その5倍の時間で日本が工学人材育成から始めて工業国になるまでの過程を辿ったことには驚きを感じます。


  先人の熱き想いを駅伝ランナーの襷のごとく次世代につなげて、多面的な視野を持った人材育成に向けて次の150年のグランドデザインを開始したいものです。

プロフィール

金子成彦

1976年 3月、東京大学工学部機械工学科卒業、1981年工学博士

1981年 4月、東京大学工学部講師

1982年 4月、東京大学工学部助教授

1985年 8月、カナダ・マギル大学客員助教授

2003年 1月、東京大学大学院工学系研究科教授

2012年 4月-2013年4月、日本機械学会会長(第90期)

専門分野:  振動音響学,  流体関連振動,  振動制御工学,  分散エネルギー工学

コラムに関するご意見、お問い合わせ:sectimes@shinkawa.co.jp
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