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Column

創造のなぎさに遊ぶ No.2
パリでの日本再考

東京大学大学院 情報理工学系研究科 システム情報工学専攻 教授 生田 幸士

東京大学大学院 情報理工学系研究科
システム情報学専攻 教授 生田 幸士
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厳冬のセーヌ川下り

 今年のパリは昼間でもマイナス5度。歩いているだけで頬が凍りそうである。早朝からの国際会議で世界の最先端研究に触れ、頭は冴えるが夕方には体はお疲れモード。同行の大学院生らとセーヌ川下りの遊覧船に乗った。28年ぶりである。最上階の展望デッキだけで200人は座れそうな大型遊覧船は、パリ中心街をゆっくり下る。ライトアップされたルーブル博物館、シテ島、ノートルダム寺院を過ぎ、途中で上りに転じ、最初の乗船場を行き過ぎ、エッフェル塔の前まで来てまたUターンする。憧れのパリ名所のオンパレードである。船の座席に座ったまま、視界をゆっくり移動する建築物を楽しむことができる。ディズニーランドのライドの発想は遊覧船なのかもしれない。


エッフェル塔夜景キラキラ(写真1) エッフェル塔夜景

 船がちょうどエッフェル塔の正面来た時、異変が起きた。白くライトアップされたエッフェル塔全体が、高輝度ダイオードを持つ蛍の来襲にあったように、きらきら輝き出した。日本の蛍よりずっと早いランダムな点滅である。前夜に観たムーランジュールのダンサーの衣装のスパンコールを思い出し、エッフェル塔がスリムなダンサーに見えてきた。と書きたいが、そこまでセクシーではない。

 聞けば、毎時2分間だけ、エッフェル塔の表面を無数のフラッシュライトが点滅するようにしているとのこと。(写真1) まさに光の時報である。旧知の名所も新しいアイデアと技術で魅力を維持する努力をしているわけである。エッフェル塔も頑張ってます。


日本語はどこに

 ところで、もうひとつ異変に気づいた。それは船上アナウンスに日本語がなくなっていることである。名所ごとにフランス語、英語以外に、中国語、韓国語のアナウンスが流れるが、いつまで待っても日本語アナウンスがない。乗船前にもらったパンフレットは和文版があったのだが。私の記憶では、28年前には日本語アナウンスが流れていた。たまたま乗船者の大半が中国人団体客であったことが原因ではなさそうである。


 そういえば、ホテルのケーブルテレビでも、NHKと画面表示されているチャンネルに電波は来ていなかった。中国語のチャンネルはしっかり流れていた。ルーブル博物館の「スリにご用心」の警告文も、日本語は下から2番目。私の研究室の学生が10万円もする財布を買ったシャンゼリゼのエルメスの店員は、中国人と韓国人になっていた。

 日本人の観光客が激減している証拠である。観光客の数は国の経済の勢いの指標でもある。パリの思わぬ場所で日本経済の衰退を実感することになった。何とかせねば。


今回も乗り越えよう

 不況に加え、震災、原発災害で、海外旅行する元気が出ないのかもしれない。しかし、「不思議な円高」のメリットを最大限生かせるのは今である。まだ世界は日本の円がドルやユーロより安定安心だと思われている証拠である。たとえ誤解でも結構。今回もユーロが100円前後になり、半年前に学会会場のホテル予約した際、高いと感じたが、結局日本並の料金となった。私の研究室の学生が、「これ、一生ものですから」と、かわいい言い訳をしてエルメスの財布を買ったのも、意外と賢明なことかもしれない。


 日本のメーカは過去、急激な円高に知恵を出して乗り越えてきた。工場の海外移転の効果も少なくないが、実は技術者たちの超人的な努力によって達成された技術革新が大きく貢献してきたことは、意外と一般人に深く浸透していない。

 歴史を見れば自明であるが、戦争が科学技術の進歩に大きく寄与してきたことは周知である。目標を明確にし、テーマを絞って短期間に大きな資金で研究開発することで、ブレイクスルーを生み出してきた。日本の技術革新も、この手法で進んできた。ただし、醜い戦争ではなく、経済戦争の中をである。70年代のオイルショック後の高燃費エンジン、省エネ家電など身の回りに溢れている。欧米との違いは、ぎりぎりの「背水の陣的開発」であること。必死の開発であった。それにしても、先輩技術者、研究者たちに感謝に堪えない。


ベテラン力を使え

 今の60歳、70歳の大半は知力・体力では、昭和時代に比べ、10歳は若いと感じるのは私だけではない筈である。戦後栄養状態の飛躍的向上が最大原因であると推察される。昨今、優秀な退職者は、中国、韓国、台湾、シンガポールの企業に再雇用され、活躍されている。最近、中国製の製品の質が飛躍的に向上してきたのは、生産技術など日本が長年の努力で築いてきた技術とノウハウが退職者を通じて技術移転されてきたからである。


 これは、昭和の時代、日本が欧米から多くの技術を導入してきたプロセスに近い。しかし、欧米は技術の肝の部分は安易に海外に出さなかった。この時代から、特許を重視し技術で外貨を稼ぐ国策的戦略に移行したのである。

 今回もオールジャパンで技術者の知恵で乗り切ることができるはずである。自分たちの能力を信じること。企業家は安易に海外に逃げ出さないこと。ジャーナリストには、常に正しい情報を得る努力をし、誠実な情報発信と、日本人の士気を盛り上げる記事、表現で書くことを期待する。


マイクロマシン国際会議

 さて、今回のパリ行きは、観光ではない。マイクロマシン分野で最高レベルとされる国際会議MEMSでの研究発表が目的である。毎年1500件以上の論文が投稿され、その中から口頭発表とポスター発表が選出される。口頭発表は、例年30倍以上の競争率で、ポスター発表でも10倍近い倍率である。世界のトップ研究室でも採択がゼロと、全滅することも珍しくない。


 工学系でここまで厳しい国際会議は極めて稀である。物理や化学などサイエンスの分野では、投稿論文はすべてフリーパスの国際会議が多いことを考えると、異例中の異例である。しかもすべての口頭発表は数百人以上は入れる巨大な会議場で行うシングルセッション方式である。4日にわたり朝8時30分から夕方6時過ぎまで、熱い口頭発表とポスター発表が行われた。


ポスター発表風景
国際会議風景
ポスター発表風景
国際会議風景

根性のプレゼンテーション

 発表者の大半は大学院生である。そのため口頭発表では少々トラブルが発生する。最近の日本人学生は発音も上手くなり、英語発表そのものは何とかこなせる。手ごわいのは、発表後の質疑応答である。ここでわが国の英会話教育の問題が露呈する。音響環境の関係で、ステージに立つと客席からの質問が聴き取りにくい場合も多いが、やはりヒアリングと説明能力が足らない。大学院になれば、場数を踏むしかないが、本来は中学、高校レベルで養っておくべきことである。日本以外の国では、高度な専門的会話は困難でも、日常会話はうまい。


 今回、笑ってしまったのは、発表中、使用中のノートPCの電池が無くなり、突然スクリーンが真っ暗になった台湾の女子学生。研究成果が貧弱にもかかわらず、口頭発表に採択され、苦労した形跡が見える米国学生。彼は15分の発表に耐えるため、多くのCG動画を作成し、さらに質疑応答用スライドを大量に準備してきた。根性のプレゼンである。

 とにかく頑張っている姿が、頼もしい。特に日本からの論文採択数は群を抜いていた。韓国、中国の追撃も厳しいが、まだまだ日本が多い。マイクロマシン、ナノデバイスなど未来の産業の種を作る分野で、日本が優勢に立っていることは、手前味噌とは言え、期待が持てることである。

 この若いエネルギーとベテランの知恵がコラボレーションすれば、セーヌ川下りの遊覧船に日本語アナウンスが戻ってくる日も遠くはない。



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2012年02月14日号

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