東京大学大学院 情報理工学系研究科
システム情報学専攻 教授 生田 幸士
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前回のコラムで紹介した6月1日(土)の東大先端科学技術研究センター公開日の目玉イベント「たまご落とし」は、大声援の観客の中で実施された。広大な駒場リサーチキャンパスだが、通行の邪魔にならず安全に落下実験ができ、さらに多くの観客から見えやすいなどの条件を満たす場所は意外と限られる。また学内での使用許可など多くの制限があった。最終的には落下高度が20mと、本来の30mよりかなり低くなってしまったが、まあそれは由としよう。
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先端研たまご落とし |
コンテストは午前、午後の2回実施した。どちらも、早くから小学生の親子連れや、中学生の集団などが湧き出すように集まり、製作場所に充てた先端研4号館2階の大講堂は、熱気ムンムン、歓声ガヤガヤ。急遽、廊下から大型ファンを回したり、生田研究室と竹内研究室の学生、スタッフは大奮闘してくれた。若さはありがたいものである。
結局、150以上の作品が。あっと言う間にできあがった。製作時間は1時間程度なので、ボンドが乾かず接着不十分の作品もあったが、とにかく落下実験に突入。
作品が落下するごとに、自然と大歓声が上がる。これでなきゃ。本郷での実施時は、結果も惨憺たるものであったが、静かなもの。熱気の差はやる気の差と痛感。
結局、成功率は10%を超えた。大半が小中学生。先端研の教員も果敢に挑戦してくれたが、結果は残念であった。
成功者全員に「成功の秘訣」をインタビューしたが、みんな照れながらも嬉しそうに話してくれた。構造や糊付け方法、落下速度を遅くするための工夫など、長年このコンテストをお世話している筆者には特に目新しくも無いコメントが多いと感じていた矢先、すごいのが出てきた。
この成功作品は、たまごが糊付けされておらず、箱の中でころころ動く。さらに外から見える隙間があいていた。普通なら割れてしまうと予測される。それが大成功。小学3年の製作者に聞いてみた。
「あれっ、これって中のたまごが見えてるけど、よく成功したね。どんな工夫したの?」
「僕はねー。たまごに『ぜったいに割れないぞ!』って書いたから」
「えっ!?・・・・・」
注意深く箱の中のたまごを見ると、確かに鉛筆で小さい文字が書いてある。小学生の字である。20年以上のたまご落としコンテストで、鳥かごのような中が見える構造も初めてだが、中のたまごに決意を書いたものは無かった。彼は、「執念」を持って考え、製作したのである。
今回、東大生からは10名以上の参加者がいたが4年が1名、修士課程の院生が1名成功した。大半は割れたのだが、彼らも、このちびっ子成功者には驚愕であった。
午後の試行では、成功者の一人の女性が、「私もたまごに『絶対に割れないぞ』と4回書きました」と応えた。
夕方、研究室の院生、スタッフらとたまご落としの片づけをしながら、今日の楽しいイベントを思い起こしていた。
今回、割れた作品も含め、多くの工夫点が見られた。東大生の作品群よりも、創意工夫の点で明らかに優れている。確かに親子作品も多いのだが、それは東大生も同じ。たった1時間程度でよくできている。東大や名古屋大では学生に1週間の製作時間を与えてきた。製作時間の短さは大きなハンディになる。さらに今回、ボンドの乾き具合も、十分ではなかった。それでも、10%以上の成功率である。
成功の秘密は、参加者の「執念」にまで至る「熱意」だと感じた。やったことも無いことへのチャレンジ精神の高さである。
筆者は3月、博多での学会出張の折、大宰府天満宮に参拝した際、手のひらサイズの瓢箪をもらった。10cm程度の白い短冊も付いており、巫女さんから、「短冊に願い事を書いて、瓢箪の中に入れて下さい。1年間、部屋の壁に掛けて置いて、来年また
お持ち下さい」と言われた。
大宰府の宮内には何百もの瓢箪が吊るされた掲示板のようなものがある。以前から何だろうと思っていたが、意味を納得した。
「能動的な願いを書く」ことは、自分への誓いでもある。迷ったときや、気持ちが折れそうになったときに、自分の初心を思い起こすわけである。心理学でも説明できるかもしれないが、素人心理学者の筆者にも、理解できる。
東大のオープンキャンパスで初めて実施したたまご落としで、今の日本や若者に足らないものを、小学生が教えてくれた。
本郷三丁目から東大病院に行く道に和菓子店「壺屋」がある。寛永年間から続く本物の老舗で、つぼ最中が有名だが、店内には勝海舟直筆の額がある。「神逸気旺」(かみいつにしてきさかん)と読める。物事は神頼みしないで自分の気力で成し遂げろとの意味だと聞いた。
たまごに書かれた文章は、「神様、たまごが割れませんように」ではなく、「絶対に割れないぞ!」であった。勝海舟の「神逸気旺」なのである。誰かに教わったわけでもないであろう小学生が、この精神でチャンレンジしていたのである。
筆者が中国、台湾、韓国などに学会出張した際、現地の学生やお店で働く若者と話すことがある。彼らの前向きで熱い志を知り、眼が潤むことがある。そこには東京オリンピック前の日本が見える気がする。今の日本にも、まだハングリーで執念深い子供たちがたくさん存在する。記憶能力に高く依存する日本の入試に適合した学生より、このタイプの子達を育てることが、現代の東大や高等教育機関の最大の使命なのではないだろうか。
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No.1 | 小さな機械で大きな夢を |
No.2 | パリでの日本再考 |
No.3 | たまごが割れたら、ブレイクスルー! |
No.4 | 女王陛下の手術ロボット |
No.5 | キャンパス夏事情 |
No.6 | 馬鹿になってノーベル賞 |
No.7 | 桜の下で馬鹿になれ |
No.8 | 作って落として感動しよう |
Vol.5 No.9
2013年09月03日号
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