東京大学 名誉教授

田中 正人

神戸市出身
1971年3月 東京大学大学院博士...もっと見る
神戸市出身
1971年3月 東京大学大学院博士課程修了
1971年4月 東京大学専任講師、助教授を経て1984年から教授
2004年3月 東京大学定年退官、東京大学名誉教授
2004年4月から2007年3月 独立行政法人 大学評価・学位授与機構 教授
2007年4月から2011年3月 富山県立大学 学長
専門はすべり軸受のトライボロジー、回転機械の振動、学位の質保証

趣味は読書、テニス、ドライブ

半世紀以上前、高校生のときに選択した日本史の科目について、未だに引きずる想い出がある。

受験勉強の想い出

もともと攘夷を主張して開国派の徳川幕府を倒した薩長中心の明治政府は、外国人を日本から追い出す行動に出て当然のはずなのに、あろうことか鹿鳴館を舞台に日本の欧化を顕示して外国人に迎合しようとしたのは一体どうしてなのだろうか。講義を聴きながら、また教科書を読みながら、こんな考えを抱いた記憶がある。しかし、質問をすることができないうちに、教師は次のテーマに移ってしまった。

世界史でも同様で、ローマ帝国滅亡につながる「ゲルマン民族大移動」の話が出て来る。この時も、そもそも大移動はいったいこの時期になぜ起きたのか、と考えたが、講義でも教科書でも説明はなかった。今から思えば、人口増で不足し始めた食料を確保しようとして他民族の住む地域の農地を我が物にしようとしたことが大移動の本質的動機であったかもしれず、当時の気候変動も地域的な食料生産に重大な影響を与えたのかもしれない。

しかし、「受験勉強」はこういう関連事項の疑問を押さえつけないと先へ進まない。かくしていつのまにか、考えないことに慣れた生徒ができてしまう。

Think と Do Not Think

現在は中国の企業が製造、販売する「ThinkPad」という名称のPCを開発したのは、アメリカの超巨大 IT 企業である。

伝説の社長ワトソンのモットーは「Think」であり、同社の技術者に「Think」することを強く求めた。コンピュータの基本ソフトである OS、人間が容易に理解できる高級プログラミング言語、高速アクセスが可能な補助記憶装置のハードディスクドライブ、データの高速処理を可能にする RISC プロセッサなど、それまでこの世に存在しなかったコンピュータシステムを構成する基盤、基幹技術を着想して実体化し、世に送り出すことができたのは、同社の技術者がまさに考え抜いた結果であり、そのコンピュータアーキテクチャは事実上の世界標準となって他者の追随を永らく許さず、トップランナーとしての利益も半端ではなかったはずである。

一方、私が大学を卒業したのは今から 50 年前、東京オリンピックの翌年 1965 年(昭和 40 年)であり、当時の日本メーカーの多くは欧米の先進企業と技術導入契約を結び、教えてもらった技術に基づいて機器、プラントを製造していた。その代償として、製造した製品の販路については、技術導入先企業から厳しい地理的制約を課された契約を結ばされていたこともよく知られている。

当時、学部を卒業してメーカーに就職した同期生が話してくれたことによると、インチで表示された図面の寸法をミリに、1平方インチのポンドで表示された圧力を1平方センチあたりの kgf に、また華氏表示の温度を摂氏に、それぞれ換算して表示するという単純な仕事が大半であり、導入する技術を「Think」することではなかったようである。むしろ「Do Not Think」、何も疑わずに正確なデッドコピーを製造することに専念させられたと云ってよい。

しかし、この「Do Not Think」をいつまでも続けていると、思いもよらぬ陥穽にはまることがある。配電盤の地下設置は技術導入元のアメリカでは常識であるからと言われて、「Do Not Think」で疑うことなく、日本においてもそのまま採用し続けた帰結が、2011 年 3 月 11 日直後の炉心溶融と膨大な放出放射能による汚染事故であり、さらに国土喪失、一家離散、地域共同体の崩壊という大きな犠牲を多数の国民に強いることになった。その計り知れないほど重大な責任は、何事も「Do Not Think」で漫然と済ませて来た技術者、それで良しとしてきたマネジメントにあることは明白であり、教訓として歴史に長く記憶されることは間違いない。

一方、私の卒業前年、1964年に東京・新大阪間の営業運転を開始した東海道新幹線は、先のコンピュータシステムと同様に、「Think」の積み上げがもたらした技術の勝利である。高速鉄道という構想そのものは以前から日本に存在していたが、数々の技術課題を一つ一つ「Think」して合理的な設計解を導出し、途中いくつもあった分かれ道でその都度正しい選択肢を選ぶ作業を積み上げた結果、複雑ではあるが実用的な巨大システムを現実のものとすることに成功した。

こうして達成された東海道新幹線の順調な営業運転の成功は、鉄道という交通機関は勢いを増す一方の自動車交通にいずれ呑み込まれて、将来は消えゆく運命にあるという当時のグローバル「常識」を、誰の目にも明らかな事実でもって粉砕し、その後世界各国で続々と整備が始まった高速鉄道網の嚆矢となった。それ以来、50年の間に路線が延長され、また列車本数が増えたにも関わらず、日本の新幹線が今日まで乗客、乗員から鉄道事故による死傷者をひとりも出すことなく安全で快適な移動手段を提供し続けているのは、世界に誇り得る実績である。これは当時の技術者が、今までにない高速で走行する列車の安全性を担保するために、どのような技術的仕組みを実装する必要があるかを考え抜いた結果であると言ってよい。

「Think」の力は、技術の現場においてこのように多くの有益で偉大な成果を産み出すことができる。一方、「Do Not Think」は対照的に、多くの失望と悲劇を産み出すことになり、その責めを負うのは「Think」を怠った技術者自身であることを自覚せねばならない。

I Do Not Think

メーカーの技術者、研究者を束ねる要職の方々が最近共通して抱える憂慮の種は、若手技術者の「I Do Not Think」状況にあるようだ。若い部下が提示してきた設計解やシミュレーション結果が一見して少し変だと感じた第一印象をぶつけると、マニュアル通りにやりました(変だとすればそれはマニュアルのせいで私の責任ではありません)、あるいは、コンピュータで計算した結果です(コンピュータが間違えるなんて有り得ないでしょう)、と言うらしい(もちろん、括弧内は口に出して言うわけではない)。つまり、マニュアルにせよコンピュータプログラムにせよ、指示されたとおりの数値や条件をインプットして手順通りに得られた結果は正しいと信じるべきものであって、そういう結果を再検討してみろとは一体どういうことなのか、と心底思っているらしい。

従来の設計条件の範囲内で数値を多少変更して行うルーチン的設計の場合は、結果が従来実績の範囲内に納まればそれでよしとして済ませられるかもしれない。しかし、想定した適用範囲限界近く、あるいは範囲外の性能達成を狙うチャレンジングな設計に取り組む場合は、結果が従来実績の直線外挿上にあればそれでよしとするのでは、かなり問題がある。マニュアルやコンピュータプログラムは、それが作成されたときのさまざまな「常識」のもとで出来上がっていることが多く、おのずと制約条件、適用限界が存在しているので、その制約を外し、限界を超えた領域に適用した場合の結果を鵜呑みにするのは危険きわまりない。

しかし、そういう作成当時の周辺環境、背景、歴史について十分な説明が盛り込まれたマニュアルが作成されることはほとんどなく、若手技術者が説明を受ける時も、最小限の使い方だけにとどまることが多いであろう。であれば、肝心の周辺情報を知らされないまま、言われたとおりにして出した結果が少しおかしいのでよく考えろと言われても、若手技術者にとっては理不尽な卓袱台返しとしか思えない。

このような「I Do Not Think」症候群を産む素地は、先の日本史や世界史の講義について述べた筆者の経験のように、元々は教育の現場にある。時間的、空間的に発展、統合されて来た知識の体系から、個々の知識ひとつひとつを切り離して教え込み、憶えさせ、さらに、正解の予め判っている定型的な問題を解かせることで知識の応用能力を身につけさせたとしているのが、日本で現在行われている「教育」である。教科書も、中核となる知識を互いの関連を深く説明することなく、ただ羅列しているだけで、深みがない。高い時間効率で知識の断片を詰め込んだ引き出しから、当てはまりそうな知識を記憶に頼って素早く取り出して適用すればよいとするのであれば、当然の帰結として「I Do Not Think」予備軍しか生まれないことになる。そのようにして育てられた人財は、即戦力として一時は重宝されるが、現実の世界で、より広い視点、異なる視点から問題を眺めることを求められたり、正解の無い問題に取り組む必要が出て来ると、日ならずして無効戦力と化し、沈没してしまう恐れが大である。考える人財か、沈没する人財か、社会が必要とするのがどちらかは、明白である。

How だけでなく必ず Why も

このようなスタイルの教育は、お手本通りしていればよかった技術導入時代の日本ではそれなりに役に立ったものの、今までにない新技術の創出、イノベーションを強く求めるようになった現代社会の要請には、到底応えることのできない時代遅れのものである。

個々の知識からその由来、歴史を削ぎ落とすのをやめて、なぜそのような知識なのかを他の知識と結びつけて説明する教育に転換することが是非とも必要であるが、教育の現場にも「Do Not Think」症候群が広がっていて、パラダイムシフトはなかなか容易ではない。

企業の現場でマニュアルを作る側に立って考えると、How を盛り込むのは当然としても、Why まで一々書き込むのは正直面倒である。そのため、そんなものは記載せずとも暗黙知で判るはずだ、あるいは、技術の真髄に迫る Why は記載しないほうがよい、という口実で手抜きのマニュアルが出来てしまう。こうなると、マニュアルに記載されている「How」の部分の技術伝承は比較的容易であるが、「Why」の伝承は年月とともに着実に減衰し、いずれ知識の抜け殻と化したマニュアルになって、「Do Not Think」症状の蔓延を引き起こすと言える。

逆に、「Why」の説明を付与した個々の知識をネットワーク構造に適切に配置すれば、相互関係がわからないばらばらな知識の集まりに取って代わって、強力で深みのある知的ツールができる。このようなツールを用いれば、考える人財を育てることができるようになり、考えることの大切さが世代を超えて継承されることが期待される。

マニュアル作りで手を抜くと、あとで大きなしっぺ返しが来る。技術伝承には長い目で見た細やかな心遣いが必要である。