2020/08/04 業界コラム 中村 昌允 コロナ後の世界 東京工業大学 特任教授 中村 昌允 1968年 東京大学工学部工業化学科を卒業し、ライオン油脂株...もっと見る 1968年 東京大学工学部工業化学科を卒業し、ライオン油脂株式会社(現ライオン株式会社)に入社し、洗剤の製造プロセスの開発研究に従事し、無リン洗剤や小型化洗剤を開発・工業化した。また、パーム油から天然カロテンを抽出する技術を開発・工業化した。 1991年 新規界面活性剤(MES)の製造プロセスを工業化したが、稼働開始3ヶ月後に爆発事故が起き、2名の方が亡くなられた。事故はメタノール蒸留塔の運転停止過程で有機過酸化物が高濃度に濃縮したことによって起きた。自らの技術力のなさと安全知識のなさを痛感し、以後、多くの事故における技術者の判断と行動、並びに事故の根本原因とその是正策について研究してきた。 2005年 東京農工大学大学院技術経営研究科技術リスクマネジメント専攻教授 2008年 東京工業大学客員教授を兼務 2016年 東京工業大学 環境・社会理工学院イノベーション科学系技術経営専門職学位課程 特任教授 主な資格 博士(工学)、技術士(化学部門)、労働安全コンサルタント(化学部門) 主な著書 ・事故から学ぶ技術者倫理 工業調査会(2005年) ・技術者倫理とリスクマネジメント オーム社(2012年) ・製造現場の事故を防ぐ安全工学の考え方と実践 オーム社(2013年) 新型コロナ(COVID-19)問題(コロナ騒ぎ)に対する世界各国の対応を見て、日本と欧米との考え方の違いを感じる。この「コロナ騒ぎ」が、コロナ後の日本社会にどのような影響を与えるかについて考えてみたい。 コロナ問題を考える三つのポイント日本モデル 一つ目は、感染拡大防止のために、日本は国民の良識に基づく「自粛要請」で対応したが、欧米は罰則やロックダウンを含む「法的強制力」による厳しい措置で対応した。日本の対応は諸外国から「生ぬるい、統制力が弱い」と批判されたが、多くの日本人は罰則がないにも拘わらず、「3密の回避」を守り、コロナ騒ぎを封じ込めつつある。同様な行動は東日本大震災時にも見られた。人々は電力供給制限に耐え、物品供給にはきちんと列を作って順番を待ち、社会混乱を起さなかった。これは日本社会の持つ集団主義に基づく「日本モデル」として評価できる。 日本の「集団主義」について、社会心理学者である山岸俊男氏は、「日本社会で人々が自己の利益を犠牲にするような行動をとるのは、人々が自分の利益よりも集団の利益を優先する心の性質を持っているからというよりも、人々が集団の利益に反するような行動を妨げるような社会のしくみ、特に、相互監視と相互規制のしくみが機能しているからだ。日本人はお互いを信頼しているわけではないが、集団と違う行動をすれば、その集団では生きていけなくなる。いわゆる「村八分」の考え方が慣習として残っているので、規制がなくとも自粛する」と指摘している。(※1) 今回のコロナ騒動をみていると、年功序列制度や終身雇用制度が揺らいでいることもあって、日本は集団主義的な『安心社会』の解体に直面していると感じる。多くの人は「自分が自粛すれば、他の人も同じように自粛する」と信じて耐えたが、その枠に縛られない行動をする人も出てきた。背景には、ネットやスマホに代表される情報通信の普及により、人々の関わり合う世界が格段に拡がって、従来からの社会構造が急速に変化していることがある。 日本社会は、これまでは罰則なしでも秩序が維持できてきたが、「集団主義に基づく日本モデルが、今後も維持できるのか?」が問われている。「コロナ騒ぎ」は、日本社会が強制力を持った「法規制」を社会構造の中に取り入れていく契機になると感じる。 リスクマネジメントの問題 二つ目は、リスクマネジメントの問題である。 日本政府は、医療従事者、病床、医薬品等の医療体制が十分でないことを考慮して、PCR検査を希望者ではなく重傷者を対象に実施し、初期の医療崩壊を防ぐ方針を採った。社会には「3密の回避」を要請し、クラスターを中心に感染者を追跡した。「COVID-19」に対する有効な治療法がなく、今後、どれだけの規模で拡大するかが見通せない以上、図1に示すように患者数の初期ピークを抑制して、後ろへずらすことによって時間を稼ぎ、医療提供のキャパシティを増強するという方針で臨んだ。 一方、欧米は感染実態の把握を優先してPCR検査を実施し、医療体制を超える感染者数の発生によって、初期段階で医療崩壊に陥った。 図1 「COVID-19」対策のゴール (※2) 表1は人口100万人あたりの死亡者数の比較であるが、欧米諸国の死亡者数は日本よりはるかに多いことが分かる。医療体制が整っていたドイツでさえ、日本の約15倍の死亡者発生率である。 表1 新型コロナウイルス感染状況(2020年6月30日現在) 死亡者数(人) 100万人あたりの死亡者数(人) 日本 974 7.7 ドイツ 8,976 108.4 イギリス 43,659 658.8 フランス 29,813 460.3 イタリア 34,744 574.5 スペイン 28,346 606.6 ベルギー 9,732 884.7 アメリカ 126,141 385.6 中国 4,634 3.3 韓国 282 5.5 この規模の死亡者が発生すれば、日本では大きな政治問題になるだろうが、欧米ではそんな動きは出ていない。この背景には、欧米は危機発生時には政府が強いリーダーシップを発揮することに対する社会からのコンセンサスがある様に感じる。一方、日本社会は第二次世界大戦の反省から、政府が強い権力とリーダーシップを発揮することに対する社会からの警戒感がある。 もう一つの要因として、日本社会は「ゼロリスク」を志向するが、欧米は「ALARPの原則(合理的に実行可能な限りリスクを小さくする)」に則った考え方が浸透しており、最終段階では「トリアージ(患者の重症度に基づいて治療の優先度を決定して選別)」もあり得るという考えでいたように感じる。 類似の事例として、福島第一原発事故後、国際放射線防護委員会(ICRP)から、緊急時の基準として放射線濃度20~100mSV/年が提案された。日本学術会議は会長談話「放射線防護の対策を正しく理解するために」(※3)を発表し、緊急事態の対応は「基準の設定によって防止できる被害と、他方でそのことによって生じる他の不利益 (大量の集団避難による不利益とその過程で生じる心身の健康被害等)の両者を勘案して、リスクの総和が最も小さくなるように最適化した防護の基準を採用する」ことを提言したが、日本政府は放射線濃度の平常時の基準である1mSV/年を採用し、その結果、多くの人が避難を余儀なくされた。 日本社会の安全の考え方は「ゼロリスク」志向であるが、国際社会の安全認識とは少しずれている。「ISO/IECガイド51」では「許容されないリスクのないこと」を安全と定義している。コロナ騒ぎの収束後、日本社会の安全に対する考え方が、欧米社会のコロナ騒ぎへの対応を参考に、「ゼロリスク」ではなく、「どこまでのリスクを許容するか」の観点で見直されていくものと考える。最近の感染者数の増加に対して、メディアは「どこまでを許容するか」の論調に変化してきた。 出口戦略の違い 三つ目は、出口戦略の違いである。 コロナ騒ぎが発生した時から、「人命と経済活動とのバランスをどう考えるか」、すなわち「どこまで感染状態を抑制すれば、社会活動を再開していくか」という出口戦略が大きな課題であった。 日本の場合 2月27日 安倍首相は「子供達を守る」ことを前面に出して、小中高校の一斉休校をいち早く決断したが、専門家会議の意見を聞かないで決断したというメディアを中心とする批判があった。しかし、一斉休校をするかどうかを決断するのは、政治家の責任であり本来の姿である。 5月4日 安倍首相の会見があり、新型コロナウイルス対策の基本的対処方針が示され、緊急事態宣言が1ヶ月延長された。安倍首相の断腸の思いが語られたが、どのように解除していくかの具体的プランは示されなかった。そして、あたかも専門家会議が政策を決定しているかのような印象を社会に与えた。 5月25日 緊急事態宣言が全国一斉に解除された。東京など首都圏の1都3県と北海道でも31日までの期限を待たずに解除した。一定の移行期間を設け、外出の自粛や 施設の使用制限要請等を緩和しつつ、段階的に社会経済の活動レベルを引き上げていくこととなっていたが、経済活動の再開に前のめりの感が強かった。 一方、欧米諸国は、感染者発生数がピークを過ぎた時点から、規制状態を段階的に解除し経済活動を再開するプランを発表した。 欧米諸国の場合 4月15日 欧州理事会は出口戦略に向けてのロードマップを公表した。制限措置の緩和時期に関して、 ①疫学的基準 ②医療体制のキャパシティ ③感染者の検査追跡体制の整備を含むウィルスの拡散状況の適正な監視 三つの観点を上げ、各国が自国の状況を踏まえて判断する。 5月4日 ニューヨーク州のクオモ知事は経済活動を再開する7つの判断基準(入院患者数、死者発生数、新規入院患者数、病床の空き状態、ICUベッドの空き状態、PCR検査能力、追跡要員の確保)を具体的な数値目標として示した。 コロナが収束後、この出口戦略の違いがどのような影響を与えたかの検証と共に、政府が政策を分かりやすく説明するためにはどうすれば良いかというリスクコミュニケーションの課題になる。 専門家の役割 今回のコロナ対策では、専門家会議の尾身副座長をはじめとして主要なメンバーがメディアに登場し、世の中が直面している感染拡大の危機に対して、「人と人との接触の8割減」、「3密の回避」、「クラスター対策」などを真摯な態度で訴え続けた。多くの日本人は専門家の説明を受け入れて、「3密」を守って行動を自粛し、「マスク」と「手洗い」を励行した結果、なんとか感染者数が一定の水準以下に収まっているのが実情である。 この様な状況下で、6月24日、政府が専門家会議の廃止を発表したため、多くの国民は違和感を持った。国民のために、一生懸命に尽力している専門家に対して失礼であるとの声が拡がり、政府は釈明せざるを得なくなった。 問われていることは、専門家と政府との役割分担である。 政府は政策決定が専門家会議の判断に基づくかのように説明したが、専門家が能力を発揮できるのは、「客観的データを基に、現在の感染状況と今後の予測、感染のメカニズムの解明とその防止対策、どのような状態になれば解除できるか」等の科学的解釈と根拠の提言である。 政治家は、専門家からの提言を受けて、人と社会の行動をどうするかを総合的に判断し、最終的に決断するのが役割である。 信頼されるリーダー 今回のコロナ騒ぎでは、専門家会議の尾身副座長をはじめ多くの専門家の説明には説得力があった。それは真摯でありかつ誠実な態度によるものと考える。 リスクコミュニケーションの基本は、相手の顔の見えることである。説明内容が分からなかったとしても、テレビで映し出される専門家の顔を見て親しみを感じ、説明する態度をみて、この人は信頼できると思ったのではないか。一方、政府側の説明には誠実さが感じられなかったのではないか。 全米技術者倫理綱領の前文で謳われているように、信頼を得ることの前提は、『正直さ』と『誠実さ』である。リーダーは「正直」には筋が通った「誠実さ」が必要で、行動が首尾一貫している状態が求められる。 リーダーシップ論の権威であるクーゼスとポズナーは、「嘘をつかれたり騙されたりすることは誰だっていやだ。リーダーには本当のことを話して欲しいと願っており、『正直さ』が最も重要な要素とされている」と指摘している。(※4) 表2は称賛されるリーダーの特質についての調査結果で、「信頼されるリーダーに求められる特質」とは何かを考えさせてくれる。 日本がアメリカなど他国との比較で「正直である」ことの評価が低いことが気になる。日本社会には集団主義が根付いているため多様な価値観が認められず、一つの価値観に固執するのではなく「臨機応変に対応すべき」という考えが根付いているからかもしれない。 表2 称賛されるリーダーの特質と文化の関係 (※4) コロナ後の世界 今回のコロナ騒ぎで、人々は、在宅勤務、テレワーク、テレビ会議などの新しい勤務形態を余儀なくされ、今までとは全く違う日常を経験した。その意味では、新しい視点に立って、これまで当然と思っていた行動や考え方を見直す機会にもなった。 これまでは「技術進歩=社会の進歩」と考えてきたが、コロナ騒ぎは「人々が社会生活を営む上で、何が必須のことで、どんな科学技術が本当に必要なのか」を考えさせた。地球規模のエネルギー問題、食料問題、温暖化等が科学技術の主要な課題であることを再認識させた。併せて、これからも新たな感染症などの未知な危害が襲ってくる可能性がある。日本社会は今後の医療体制の構築を図っていく必要がある。 企業活動も新たな商品開発の在り方を見直す機会になる。クリステンセンは“イノベーションのジレンマ”として「従来技術の延長線上で、製品機能を少しずつ改良していく持続的イノベーションは、いつかは消費者の求める要求基準を超えるため、基本機能を安く提供できる製品に置き換わっていく破壊的イノベーションが起きる」と述べている。(※5)破壊的イノベーションは、従来の価値基準の下では従来製品より性能が低いけれども、新しい価値基準では優れた特徴を持つ技術による変革のことで、その事例には、固定電話から携帯電話への転換、オフィスコンピューターからパソコンさらにスマホへの転換、光学カメラからデジタルカメラへの転換などがある。 製造物責任(Product Liability)との関係で考えれば、「どこまでのリスクならば許容できるか」を考える契機になることを期待する。 利用者がどこまでも安全を求めることは、最終的にはそのコストを利用者が負担することを覚悟する必要がある。例えば、コロナ騒ぎで、色々なマスクが出回ったが、人々は多少の不自由さがあっても我慢して使いこなした。このことは、安全な製品を作る責任は第一義的には製造事業者にあるが、利用する側にも製品をうまく使う責任があることを示している。 「コロナ騒ぎ」が、製造業者と利用者との新しい協調関係を生み出す切っ掛けになればと感じる。コロナ騒ぎの経験を、今後にどのように活かしていくかが問われている。 (※1) 山岸俊男:「安心社会から信頼社会へ」中央公論新社(1999年) (※2) 2020.04.04 新型コロナ対策緊急対談「今、日本は新型コロナにどう対応すべきか」尾身茂氏×山中伸弥氏 https://globis.jp/article/7533 (※3) 平成23年6月17日 日本学術会議会長談話「放射線防護の対策を正しく理解するために」 (※4) ジェームズ・クーゼス、バリー・ポズナ-(著)金井壽宏(監訳):「リーダーシップ・チャレンジ」海と月社、(2010年) (※5) クレイトン・クリステンセン(著)玉田俊平太(訳):「イノベーションのジレンマ」、翔泳社(2001年) この記事に関するお問い合わせはこちら 問い合わせする 東京工業大学 特任教授 中村 昌允さんのその他の記事 2021/02/04 業界コラム これからの安全と技術者の責任 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Glaser杉田 美保子田畑 和文タック 川本竹内 三保子瀧本 孝治田中 正人内海 政春上島 敬人山田 明山田 一米山 猛吉田 健司結城 宏信 2024年10月2024年9月2024年8月2024年7月2024年6月2024年5月2024年4月2024年3月2024年2月2024年1月2023年12月2023年11月2023年10月2023年9月2023年8月2023年7月2023年6月2023年5月2023年4月2023年3月2023年2月2023年1月2022年12月2022年11月2022年10月2022年9月2022年8月2022年7月2022年6月2022年5月2022年4月2022年3月2022年2月2022年1月2021年12月2021年11月2021年10月2021年9月2021年8月2021年7月2021年6月2021年5月2021年4月2021年3月2021年2月2021年1月2020年12月2020年11月2020年10月2020年9月2020年8月2020年7月2020年6月2020年5月2020年4月2020年3月2020年2月2020年1月2019年12月2019年11月2019年10月2019年9月2019年8月2019年7月2019年6月2019年5月2019年4月2019年3月2019年2月2019年1月2018年12月2018年11月2018年10月2018年9月2018年8月2018年7月2018年6月2018年5月2018年4月2018年3月2018年2月2018年1月2017年12月2017年11月2017年10月2017年9月2017年8月2017年7月2017年6月2017年5月2017年4月2017年3月2017年2月2017年1月2016年12月2016年11月2016年10月2016年9月2016年8月2016年7月2016年6月2016年5月2016年4月2016年3月2016年2月2016年1月2015年12月2015年11月2015年10月2015年9月2015年8月2015年7月2015年6月2015年5月2015年4月2015年3月2015年2月2015年1月2014年12月2014年11月2014年10月2014年9月2014年8月2014年7月2014年6月2014年5月2014年4月2014年3月2014年2月2014年1月2013年12月2013年11月2013年10月2013年9月2013年8月2013年7月2013年6月2013年5月2013年4月2013年3月2013年2月2013年1月2012年12月2012年11月2012年10月2012年9月2012年8月2012年7月2012年6月2012年5月2012年4月2012年3月2012年2月2012年1月2011年12月2011年11月2011年10月2011年9月2011年8月2011年7月2011年6月2011年5月2011年4月2011年3月2011年2月2011年1月2010年12月2010年11月2010年10月2010年9月2010年8月2010年7月2010年6月2010年5月2010年4月2010年3月2010年2月2010年1月2009年12月