広島工業大学 情報学部  教授

濱﨑 利彦

1984年 東芝総合研究所VLSI研究所を経て、 1991年...もっと見る 1984年 東芝総合研究所VLSI研究所を経て、 1991年より2001年Burr Brown Inc. (本社アリゾナ州)及び2001年より2010年Texas Instruments Inc.(本社テキサス州)の日本法人において、開発本部長、テクノロジーセンター長を歴任。 2004年にTexas Instruments Fellow Award受章。
2010年より鶴学園 広島工業大学情報学部教授、IoT技術研究センター長(2018年設置)としてグローバルな視点から「地元ものづくり」を担うエンジニアの教育と指導に取り組む。
博士(工学)、メイドイン広島IoT協議会顧問、 IEEEシニア会員、電子情報通信学会シニア会員、Audio Engineering Society会員

DXのインパクト、それはビジネスモデルを変革することだと言われる。過去1990年代初頭は潜航していたデジタル技術が、後半以降インターネットの普及により徐々に様々なビジネスシーンで目に見えるようになった。テクノロジーの変化は既存商品の価値を次々に破壊し「イノベーションのジレンマ」注*)となってビジネスオペレーションの難易度も指数関数的に増していっている。

サイロ化しがちな組織機能の融合

私が研究業務から開発業務に文字通り転職するきっかけとなったのは、「モノづくりは新商品開発がすべてである」というシンプルな格言を、このコラムのようにある経済誌で見たことである。しかし、新商品群の開発を手がけるとのことで勇んで’91年に移籍した企業にも問題はあった。一世を風靡した回路トポロジーによる商品群(後にIEEEのMilestoneに認定された)も、高速デジタル信号処理技術を搭載した新規ライバル商品の台頭で劣勢に立たされつつあった。まさにイノベーションのジレンマである。
 そこで担当することになったプロジェクトは、それを上回る機能を集積したMixed Signalシステムチップを性能は維持したまま、むしろある仕様では大幅アップし、しかもプロセステクノロジノードを進化させて破壊的な価格、すなわち世界最小で作り出すというものであった。マーケット主導型開発にあこがれて転職した私としてはそのまま受け入れざるを得なかった。

プロジェクト開始当初は、難易度が相当高いとは予想しつつ設計部隊の一案件としてデジタル信号処理とアナログ信号処理回路をどのように組み合わせるかといったトポロジー設計から始まった。その後の数々の常識破りのアーキテクチャとマクロセル及びアナログ回路の設計を経て(尋常ではない時間を過ごしたが、このことは機会があったらお話しする)、完成した製品はギリギリのタイミングで大口カスタマーへの採用となった。

 先に述べたようにマーケティングから提示された要求すべてを達成したことによって、この製品はトポロジーをまったく変えず、その後’90年代を代表する2種類のマルチメディアシステム商品となった(同じプロセステクノロジノードのまま、わずかなデジタル機能改変のみで、市場投入から7年という長寿命)。性能と圧倒的な価格競争力の成果である。これにより個人的には「真のDesign-Win」の意味を理解し、この思いはそれに続く商品ポートフォリオ拡大の最大の武器になった。

 ここで、さらにお話したいことはこの製品の技術内容ではなく組織のことである。この製品開発によって、その後の開発組織は設計部門のみならず、製品製造技術部門、品質管理部門、そして業務部門の人員再編にも影響していった。その最大の要因がMixed Signal製品であったことと考えている。そして、その技術的な鍵となるのはテスト工程である。

 製品仕様において機能のみならずダイナミックレンジあるいはクロック速度などアナログ性能で定義する半導体集積回路、その性能保証のためには一般的にテストコストがアップする。また、そのポテンシャル性能を一段と引き出すためには、追加のテスト工程が組み込まれる場合もあり、さらにコストアップにつながる。アナログテストにコストがかかることは必然であるからこそ、設計部隊には後工程に対する理解が当然求められ、同時に前工程のパフォーマンスを使い切る能力が求められる。そしてそのコスト削減はそれら工程の統計データを駆使したデジタル的な手法のビルトインが価値ある解決策となる。

 この結果、製品ポートフォリオの拡充もあり、設計以外の部隊に求められる能力も自ずと変化し全部門を融合した総開発体制の形成により、ずば抜けて高い生産性を生み出すことになった。その融合過程では、生産のみならずマーケティングも含めて新製品開発オペレーションを一変させたERP (Enterprise Resource Planning)システムの導入があったことは特筆すべきである。’90年代半ばを過ぎた頃にトップダウンでERPが導入され、すべてのオペレーションデータがガラス張りになり、全部門においてコーポレート戦略にそった動きが求められるようになっていた。

 今思い返せば、これが私個人にとってもDXの始まりである。

注*)イノベーションのジレンマ: クレイトン・クリステンセンが、1997年に出版した書のタイトル。先行企業が新興企業のイノベーションに対して力を失う理由を説明した企業経営の理論。