2022/08/09 業界コラム 濱﨑 利彦 Mixed SignalとDX ( 2 ) 広島工業大学 情報学部 教授 濱﨑 利彦 1984年 東芝総合研究所VLSI研究所を経て、 1991年...もっと見る 1984年 東芝総合研究所VLSI研究所を経て、 1991年より2001年Burr Brown Inc. (本社アリゾナ州)及び2001年より2010年Texas Instruments Inc.(本社テキサス州)の日本法人において、開発本部長、テクノロジーセンター長を歴任。 2004年にTexas Instruments Fellow Award受章。 2010年より鶴学園 広島工業大学情報学部教授、IoT技術研究センター長(2018年設置)としてグローバルな視点から「地元ものづくり」を担うエンジニアの教育と指導に取り組む。 博士(工学)、メイドイン広島IoT協議会顧問、 IEEEシニア会員、電子情報通信学会シニア会員、Audio Engineering Society会員 DXのインパクト、それはビジネスモデルを変革することだと言われる。過去1990年代初頭は潜航していたデジタル技術が、後半以降インターネットの普及により徐々に様々なビジネスシーンで目に見えるようになった。テクノロジーの変化は既存商品の価値を次々に破壊し「イノベーションのジレンマ」注*)となってビジネスオペレーションの難易度も指数関数的に増していっている。 サイロ化しがちな組織機能の融合 私が研究業務から開発業務に文字通り転職するきっかけとなったのは、「モノづくりは新商品開発がすべてである」というシンプルな格言を、このコラムのようにある経済誌で見たことである。しかし、新商品群の開発を手がけるとのことで勇んで’91年に移籍した企業にも問題はあった。一世を風靡した回路トポロジーによる商品群(後にIEEEのMilestoneに認定された)も、高速デジタル信号処理技術を搭載した新規ライバル商品の台頭で劣勢に立たされつつあった。まさにイノベーションのジレンマである。 そこで担当することになったプロジェクトは、それを上回る機能を集積したMixed Signalシステムチップを性能は維持したまま、むしろある仕様では大幅アップし、しかもプロセステクノロジノードを進化させて破壊的な価格、すなわち世界最小で作り出すというものであった。マーケット主導型開発にあこがれて転職した私としてはそのまま受け入れざるを得なかった。 プロジェクト開始当初は、難易度が相当高いとは予想しつつ設計部隊の一案件としてデジタル信号処理とアナログ信号処理回路をどのように組み合わせるかといったトポロジー設計から始まった。その後の数々の常識破りのアーキテクチャとマクロセル及びアナログ回路の設計を経て(尋常ではない時間を過ごしたが、このことは機会があったらお話しする)、完成した製品はギリギリのタイミングで大口カスタマーへの採用となった。 先に述べたようにマーケティングから提示された要求すべてを達成したことによって、この製品はトポロジーをまったく変えず、その後’90年代を代表する2種類のマルチメディアシステム商品となった(同じプロセステクノロジノードのまま、わずかなデジタル機能改変のみで、市場投入から7年という長寿命)。性能と圧倒的な価格競争力の成果である。これにより個人的には「真のDesign-Win」の意味を理解し、この思いはそれに続く商品ポートフォリオ拡大の最大の武器になった。 ここで、さらにお話したいことはこの製品の技術内容ではなく組織のことである。この製品開発によって、その後の開発組織は設計部門のみならず、製品製造技術部門、品質管理部門、そして業務部門の人員再編にも影響していった。その最大の要因がMixed Signal製品であったことと考えている。そして、その技術的な鍵となるのはテスト工程である。 製品仕様において機能のみならずダイナミックレンジあるいはクロック速度などアナログ性能で定義する半導体集積回路、その性能保証のためには一般的にテストコストがアップする。また、そのポテンシャル性能を一段と引き出すためには、追加のテスト工程が組み込まれる場合もあり、さらにコストアップにつながる。アナログテストにコストがかかることは必然であるからこそ、設計部隊には後工程に対する理解が当然求められ、同時に前工程のパフォーマンスを使い切る能力が求められる。そしてそのコスト削減はそれら工程の統計データを駆使したデジタル的な手法のビルトインが価値ある解決策となる。 この結果、製品ポートフォリオの拡充もあり、設計以外の部隊に求められる能力も自ずと変化し全部門を融合した総開発体制の形成により、ずば抜けて高い生産性を生み出すことになった。その融合過程では、生産のみならずマーケティングも含めて新製品開発オペレーションを一変させたERP (Enterprise Resource Planning)システムの導入があったことは特筆すべきである。’90年代半ばを過ぎた頃にトップダウンでERPが導入され、すべてのオペレーションデータがガラス張りになり、全部門においてコーポレート戦略にそった動きが求められるようになっていた。 今思い返せば、これが私個人にとってもDXの始まりである。 注*)イノベーションのジレンマ: クレイトン・クリステンセンが、1997年に出版した書のタイトル。先行企業が新興企業のイノベーションに対して力を失う理由を説明した企業経営の理論。 この記事に関するお問い合わせはこちら 問い合わせする 広島工業大学 情報学部 教授 濱﨑 利彦さんのその他の記事 2022/08/09 業界コラム Mixed SignalとDX ( 2 ) 2022/06/14 業界コラム Mixed SignalとDX ( 1 ) 足立 正二安藤 真安藤 繁青木 徹藤嶋 正彦古川 怜後藤 一宏濱﨑 利彦早川 美由紀堀田 智哉生田 幸士大西 公平䕃山 晶久神吉 博金子 成彦川﨑 和寛北原 美麗小林 正生久保田 信熊谷 卓牧 昌次郎万代 栄一郎増本 健松下 修己松浦 謙一郎光藤 昭男水野 勉森本 吉春長井 昭二中村 昌允西田 麻美西村 昌浩小畑 きいち小川 貴弘岡田 圭一岡本 浩和大西 徹弥大佐古 伊知郎斉藤 好晴坂井 孝博櫻井 栄男島本 治白井 泰史園井 健二宋 欣光Steven D. Glaser杉田 美保子田畑 和文タック 川本竹内 三保子瀧本 孝治田中 正人内海 政春上島 敬人山田 明山田 一米山 猛吉田 健司結城 宏信 2025年5月2025年4月2025年3月2025年2月2025年1月2024年12月2024年11月2024年10月2024年9月2024年8月2024年7月2024年6月2024年5月2024年4月2024年3月2024年2月2024年1月2023年12月2023年11月2023年10月2023年9月2023年8月2023年7月2023年6月2023年5月2023年4月2023年3月2023年2月2023年1月2022年12月2022年11月2022年10月2022年9月2022年8月2022年7月2022年6月2022年5月2022年4月2022年3月2022年2月2022年1月2021年12月2021年11月2021年10月2021年9月2021年8月2021年7月2021年6月2021年5月2021年4月2021年3月2021年2月2021年1月2020年12月2020年11月2020年10月2020年9月2020年8月2020年7月2020年6月2020年5月2020年4月2020年3月2020年2月2020年1月2019年12月2019年11月2019年10月2019年9月2019年8月2019年7月2019年6月2019年5月2019年4月2019年3月2019年2月2019年1月2018年12月2018年11月2018年10月2018年9月2018年8月2018年7月2018年6月2018年5月2018年4月2018年3月2018年2月2018年1月2017年12月2017年11月2017年10月2017年9月2017年8月2017年7月2017年6月2017年5月2017年4月2017年3月2017年2月2017年1月2016年12月2016年11月2016年10月2016年9月2016年8月2016年7月2016年6月2016年5月2016年4月2016年3月2016年2月2016年1月2015年12月2015年11月2015年10月2015年9月2015年8月2015年7月2015年6月2015年5月2015年4月2015年3月2015年2月2015年1月2014年12月2014年11月2014年10月2014年9月2014年8月2014年7月2014年6月2014年5月2014年4月2014年3月2014年2月2014年1月2013年12月2013年11月2013年10月2013年9月2013年8月2013年7月2013年6月2013年5月2013年4月2013年3月2013年2月2013年1月2012年12月2012年11月2012年10月2012年9月2012年8月2012年7月2012年6月2012年5月2012年4月2012年3月2012年2月2012年1月2011年12月2011年11月2011年10月2011年9月2011年8月2011年7月2011年6月2011年5月2011年4月2011年3月2011年2月2011年1月2010年12月2010年11月2010年10月2010年9月2010年8月2010年7月2010年6月2010年5月2010年4月2010年3月2010年2月2010年1月2009年12月