2020/05/12 業界コラム 後藤 一宏 ピアノのお話し ~ピアノの歴史1~ 元スタインウェイ・ジャパン株式会社 代表取締役社長 後藤 一宏 1961年東京生まれ。 1984年慶応義塾大学...もっと見る 1961年東京生まれ。 1984年慶応義塾大学法学部法律学科卒業、株式会社服部セイコー(現セイコーホールディングス)入社。 2008年1月、Steinway & Sons 100% 出資の日本法人、スタインウェイ・ジャパン株式会社 代表取締役社長就任。 2019年2月、代表取締役社長退任、顧問に就任。6月 スタインウェイ・ジャパン株式会社 顧問退任。 1977年よりファゴットを始め、これまでに竹田雄彦氏などに師事し、高校・大学を通じてオーケストラ活動に没頭。学生時代には、ザルツブルク祝祭大劇場、NHKホール、東京文化会館などでも演奏し、NHK「音楽の広場」では番組にも出演した。 特筆すべきは、1983年12月4日 東京文化会館大ホールにて故山田一雄指揮で、ベートーベンの交響曲第九番を 上皇陛下(当時皇太子殿下)ご夫妻のご臨席のもと演奏したこと。 その後、転勤、子育てなどでオーケストラ活動は中断したが、ファゴットのレッスンは継続し、2002年には約13年ぶりにオーケストラに復帰。それまでの海外駐在経験とオーケストラ活動が認められ、ヘッドハンティングにてスタインウェイへ転職した。 その後も、演奏活動は精力的に続けていて、これまでに、故山田一雄、尾高忠明、黒岩英臣、松尾葉子、小泉和裕、大山平一郎、山田和樹など錚々たる指揮者のもとでの演奏経験がある。 コラム執筆にあたって 高校一年の時にファゴットを始め、学生時代は音楽漬けの毎日でした。その成果として、欧州演奏旅行にて1982年にはザルツブルク祝祭大劇場へ出演を果たし、1983年12月4日には東京文化会館大ホールにて、故山田一雄の指揮でベートーベンの交響曲第九番を上皇陛下ご夫妻(当時皇太子殿下ご夫妻)のご臨席のもとで演奏しました。 1984年に慶応義塾大学法学部法律学科卒業し、株式会社服部セイコー(現セイコーホールディングス)入社。アマチュア音楽家としての活躍を見込まれて、ヘッドハンティングにて2008年1月1日よりスタインウェイアンドサンズの日本法人の代表を2019年2月まで務めました。スタインウェイは現代のピアノのお手本となったピアノメーカーで、現在でも世界中のステージ上のシェアは常に90%を超えています。 ところで、みなさまはピアノという楽器をご存じだと思いますが、どういう仕組みで音が出ているのかご存じでしょうか?ピアノという楽器を中心に楽器と音楽について4回シリーズでお話しをお届けいたします。 ピアノの歴史 1 (古典派まで)アップライトピアノ アップライトピアノの上の蓋を開けてみると、鉄のフレームに金属の弦がたくさん張ってあって、一列に並んだハンマーが見えます。鍵盤を押すと、ハンマーが動いて弦を叩きます。つまり鍵盤楽器であり、また打弦楽器でもあります。打弦楽器には他にダルシマーや楊琴などがありますが、これらは手に持ったバチで弦を叩くので鍵盤楽器ではありません。 現代のピアノは音域が広く、88鍵あるので、7オクターブと半音が4つ分になります。一番低い音はコントラバスより低い音、コントラファゴットの最低音です。一番高い音は、中央のドから4オクターブ上のドまで出ます。これはピッコロの最高音です。 ピアノは、オーケストラのあらゆる楽器の音域を一つの楽器でほぼカバーするほどの大変広い音域をもっています。また、両手の十本の指を同時に使うと、同時に10種類の音が出ます。これらのことにより、ピアノは「楽器の王様」と呼ばれます。 鍵盤と大譜表 ピアノという名前は、略称で正式には「ピアノフォルテ」といいます。「小さい音も大きな音も出せる楽器」という意味です。それは、「ピアノ」誕生の前のピアノの「ご先祖様」に対して、この楽器は「音量のコントロールが自在」であることを示しています。ピアノを「多数の弦を伴った鍵盤楽器」であると定義すると、クラヴィコードとチェンバロ(ハープシコード)という二種類の「ご先祖様」がいます。 クラヴィコードは、鍵盤を押すと連動したハンマーが動き、ハンマーに取り付けられた金属片が弦を突き上げて音を出します。音の強弱を多少コントロールできましたが、絶対的な音量が小さくて家庭用の楽器として使われました。 チェンバロ1(宮地楽器小金井店 久保田彰 製作 54鍵) チェンバロ2(宮地楽器小金井店 久保田彰 製作 54鍵) チェンバロは、垂直に立てた棒に取り付けた「爪」(昔は本当に鳥のツメ)が弦を撥ねることによって音を出します。クラヴィコードより大きな音は出ましたが、音量の変化をつけることが難しい楽器です。音量の強弱をつけるために、一台のチェンバロに二組の楽器を組み込み、変化をつけられるようにしましたが、音量の変化は強か弱の二種類だけでした。 ピアノフォルテ (ライプツィッヒ楽器博物館 クリストフォーリ1726年製 49鍵) さてピアノの登場です。フィレンツェのメディチ家のもとで活躍したクリストフォーリ(Bartolomeo Cristofori di Francesco 1655 – 1731)という鍵盤楽器製造者が、1700年頃ピアノ(ピアノもフォルテも演奏できるチェンバロ)を発明しました。奇しくもバイオリン製作で有名な、アントニオ・ストラディバリ(1644? – 1737)と同時代の人です。クリストフォーリの発明は多岐に及び、そのほとんどが現代のピアノへと受け継がれていますが、大事な発明は、打弦機構(アクション)とハンマーに絞られます。 ピアノフォルテ アクション(ミュンヘン楽器博物館 クリストフォーリ1726年製のレプリカ) 弦をハンマーで叩く場合、一度弦を叩いたハンマーヘッドがそのまま弦にくっ付いたままだと、出した音を消してしまいます。そのため、ハンマーヘッドは弦を叩くと瞬時に弦から離れなければなりません。また、鍵盤とハンマーの間に複雑なレバーを組み込んで、指先のタッチに応じた音量のコントロールができるようにしました。更に弦を叩いたハンマーは次の打弦に備えて元の位置に戻らなければなりません。これらを可能にする打弦機構(アクション)をクリストフォーリは発明しました。現代の打弦機構はもう少し複雑ですが、基本的な働きは同じです。 また、指先のタッチによる打弦スピードの変化によって音量の変化ができるようにするために、金属片でもなく、鳥の爪でもないハンマーヘッドを作りました。ハンマーヘッドを紙で作り、打弦面に革を張りました。ハンマーヘッドに柔らかい素材を使うことで、弱音はソフトに強音も音が破裂することなく豊かな響きになりました。(現代のピアノは木製のハンマーヘッドをフェルトで包んでいます。)フェルトクリストフォーリが発明した最初のピアノは、4オクターブ49鍵でしたので現代のピアノに比べ、音域は半分程度でありました。それでも最強音は、チェンバロに敵わなかったと言われています。 18世紀を通じでピアノは、ロンドン、パリ、ドレスデン、ウィーンでそれぞれ独自に進化していきました。主なポイントは音の強弱のメリハリとそのし易さ、素早い演奏のし易さなどでした。音域は1オクターブほど広がり、5オクターブ60鍵程度になりました。 5オクターブの音域もどの音からどの音までという範囲がまちまちだったのですが、18世紀終盤のモーツアルトの時代ではおよそ最高音がファ(鍵盤番号69)まででした。それが或るきっかけで半音高いファ#が追加されました。アウエルンハンマー(Johan Michael Auernhammer) という富豪が娘のために特別なピアノを作らせたことによります。富豪の娘というのが、ヨーゼファ・アウエルンハンマーというとても才能のあるピアニストでした。彼女はモーツアルトがその才能を高く評価する弟子のひとりでした。さて、アウエルンハンマー(父)が娘のために作らせたピアノは普通のピアノより半音高いファ#が出せたのですが、当時その音を使う曲はありませんでした。そこでモーツアルトはアウエルンハンマー家で行われる演奏会用に最高音ファ#を使う、2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K448 を作曲しました。初演はもちろん、モーツアルト本人と、アウエルンハンマーが演奏しました。 アウエルンハンマーのピアノが作られたのが1781年ですが、この頃から音楽が少しずつ「変化」していきます。またそれにともなって楽器も「進化」していきます。それまでの音楽は、特権階級(聖職者、領主、貴族)のものでした。演奏会場も教会、宮殿、貴族の屋敷でした。しかし工業の生産性が向上し、新しい「市民階級」(ブルジョワ)が台頭してきました。それと時を同じくして、音楽専門のコンサートホールや歌劇場が建てられ、一般市民も入場料を払えば音楽を聴くことができるようになってきました。大きな会場で、多くの聴衆を集めて演奏される音楽は、大きな空間に音を満たすためにより豊かな音量と広い音域が求められるようになりました。このころからサブスクリプションコンサート(定期演奏会と訳されることが多いのですが、厳密には「予約演奏会」)が始まり、名実ともに市民が音楽の担い手となっていきました。1789年のフランス革命は、音楽にとっても必然であったかもしれません。ピアノがこのあとどのように「進化」していくのか、詳しくは次回に。 写真・画像協力:スタインウェイ・ジャパン、宮地楽器小金井店 この記事に関するお問い合わせはこちら 問い合わせする 元スタインウェイ・ジャパン株式会社 代表取締役社長 後藤 一宏さんのその他の記事 2020/08/04 業界コラム ピアノのお話し ~ピアノの音と音楽2~ 2020/07/07 業界コラム ピアノのお話し ~ピアノの音と音楽~ 2020/06/02 業界コラム ピアノのお話し~ピアノの歴史2~ 2020/05/12 業界コラム ピアノのお話し ~ピアノの歴史1~ 足立 正二安藤 真安藤 繁青木 徹藤嶋 正彦古川 怜後藤 一宏濱﨑 利彦早川 美由紀堀田 智哉生田 幸士大西 公平䕃山 晶久神吉 博金子 成彦川﨑 和寛北原 美麗小林 正生久保田 信熊谷 卓牧 昌次郎万代 栄一郎増本 健松下 修己松浦 謙一郎光藤 昭男水野 勉森本 吉春長井 昭二中村 昌允西田 麻美西村 昌浩小畑 きいち小川 貴弘岡田 圭一岡本 浩和大西 徹弥大佐古 伊知郎斉藤 好晴坂井 孝博櫻井 栄男島本 治白井 泰史園井 健二宋 欣光Steven D. Glaser杉田 美保子田畑 和文タック 川本竹内 三保子瀧本 孝治田中 正人内海 政春上島 敬人山田 明山田 一米山 猛吉田 健司結城 宏信 2025年3月2025年2月2025年1月2024年12月2024年11月2024年10月2024年9月2024年8月2024年7月2024年6月2024年5月2024年4月2024年3月2024年2月2024年1月2023年12月2023年11月2023年10月2023年9月2023年8月2023年7月2023年6月2023年5月2023年4月2023年3月2023年2月2023年1月2022年12月2022年11月2022年10月2022年9月2022年8月2022年7月2022年6月2022年5月2022年4月2022年3月2022年2月2022年1月2021年12月2021年11月2021年10月2021年9月2021年8月2021年7月2021年6月2021年5月2021年4月2021年3月2021年2月2021年1月2020年12月2020年11月2020年10月2020年9月2020年8月2020年7月2020年6月2020年5月2020年4月2020年3月2020年2月2020年1月2019年12月2019年11月2019年10月2019年9月2019年8月2019年7月2019年6月2019年5月2019年4月2019年3月2019年2月2019年1月2018年12月2018年11月2018年10月2018年9月2018年8月2018年7月2018年6月2018年5月2018年4月2018年3月2018年2月2018年1月2017年12月2017年11月2017年10月2017年9月2017年8月2017年7月2017年6月2017年5月2017年4月2017年3月2017年2月2017年1月2016年12月2016年11月2016年10月2016年9月2016年8月2016年7月2016年6月2016年5月2016年4月2016年3月2016年2月2016年1月2015年12月2015年11月2015年10月2015年9月2015年8月2015年7月2015年6月2015年5月2015年4月2015年3月2015年2月2015年1月2014年12月2014年11月2014年10月2014年9月2014年8月2014年7月2014年6月2014年5月2014年4月2014年3月2014年2月2014年1月2013年12月2013年11月2013年10月2013年9月2013年8月2013年7月2013年6月2013年5月2013年4月2013年3月2013年2月2013年1月2012年12月2012年11月2012年10月2012年9月2012年8月2012年7月2012年6月2012年5月2012年4月2012年3月2012年2月2012年1月2011年12月2011年11月2011年10月2011年9月2011年8月2011年7月2011年6月2011年5月2011年4月2011年3月2011年2月2011年1月2010年12月2010年11月2010年10月2010年9月2010年8月2010年7月2010年6月2010年5月2010年4月2010年3月2010年2月2010年1月2009年12月