社会リサーチ・サイエンスト、日本専門家活動協会理事 青山学院大学社会情報学部元客員教授

小畑 きいち

学歴:青山学院大学で経営学を学ぶ、東京電機大学大学院で都市工...もっと見る 学歴:青山学院大学で経営学を学ぶ、東京電機大学大学院で都市工学を学ぶ、
東京大学大学院で技術管理・MOT を学ぶ

職歴:米国系メーカーで、ソフト製品開発、コンサルタント、マーケティング、国際協働チームマネジメント、
カストマー・サポート統括、産学連携マネジメントを歴任

教育歴:工学院大学、浦和大学、東京大学先端研、早稲田大学(早稲田総研)、青山学院大学、東京電機大学などで非常勤、常勤、特任、客員など講師、研究員、教授などで従事

担当分野:システム工学、E-ビジネス、プロジェクトマネジメント、技術経営、社会情報、ユーザ・リサーチ、AI、空間計画(街づくり)、都市交通、都市社会、起業論など

増田報告は、人口減少による地方社会の収縮・消滅の状況進行に警鐘を鳴らした。人口減少と少子高齢化は、近年、浮上してきた事象でなく、20-30 年前に予測されたことであるが、政府などは、施策を先送りし現在に至る。バブル経済崩壊以降、経済低迷を回復するために経済政策に重心を移し、必要とされた社会構造変革の施策をおろそかにした。日本は「少子高齢化社会で世界における課題先進国」となっている。

このように変化する社会構造変化を悲観的に見るか、新たな社会変革の契機とするか、われわれに課せられている。政府ばかりをたのみにせず、地方自治体、地域住民、民間組織・企業などは停滞を打破し、自から思考し、行動し、創意創造を進めることが必要とされている。

( 3 ) 市場社会から創造社会へ

高度成長期には、日本は「ものづくり」先進国として世界に雄飛し海外市場の旺盛な需要に対応するために製造業はコスト面で有利な地方へ工場等を地方へ移転または設置を促進した。結果として工場誘致に成功した地域は産業振興が促進され就業機会の増加にも恵まれた。

しかしその後、生産の海外移転、産業のサービス化などで、地方圏は、大人口を前提とした大都市圏市場のような需要のある業種が創生しえないため、就業選択が少なくなり、多くの若者が大都市圏に流出し人口減を加速させた。

このような状況変化に対して、旧来型の就業でなく、地域において持続可能で「くらし」と「しごと」を共生させる新たな発想の就業を模索するような地域モデルが必要とされる。

現在の日本社会には、次のような変化が起きている。

  • 少子高齢化による人口動態傾向は市場経済に変化を起こしている
  • コスト競争力の低下による産業空洞化が進んでいる
  • 観光・移住など訪日外国人の増加している。

以上の要素をふまえて、参考として、地域・地方での人口減と産業空洞化により先行している西欧について見る。

世界において工業化で雄飛した西欧において、地域産業空洞化と人口減により衰退に見舞われた地方都市の再生事例についての成功ケースをレビューする。

( 3-1 ) 英国  バーミンガム市

基幹産業であった製造業が衰退し、地域経済が崩壊し、かって栄えた地方工業都市が、観光や科学技術振興で脱工業化し、創造都市として再生した例のひとつがバーミンガム市である。

英国で、蒸気機関を発明したジェームズ・ワットなどが活躍した産業革命発祥都市のひとつイングランドのバーミンガムは、第二次世界大戦後に徐々に衰退し、さらにグローバル化により製造業はコスト安の後進国へと生産移転が進み都市荒廃が進んだ。1990 年代に入り、都市再生が計画され、ビジネス・雇用創出の機会を観光開発に求めその核として「ビジネス・ツーリズム」計画を掲げた。

先ずは、都市空間整備に取り掛かり、「人が通り過ぎる街」から「人が交流し滞留居住する街」とするために、歩行者中心の総合的空間デザイン案を構想した。そのためにクルマ優先の幹線道路の撤去を含む大胆な都市空間と景観の大改造を実施。快適な歩行空間のための街路の拡大や公共空間を改良する都市回遊空間の構築を進めた。商業・業務地を核とするいわゆるシティセンターの再生と「コミュニティ再生」についても力を入れて取り組んだ。その一環として、観光的都市景観として、以前、水運で賑わったキャナル運河周辺を水辺景観空間へと再生させた。

ランドマークとして市中心部に、ショッピングセンター「ブルリング」、シンフォニーホールを併殺した国際会議場など文化施設とイベント・公演などによる集客施設の構築にも力を入れた。

シティセンター再生創生に際して、集客施設の周りには小売店舗、ホテル、レストラン、カフェ、オフィス等などオープンし、訪問者・イベント交流など来街集客を促進し、ビジネス交流の増進に成功した。

この結果による雇用創出効果によって失業率の低減に成功した。バーミンガム市はシティセンターを歩いて楽しめる大きな集客装置として再開発し、来訪者への利便性の拡大を実現し、観光開発、都市再生、ビジネス起業を融合させ「歩いて楽しめる空間」という都市として再興された。

このバーミンガム市の経験は、「ビジネス・ツーリズム」都市としての空間のあり方、そしてまた人が集まるビジネス環境と居住環境の向上によって人々の流入増加を果たし、持続可能な都市のあり方を考える上で多くの示唆を提供した。

( 3-2 ) ドイツ  エッセン市

ライン河の支流ルール川流域、ケルンなどを含むノルトライン・ヴェストファーレン州に属したルール地方のエッセン市はクルップ財閥の本拠地として、重工業地帯の核として発展した。かつてはドイツの発展を支えた大工業地帯の一翼を担った。しかし、1970 年以降は石油などによるエネルギー転換で石炭需要減少と安い外国製品の流入などで工場の外国移転などで地域製造業が衰退し、失業者があふれ、人口流出などが続き、都市中心部が荒廃し、工場、住宅などの廃墟が目立った。

このような状況に州政府などは産学連携などによる新産業の振興を目指し都市再生・地域再生計画として「エムシャー・ランドシャフトパーク構想」など都市再生プログラムが提案された。「鉄鋼と炭鉱の街」から「商業と学術探求の街」への転換脱却を目指した。そのような趣旨に沿い、芸術活動においては、「ルール・トリエンナーレ」開催、スポーツ活動ではワールドカップドイツ大会などルール地方への誘致し、魅力あふれた再生地域として人々に訴えた。そして新産業の誕生にも力を入れた。

集客装置としてかって繁栄した生産拠点跡への産業遺産ツアー、跡地施設などリノベーションによって構築された文化施設の観光資源化、「ツォルフェライン炭鉱業遺産」は産業歴史学習の場として産業ガイトツーリズム、また旧施設跡などリノベーションし、デザイン学校や上質なレストラン、コンサートやイベントなど文化活動の場としての利活用、さらに市内のクルップ財閥邸宅跡、クルップ社によるアルバイター・ジードルンク(労働市民のための集合住宅)やアールト劇場などを見どころとした建築物見学などの観光コースなどを提供し地域観光の柱のひとつとして PR 推進した。

ルール地方の他都市ドルトムントやデュイスブルクなどと連携して回遊ツーリズムも提供し、人々が参集し、起業、快適な住居境提供で、人々の流入促進と起業促進により持続的な都市再生を継続している。またルール地域連合の本部はエッセン市に置かれて、中心地としての地位を得ている。

( 3-3 ) フランス  ナント市

フランス大西洋岸・ブルターニュ半島南東部に位置しロワール川河畔のナント市は、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏の中心都市で、歴史的にはアンリ 4 世によりナントの勅令が出された都市として有名である。

古くからの貿易港として発展し、造船業を基幹とした工業都市として栄えたが、発展途上であった日本などとの競争に負け工業が衰退し、工場の閉鎖が相次ぎ、地域経済が疲弊した。1989 年に登場したジャン・マルク・エロー市長は、文化・芸術による市の振興策を掲げた。先ずは、ブルターニュ大公城や サン・ピエール・サン・ポール大聖堂、歴史的商店街「パッサージュ・ポムレイ」、ナント美術館、ジュール・ヴェルヌ博物館など歴史文化遺産を蘇らせ観光客誘致策定、次に内外のアーティストの交流振興のために市内の荒廃した工場跡地や古くからある有名建築物・施設を活かして多くのアーティストの招致と景観修景により文化、産業、自然の豊かさによる見どころに対して回遊環境の整備を行った。また現代アートを街中に多く取り入れパブリックアートも多くし、巨大な動物たちが動く新しいアトラクション「レ・マシーン・ド・ リル」など、新奇な取り組みにも力を入れて楽しい街を目指した。そのして、「ナントへの旅」としてディスティネーション・タイトルとしてブランド化し、「現代アートの町」としてイベントや展覧会を集中的に開催し、ホテル、レストラン、交通機関とも連携した大きな経済再生を果たした。現在、フランス国内で、住みたいまち上位にランクされるようになり、見事都市再生を果たした。

以上の例から、地域再生のための主項目を次にように表せる。

  • 地域におけるビジョン企画、構想性による提案力
  • 地域計画提案に対する実施協働運営能力と自主創造性を持ったリーダー
  • 地域リソースの現状解析とマーケティング力
  • ブランド化と認知度アップの向上と外部への発信力
  • ビジネス・ツーリズム手法による人々の流入・交流の促進活動

もちろん、国情、地域規模、人材集積、地域リソース、地域産業構造、協働運営組織などいろいろな条件による地域差があるが、上記の 5 項目が地域再生に求められる基本となると考えられる。