東京大学 情報理工学系研究科 システム情報学専攻 教

安藤 繁

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私の住んでいる千葉市の郊外でも、いつも通りのおだやかな新年を迎えました。私が千葉に住むようになったのは20年ちょっと前。谷津(やつ)の風景(うねうねとした台地に広がる森と谷に広がる水田の繰り返し)が、そこここに広がっています。例年、初詣には、家のすぐそばの小さな神社と、平山薬師というこのあたりではわりと有名なお寺にでかけます。昔はそうでもなかったのですが、このところ急速に住宅が増えてきて、初詣もかなりにぎやかになり、参拝も長い行列ができるようになりました。お寺なので、鈴ではなく、長い緒の先にあるドラ(鰐口)を鳴らすようになっています。順番待ちをしながら前の人たちを眺めていると、これが鈴のようにはうまく鳴らせなくて皆苦労しています。緒の上端に近い部分のふくらんだ玉のような部分でドラの中心をたたけばよいのですが、神社の鈴のようにゆするのでは、緒が傾いたりドラがゆれるだけで音は出ません。「そのやり方は違うな~」などと内心にやにやしながら、自分の番が来たときは、私の思うやりかたでひょいっと緒を操作し、「ボーン」と心地よい響きで鳴らすことができて、ちょっと優越感にひたりました。

図1. 松の内も過ぎて静かさを取り戻した平山薬師。谷津の谷から参道を登った台地の森の中にある。日陰に残っているのは、この朝降った初雪。(2011年1月筆者撮影)

皆さんもお分かりでしょうか。上手なやり方とは、手元で波を起こして、それが緒の先に伝わるようにするのです。上に伝わる波が良く発生するように、振るときに腕のひねりも若干入ります。波が伝わる先の緒の上端は、写真で見るように、位置だけが拘束され傾きが自由な、いわゆる支持端になっています。ここで反射した波と送り込まれる波が重なって定在波が作られるので、これが節で直近の腹の部分がちょうどドラをたたく場所にくるのがベストでしょう。よって、理屈の上ではということですが、最もふさわしい波長と、手元での駆動の周期も決められます。後で述べますが、緒が上に行くほど細くなってゆくことにも注意しておきましょう。

図2. 平山薬師の鳴らし物のドラ(鰐口)と、同じ境内にある社の鈴。緒はどちらも同じように見えるが、一方は緒の上部のふくらみでドラをたたく仕組みだが、他方は緒に直接ついた鈴を振って鳴らすようになっている。(2011年1月筆者撮影)

波を使うというのは、センシングに限らず、本当にあらゆることに重要で本質的なことです。ですが、その「波」のことを私たちは十分に知っているのでしょうか。誰でも波が上手に使われることに驚いたり感心したことはあるかと思います。これがヒントになります。小学校の運動会で、綱引きの綱を校庭に広げるとき、綱に山状の波が起きてそれが伝わるようにして先端をまっすぐにのばすのを、「先生はすごい」と思った記憶はないでしょうか。物理現象としては普通の波とちょっと違いますが、これもやはり「波」です。先日も、電気工事の人がケーブルの先端を廊下に伸ばすのにこうやっているのを見ました。鞭(むち)は波を巧妙に利用する道具の代表です。上の例のように鞭の先の向かう方向を決めるのに波を使う点も大事ですが、鞭の先でピチッと強く物をたたくために波を使っている点はもっと重要です。鞭の上に先端に伝わる波が生じさせるため、腕と手首と手と指先は若干ずつ位相がずれ駆動され、これも一種の波と捉えられる動作です。鞭を駆動した腕と手は、その後、鞭の方向にまっすぐ伸ばすようにします。腕と手がまっすぐ伸びて静止したということは、それらの力(パワー)が鞭に全て伝わったということです。与えられた力はだんだん細くなる鞭を先端に向かい、振幅を大きくし対象をピチッとたたき、そこで消えます。運動のこつを教えるときに、よく「何々をむちのように使え」と言いますが、これは力を最も効率よく、また相手に合わせる調整力をもって伝えるやり方だからです。野球の投球動作、水泳の手足の推力動作、ゴルフのドライバーのスイング、投げ釣りのフォーム、皆そうでしょう。
波は力を運びます。波というと、大きく動くその波頭の部分に目を奪われがちですが、波が伝わった後の静寂にも注意を向けてください。どうして静寂になるのでしょう。さっきまで大きく振動していたのに、波が過ぎ去ると完全に静止してしまいます。少しは振動が残りそうにも思いますが、そうではありません。媒質はそれ自身の慣性力と復元力をもっていますが、その先の媒質を動かすことの反力で完全に静止します。これが自分のパワーがその先に完全に伝えられたということです。上の鞭の例では、駆動する腕や手のそれぞれの部分が伝わる波に合わせて力を出して、パワーを増強していることにも注意してください。波は力を運ぶだけでなく集めることもできるのです。鞭がだんだん細くなることで振幅が大きくなることにも注意してください。波は力の形態を徐々に無駄なく変化させることもできるのです。

波のもつ優れた性質は、人間の感覚器の中でも使われています。聴覚の周波数弁別型受容器、蝸牛基底膜がその代表です。ハンガリー出身の生物物理学者Georg von B´ek´esyは、波の可能性に最初に着眼しました。彼は大変優れた実験家であり理論家で、この仕組みを明らかにするための緻密な観察と実験的検証を広範に進展させ、それを蝸牛基底膜の進行波モデルとしてまとめました。von B´ek´esyは、この業績により1961年にノーベル賞を受賞しています。
蝸牛の入り口は、鼓膜から入った振動が基底膜という硬くて質量のある膜の一端を駆動する構造になっています。膜の上下は流体に接し、流体も基底膜といっしょになって波を伝える役割を果たしています。基底膜の硬さと質量と幅は、奥にゆくに従い、その共振周波数が低くなるように変化しながら分布しています。耳なので、入ってくる振動の周波数は約20Hzから20kHzと、1000倍もの広範囲に及びます。これらが混じりあった波で駆動されると、それぞれの波の成分がそれぞれの速度で奥に伝わり、それぞれの共振周波数と一致する基底膜に到達すると鋭い共振を生じさせ、神経信号を発させつつ、そこで消失します。鞭のように、性質が変化する媒質の上での振動の伝搬が発生し利用されているのです。少々難しい話になりますが、周波数の分解は伝搬とともに生じ、基底膜上に生じる波形は全ての周波数で相似形となります。よって共振点に到達するまでの位相の遅れは、周波数によらず同一です。よって伝搬による(位相が周波数に依存して変化するという意味での)波形の劣化はありません。このような不思議な性質をもつものは、他にあるのでしょうか。

それにしても、von B´ek´esyは尊敬し学ぶべき研究者です。彼の著書の“Experiments in Hearing”には、詳細な観察と実験、緻密な思考、実験装置に注ぎ込まれた工夫が、詳細で具体的な図とともにあふれていて、我々のバイブルとも言ってよいように思います。彼はまた、物作りに大変興味があり上手でした。彼のノーベル賞受賞講演録を読むと、「私は蝸牛基底膜の模型(モデル)を作った。模型というとミニチュアに作るのが普通だが、私のは違って本物よりはるかに大きい。ちょうど腕のサイズで、その中に蝸牛基底膜と同じ構造が作られている。その一端から振動を入れると、その周波数に共振する位置が振動し、腕に伝わるようになっていて、確かに腕で音を感じることができた。」と、いかにも楽しそうに語られています。

図3. 蝸牛基底膜を模倣したFishbone音響センサの構造とチップ写真。多数の共振ビームが横断ビームで規則的に結合された構造が進行波の伝送路・吸収端を構成する。チップの製作は住友金属工業(株)MEMS推進部(当時)との共同研究による。

というようなわけで、私も蝸牛基底膜には大変強い興味をもつようになりました。私が取り組んだのは、この構造の仕組みを、今まで述べてきたように振動パワーの流れの単一方向化と最適化の観点から捉えることと、この構造を半導体微細加工を利用した音響センサとして実現することでした。できあがったものが、蝸牛基底膜模倣型音響センサ“Fishbone”です。
出発点は進行波モデルを偏微分方程式で表現したZwislockiモデルです。この数式モデルは、物理現象間のアナロジーの原理によって、シリコンで実現が容易な平板構造の純機械系に変換できます。色々な可能性の中から選んだのが、写真に示す、1本の横断ビームとそれに直交して長さの順に配置された多数の共振ビームからなる構造です。この形がいかにも魚の骨を連想させることから(実は本物の魚の構造にも関連があることが後に分かりました。)Fishbone構造と名付けました。構造自体はごくわずかの空気抵抗を除けば無損失で、振動のパワーは横断ビームを通じてそれぞれの共振ビームに分配され、各共振ビームの機械-電気変換器で信号エネルギーに変換されて取り出されます。逆向きの動作も可能です。共振ビームから位相を合わせて振動を入れると、それらが集められ増強されて入力点に現れます。

蝸牛基底膜の顕著な性質は、各周波数成分が周波数の対数に比例した相似な形の波動として伝搬することで、結果として基底膜上では対数線形(オクターブで等間隔)に共振点が並びます。これは楽器の鍵盤の並びと同じで、人間の楽音への嗜好や認識の容易さの源です。また、このような対数線形構造が完全な場合に、音のパワーの流れは周波数によらず単一方向化されることも分かりました。これは、このような構造があらゆる周波数を余すところなく吸収する「黒体」であることを意味します。

のんびりと原稿を書いているうちに1月も末、立春が近づいてきました。寒さに包まれた谷津の風景の中にも日差しの強さが戻ってきているようです。いつも最後は同じ言葉ばかりで芸がありませんが、これからも、日頃の不思議の観察と思考を楽しみながら、新しい課題へチャレンジし、できればセンサの開発につなげてゆきたいと思っているところです。