東京大学 情報理工学系研究科 システム情報学専攻 教

安藤 繁

...もっと見る

雨上がりの水たまりに、青さが日に日に増してきた水田に、谷津の小川やため池に、アメンボがたくさん見られる季節になってきました。雑草の中に腰をおろし、心地よい日陰と、さわやかな風にゆらめく水面を前にした観察は、いつまで続けていてもあきることがありません。

アメンボは、学名は Gerris paludum japonicus とのこと、英語では pond skater と呼ばれています。アメンボは、普段は水面に長い足を一杯に広げ、じっとしています。水をはじく足のまわりは、表面張力で水面がきれいに丸くへこんでいて、体重がそれらだけで支えられていることがよく分かります。pond skater と呼ばれる通り、動く時には、長い4本の足を後方に瞬間的に閉じるようにし て加速し、水面を滑空するようにピューッと進みます。足の長さは、前2本が一番長く、後ろ2本はそれよりわずかに短く、頭の先にある2本は極端に短くなっています。前2本と後ろ2本の足の先は長く水面に接していて、体重をささえるのと、加速する際のオールのような役割を果たしているようです。肉眼では見えませんが、足の先全体に毛が生えていて、その毛で水面付近の水の震動を検出しているということは、多くの文献で説明されています。
水面に何かが落ちると、アメンボはサッとそちらに向きを変えます。それが餌だと、ピューツとスケーティングしてあっという間にその位置に到達します。たくさんのアメンボが一斉にその点にスケーティングしてくるので、あらかじめ餌の位置を察知した上で、われ先にと集まってきたことがわかります。水面をうろうろしながら探索しているのではありません。優れたセンサによる正確な検出と、それに基づく迅速な判断が背景にあることは間違いありません。それでは、なぜ、アメンボはこのような形をしているのでしょうか。なぜ、このように長い足が必要なのでしょうか。水面の波を感じていることは明らかですし、長く伸ばした足の先に水面の動きを感じる感覚器があるのですから、この 体の構造が波源の定位を意図していることは明らかです。

図1. 木漏れ日の水面にたたずむアメンボ。 この季節、水たまりや水田や小川にたくさん見られます。( 写真は「テク坊」氏撮影の「水面のArtist」http://photozou.jp/photo/show/114539/81845326、114539/22219241から)

私は、音源定位に関しては30年来の研究テーマにしていて、特に四耳音源定位法は私のオリジナルで、いくつか実用装置も開発されています。この方法では、4個のマイクロフォンを人間の耳の間隔とほぼ同じ十数cmの間隔で正方形状に配置し、その正面付近の人間の話し声や衝撃音、異常音を上下左右の2次元方向でリアルタイムに定位します。そこに使われる原理は時空間勾配法と名付けたもので、音場の時間微分と空間微分と空間局所平均から代数計算で波源の方位と距離(正面を除く)を算出します。人間の耳と同じ2個のマイクロフォンだけの両耳音源定位センサにも適用できて、水平面内の音源と距離(正中面を除く)を定位できます。
長々と研究を続けていて、なかなか終わらせられないのは、理論も実験結果も、自分で「完全」と思えるものに至らないからです。その問題の一つが上記の検出能力の異方性です。方位検出は正面で最良ですが、距離は検出不可能です。逆に真横では距離検出が容易で方位角の正面方向成分(天頂角)が最悪条件となります。真横の平面内での方向は検出できますが、マイクロフォンが横を向くため、正常な動作は困難です。このような矛盾多き異方性が除かれ、いずれもが良くなるような、シンプルで実用的なマイクロフォンの配置はないだろうかと長く気にかけていました。このような中で、ある時、アメンボの形と動きを見ていて、もしやと胸騒ぎを感じることになりました。体の構造が私の四耳音源定位や両耳音源定位センサに非常に似ている、というかその波源検出原理は実は全く同じではないかということです。また何とも癪なことに、私が 想定していなかった四耳を含む水平面の定位に四耳式音源定位センサの構造が用いられているように見えます。さらに観察を進めてゆくと、アメンボの6本の足の長さや配置などの構造に、水面という環境とそこに落ちた餌の波源という波の性質に適合した、上手な仕組みがあることが分かってきました。

アメンボにとっての定位は水面上の2次元で十分です。ただし、獲物のところに的確に移動するには、波源までの距離の情報も必要です。水面に落ちたのが蠅や蝶々のような餌なのか小石なのかを判別するには、広い周波数帯域も必要でしょう。アメンボの構造は、これらに最適な形に進化して作られたもののはずです。
人間でも両耳音源定位センサでもアメンボでも同じですが、波を検出するセンサ(プローブ)の間隔の最適値は、波源から来る波の波長で決まります。2個のプローブの間で検出容易な位相差が生じることと、位相の不定性が生じないために、それが180度より小さいことが条件です。よって、広い周波数で波源を定位しようとすると、プローブの対を複数用意し、それぞれ間隔を違えて配置するのが望ましいことになります。アメンボには3対6本の足があり、すべてに波を感じるプローブがついています。3対の足の間隔を異なる長さにし、それぞれの出力を別個に利用して処理をすれば、広い帯域で波源の方向が決められます。実際、アメンボの3対の足の間隔は、4倍ほどのレンジの中で異なる長さになっています。

一方、両耳式音源定位センサの原理で波源までの距離を求めるには、プローブが2個だけでは不十分です。距離情報は振幅の違いに含まれまるのですが、2個のプローブの垂直2等分線上では、波源からの距離が等しく、振幅が常に同じなので、この情報が得られないのです。距離の不定性をなくすには、どうしてももう1点以上のプローブが必要です。アメンボの3対の足は、前後に離れた位置に付いています。これらの周波数特性がオーバーラップする帯域では、2対の足を四耳式音源定位センサのように同時に使用して、不定性なく距離も決められます。

もうひとつの重大な考察点は、水面の波の性質です。水面は、典型的な分散媒質として、Feynman の物理学教科書にも興味深く取り上げられています。分散性とは、周波数によって伝搬速度が変化する性質のことです。水面の波には、表面張力波モードと重力波モードがあります。これらの違いは波の復元力が何で与えられるかに基づくもので、前者は水面の表面積を減少させようとする力、後者は平均的な水面の高さに戻ろうとする重力と浮力が復元力となります。

図2. 水面波の波長と伝搬速度(位相速度)と時間周波数との関係。太線は位相速度で 左側のスケールの値、細線は時間周波数で右側のスケールの値を示す。

上図を見ながら、その振る舞いを考えてみましょう。水面波は、高い周波数では表面張力波モードが主要で、低い周波数では重力波が主要となります。ところが、それらの伝搬速度(ここでは位相速度)は表面張力波モードでは周波数により単調に減少し、重力波モードでは単調に増加する性質があります。このため、水面波の伝搬速度は、ある周波数で伝搬速度の最小が生じることになります。最も遅い波は波長で約1.72cm、そのときの伝搬速度は約23.2cm/s、周波数は約13.5Hzです。これより高い周波数の波は非常に速く、これより低い周波数の波は、増加はゆっくりですが、やはり速さを増して伝搬します。
水面波のこれらの性質を合わせて考えると、アメンボのセンシングと捕食の戦略が見えてきます。アメンボの餌である蝶々や蠅が水面に落下したり、もがいたりして生じる周波数は、おそらくかなりの広がりをもっているでしょう。落下直後に最初に届くのは、伝搬速度の速い高周波数の波です。特に速いのは波長が1cm以下なので、長い2対の足の間隔は波長を超えてしまい、定位できる条件ではありません。おそらく一番間隔の小さい頭の前の1対の足で、その振動と概略の方向を検出しているのでしょう。これでアメンボは何かが落下したことを察知して準備態勢に入ります。しかし、それが餌なのか小石なのか木の葉なのかは分かりませんし、方向と距離の定位もまだ不確実です。ここで、遅れて低い周波数の波が到来することになります。この波長は2cm以上で、長い2対の足でも波源を定位できる条件です。これで方向と距離の定位を確実にします。同時に、落下時に発生した多くの周波数成分を知ることになるので、餌か小石か木の葉かの判断も可能になります。波源の定位は、前方と後方の2対の足それぞれで別個に行うこともできますが、これら4本の足の間隔にわりと差がないことから,四耳音源定位センサのように前後方向の空間微分を検出し利用している可能性があります。落下の瞬間に発生するようなインパルス波では、高周波の波と低周波の波の伝搬時間差でも距離を検出できます。

最後に、これに関連してごく最近得られた成果について紹介します。上で述べてきた音源定位法が「完全」でないと長く気にかけていたもののひとつがアルゴリズムの近似の問題でした。誤差が大きな空間微分をとる必要があるのと、十分遠方でしか厳密にならない理論に基づいていたからです。これらが「荷重積分法」という私どもが数年前に考案した新しい数学的方法論で一挙に解決しました。ようやく肩の荷が下りた気持ちで、先月末に米国で開かれた音響関係の国際会議で発表してきたところです。

(a) 16素子円周アレイ

(b) 5kHz純音の定位結果

図3. 円周アレイと定位結果の例。円周アレイは16素子、直径20cm。(b)は無響室で距離約1.5mで正対させて実験を行った結果。表示された点の位置にある16個のスピーカの瞬時的定位結果を重ね書きしている。

この方法は、上図の(a)に示す円周アレイという特殊だが非常に実用性が高いセンサ構造を前提とします。波源が近接して、アレイ上のマイクロフォンとの距離が非線形に変化することも厳密に扱われ、最終的には、アレイデータの円周方向と時間方向のフーリエ係数から、瞬時的あるいはms以下の短時間の分解能と直接代数的な計算で音源位置を求めることができます。上図(b)にその定位結果の一例を示します。間隔を変えて並べられた16個のスピーカを切り替えながら定位したものを重ね書きしています。実際の装置では、その瞬間の定位結果が点として表され、それが音源の切り替えとともに移動してゆきます。

ものごとの解決に時間がかかるのも、ひょっとしたら新鮮な発見が待っていると思えば気楽なもので、この間色々な側面から眺めることで、何かのヒントを得るきっかけにもなります。私も、また新たな気持ちで不思議の観察と思考を楽しみながら、新しい課題へチャレンジし、できれば将来のセンサの開発につなげてゆきたいと思っているところです。