東京大学 情報理工学系研究科 システム情報学専攻 教

安藤 繁

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私が学部生から大学院生の頃(1970 年代半ば)ですが、両親は仕事の関係で北海道の室蘭にいて、埼玉の留守宅や東京の下宿から通学した時期が数年ありました。このため、年末から正月や夏休みの時期には、室蘭に何度も「帰省」しました。当時は、北海道に渡るのは、片道でも一昼夜近くを要する大事でした。旅程の楽さから言えば、その頃運行を始めた東北本線電車寝台特急「はくつる」のB 寝台が理想でしたが、発売日の夜明け前から上野駅に行って数番以内くらいに並ばないと指定券がとれない状態で、成功したのは2、3 度あったでしょうか。とれなかった場合は、上野駅16 時発の「はつかり4 号」が8 時間ちょっとで青森に着き、深夜の青函連絡船の4 時間の間は横になって睡眠がとれるので、よく利用していました。

それでも、青函連絡船は、冬季は特に海がよく荒れます。季節風が日本海側から常に吹き付ける影響で、船がいつも太平洋側に傾いて進むのには驚きました。下層で雑魚寝の普通船室と上の階を行き来する時は、うねりで船が上下する位相に合わせると、階段をほとんど水平に歩くように通過できるというのも経験で覚えました。北海道に着いても、吹雪の影響で、接続の特急列車が遅れたり運休することはしばしばです。このようなことで、青森駅や函館駅や青函連絡船の待合室で、長い時間を過ごした記憶は1、2 度ではありません。

その時も上のような状況で、呆然とあきらめの中で時間をつぶしていたのですが、待合室のテレビのニュースの中で、あるレポートが放映されているのに目がとまりました。それは、日本で始めてX 線CT(Computer Tomography、計算機断層像撮影)装置、EMI スキャナが東京女子医大に導入されたことの紹介でした。一部の研究者には周知のことだったのかもしれませんが、講義で聴 いたことはなく、私がこの装置の存在を知ったのはこの時が初めてでした。
レポーターの簡単な説明と撮像結果だけで、断層像撮影という装置の機能は把握できました。すぐに吸い付けられるように、その仕組みの考察に私の思考は移ってゆきました。頭の内部のX 線吸収係数分布とデータとの関係式は当然何らかの形で立てられるので、未知数に見合う十分な数のデータがあれば、解くことは不可能ではないということは容易に理解できます。しかし、途方もない大きな問題になるはずで、そのようなものが現実になるとはこの理解からは全く想像できません。すごいものがそこにあるに違いないとの予感から、恐ろしいほどに胸騒ぎを感じました。

図1. 室蘭港口の祝津公園から臨む室蘭港の全景と鷲別岳の遠景。白鳥大橋は私が室蘭に「帰省」していた頃より後にできたもの。新日鐵室蘭製鉄所や日本製鋼所が右奥に見える。(写真は「むじな」氏撮影の「祝津展望台より室蘭港を望む(1)」http://photozou.jp/photo/photo_only/1698300/89623251 から)

EMI スキャナの登場は学科の中でも関心を寄せる方々が多く、さっそく東京女子医大への見学会が企画されました。私も是非にと頼み込んで参加させていただきました。装置の仕組みと動作は、種々の文献に紹介されている通りです。一対の対向するX 線管と検出器が同期して平行に移動し、それが撮影対象である頭部を中心に全体に回転して投影データをとる形式です。走査には数分を要しますが、走査終了の数10 秒後には画像が表示されます。その場ではあっという間という印象でした。画像は、当時よく行われたラインプリンタ(横132 文字)の重ね打ち表示などに比べてずっと解像度が高く、中間調も豊かで、明暗のスケールを上げると細かなパターンも見えてきます。
しかし、何よりも驚いたのは、その計算処理に使用されている計算機でした。それは、私が所属した研究室がその前年に導入したミニコン(ミニコンピュータ)と同じもの、世界で最初の16bit ミニコンのNOVA でした。研究室で導入したものは、メモリが16kByte しか入っておらず(16Gbyte を積むのもざらな現代のPC と比べるとメモリ量は何と100 万分の1)、画像の1 枚も入らないためその後もずっと泣かされたのですが、これほど少ないことはないにしても、NOVA は最大でその4 倍の64kByte のメモリしか積めません。計算速度も然りで、加減算が1μs 程度、乗算は数μs 程度で、現代のPC の1 万分の1 以下にしかなりません。当時でも、とても巨大な方程式を解くなどは思いもよらず、画像処理の計算には、私は大型計算機センターの汎用計算機Hitac 8800/8700 を使用していました。

この見学で、非力な計算機で断層像の再構成ができることを目の前で見せつけられてしまいました。力ずくとは違う原理上の革新があることはもう疑いようがありません。それなら、その原理を詳しく理解したい、このようなすごい世界があるなら自分でもやってみたいと強く感じました。また、測定系と計算機が完全密結合して機能を創出しているこのような方法論の可能性を感じ、取り組んでみたいとも強く感じたところでした。

その後、再構成の原理を調べだしたわけですが、少し調べるだけでその美しい理論体系が判然としました。歴史的には、1917 年にオーストリアの数学者 Johann Radon が、投影データの集合と断面関数がRadon 変換と呼ばれる関係式で一意に結ばれることを発見したのが最初です。しかし、この研究は知る人も少なく、装置の開発にはつながりませんでした。実現につながる研究は、1963 年に米国の物理学者Allan Cormack が、J. Radon の研究とは独立にX 線投影 データからの断層像の再構成法を発表したことに始まります。この研究は、英国のレコード会社のEMI 社の電子技術者だったGodfrey Housefield の注目するところとなり、数年の開発の後、1971年には試作機による最初の頭部の撮像テストに成功し、1973 年にはEMI スキャナの第1 号機を稼働させました。日本で初めてEMI スキャナが東京女子医大に設置されたのは、その2 年後の1975 年です。1979 年には、G. Housefield とA. Cormack はCT 開発の功績によってノーベル賞を受賞しています。
CT にはいくつかのアルゴリズムがありますが、見学の際に走査終了から再構成終了までの時間が短かったことから、投影データが入手されるごとに再構成処理を実行可能なFiltered Backprojection 法に違いないと確信しました。その後、再構成結果をダンプしたデータを入手する機会がありました。再構成結果は160×160 画素、全体で51.2kByte で構成されていました。これは、ミニコンに内蔵されたメモリの大半を占める大きさです。また、再構成された円内からはずれた四隅ではデータが全部零でした。このことからも、必要な部分だけをメモリにとって再構成が可能なFiltered Backprojection 法であることは明らかです。だからNOVA のようなミニコンでも実行可能なのです。

私は、この後、走査高速化のために導入され始めたファンビーム型CT の再構成アルゴリズムを手がけました。また、同様に計算機を活用する映像化技術として当時計画段階にあった資源探査衛星に搭載する合成開口レーダの検討委員会にも参加させていただきました。このような経緯もあり、私自身、逆問題型のセンシング技術を研究の柱に据えることになりました。

図2. 当時(1981、2 年頃)卒論生と行った研究の一つの空中超音波による超解像三次元撮像。凹凸を付けたアルミ板が40kHzの超音波によりホログラム撮像され、計算機により波長を超えた解像度で再構成される。材質の違いの映像化も可能である。

逆問題とは、間接的に得られる多数の測定結果から、直接には測れない対象の情報を得ることに関わる数学問題を指します。逆問題を内蔵計算機で解いて測定結果を得るセンシング手法を間接計測と呼びます。磁気共鳴映像MRI、脳磁計MEG、脳電計EEG、ポジトロンCT のような医用画像診断技術、合成開口レーダ、地下資源探査、超解像、波源定位、オプティカルフローなど、現代 では幅広い展開がなされています。
私は、これらの方法論の本質は、現象を数理的に捉え、その数理的構造に立脚してアルゴリズムを構築してゆくことと考えています。計測技術者の立場では、そのような数理的構造をもつようにセンシングシステムを考え設計してゆくことです。問題を行列として定式化しただけでは、行列は数値の羅列でしかなく、原理上は解けると言えるだけで、力ずくの方法しか生まれません。大事なのは物理現象の直接的な記述で、これにより現象に立ち入った考察が可能で、それにより構造を生かした優れたアルゴリズムが生み出されるのです。CT の場合も、これが美しいアルゴリズムの登場と桁違いの計算規模の減少を可能にしました。物理現象の本質を取り込むことによって、初めて、計算の本当の力が生み出されるのです。

この50 年間で最も大きく発展し身近になったもの、それはエレクトロニクスや計算機・情報通信でしょう。これらを存分に活用することがセンシング技術の進歩につながることは明らかです。私も、不思議の観察と思考を楽しみ、背景にある構造を想像しながら、新しい課題へチャレンジし、できれば将来のセンサの開発につなげてゆきたいと思っているところです。