東京大学 情報理工学系研究科 システム情報学専攻 教

安藤 繁

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稲刈りの終わった田んぼと、澄んで奥行きを増した空に映える色づき始めた雑木林、千葉近郊の谷津の風景も、徐々に秋の装いを深めてきました。夏にはあれほどの勢いだった木々や雑草も成長を止め、日に日に短くなる日差しから来年の春の芽吹きの栄養を取り込もうと、木の葉も最後の一仕事をしているようです。私もこのコラムを書き始めてもうすぐ1 年、ゴールに向けて最後の一がんばりというところです。

表題は、研究開発の中で必ずと言ってよいほど出くわす障害や困惑と、それを克服するまでの苦闘の時間のことです。おそらく誰でも、何度も何度も経験するので、具体例にはこと欠かないと思います。聞いてくれるのなら話したくてうずうずしている技術者はいっぱいいるはずです。「失敗学」の一つとも見れますが、「失敗」のような負の意味はありません。若干の冒険心をもった技術者たちが、研究開発の中で遭遇する初体験な問題を、最後には解決し一段の成長を遂げた誇らしき「成功談」なのです。私にも、これまでの物作りの中から、いくつかこれを紹介させてください。

図1. 秋の深まりを感じる自宅近くの公園。台地の雑木がそのまま残され、近くには都川(千葉市街を流れる川)から続く谷津の最奥部のため池が残る。大学のある東京の本郷も、谷間に三四郎の池、坂を下った低地に不忍池が広がり、昔はおそらく同じような風景ではと思いつつ、毎朝の散歩道にしている。(2011 年10 月、筆者撮影)

私は、大学院に入った年から翌年にかけて、研究室の画像入力装置Flying Spot Scanner (FSS) を製作しました。FSS はブラウン管上に作った輝点を写真フィルム上に結像し、フィルムの背後に置かれたフォトマル(光電子増倍管)で透過光量を検出して画像を取り込みます。背後から照明したフィルムを撮像管で撮像するのに比べ、S/N 比、コントラスト、解像度とも格段に良い画像が得られるため、放送局で映画をテレビ放送する際などによく用いられたものです。研究室でディジタル画像処理の研究を始めるにあたって画像の入力装置が必要になったので、回路作りが得意ということで私に話が来たわけです。後で聞くところ、真空管で有名なT 社からFSS 用のブラウン管をもらったのが発端のようで、ブラウン管があるから残りはお前が作れというのは、今思うと無茶な話です。ですが、私は高校生の時に無線クラブでオシロスコープを作った経験があり、だいたいの構成はすぐに想像できたので、やってみましょうと答えてしまいました。これが、その後寝る間も惜しんで取り組んでも1 年半近くを要した苦闘の始まりでした。
大きな問題には2 度遭遇しました。一つはブラウン管の電子ビームの偏向増幅器です。テレビ走査のように作れば既存の回路や部品を使えるのですが、計算機への入力のしやすさを考え、若干冒険は承知の上、輝点を高速に任意位置に移動し静止可能なように作ることにしました。必然的に偏向コイルは低インダクタンス、その偏向電流は大電流となり、よって大規模な電流出力増幅器を作る必要が生じました。インダクタンス負荷の定常状態では全ての電力を出力トランジスタが消費します。これを考え相当入念に設計し作ったのですが、それでも動作中に突然壊れてしまうことが起きてしまいました。

壊れると被害は甚大で、焼けこげた抵抗をはずし、ドライブ段から並列の出力トランジスタまで全部交換しないといけません。理由も分からないまま、また起きたかと顔面蒼白、血の気が引く思いです。周囲からは「今日も煙が出たらしい」と噂されるし、うかつに事故の再現もできません。相談しても自分以上には分かりようがないし、誰かに泣きついてどうにかなるものでもありません。1 ヶ月近く原因に悩み考えた末、高速で大きな輝点移動が続き、出力トランジスタの過渡状態が連続すると、並列トランジスタのバランスが崩れ、一部に電流が集中して非常に壊れやすくなる可能性に気がつきました。このようなことが想定される場合、安全率をはるかに高く設計しなければならないということです。そこで出力トランジスタを倍増し、電流平衡を強化し、制御する計算機の側でソフト的にこのような輝点の動きを規制したら、同様な事故は起きなくなりました。

私が常識的な性能を目指していればおそらく起きなかったことです。トランジスタの性質をもっと知っていれば予想できたはずですが、私は通常の電力増幅回路の回路設計と熱設計しかしていませんでした。身の程知らずの冒険心と知識の未熟さが招いた事態でしょうが、結果として半導体へのより深い理解と、それに基づく安全設計の重要さを学びました。

もう一つ遭遇した問題は高電圧のスパークでした。ブラウン管の加速電圧には2 万ボルトの高電圧が必要です。通常のテレビ走査では、走査線の戻りの際の急激な偏向電流の変化をパルス電圧に変換してこれを生成します。しかし、輝点を静止可能としたため、この構成や市販部品は用いられず、安定化した高電圧発生器を別に製作することにしました。苦労の末、電圧はうまく発生できたのですが、これをブラウン管に高圧ケーブルで供給してみると、たまにそれがパチンとスパークを起こす事態が発生しました。当然グラウンドどうしは接続されているのですが、スパークするとせっかく完成した回路のどこかが壊れてしまいます。これも被害は甚大で、突如動かなくなり、何が壊れたか調べてゆくにつれ、これも壊れていた、あれも壊れていたと長時間の努力が無に帰す事態に茫然自失、気力も萎えかねない状態となりました。周囲が「今度は火花らしいよ」などと小声で噂する中、ここでも気を取り直し、破壊箇所が一定しない状況を冷静に考えた末、スパークが起きるのは避けられないものと観念しました。起きるのが避けられないのなら、それが予定した安全な場所で起きるようにすればよいのです。高圧回路のわきにわざと接近させたグラウンド電極を作り、スパーク時の多大な瞬時電流が低インダクタンスの帰線路を通って戻るように、高圧ケーブルとペアに幅広のアース網線を沿わせて高圧を配線すると、パチッといっても障害は起きなくなりました。
これも、私が欲張りな性能を目指さなければ問題は起きなかったと思います。また、このとき考えた対応法は、スパークギャップや高圧同軸ケーブル・コネクタとして、X 線機器やレーザ光源などに普通に用いられることなので、下調べが足らなかったことは否めません。けれども、この経験は高圧回路の怖さや危険を受け流す対処方法の勉強になりましたし、根性があれば最後には何とかなるとの自信にもつながりました。

次図は、私の近年の研究の中で最も感慨深い考え落としとその克服です。ヤドリバエを模倣したMEMS 音源定位マイクロフォンは、私が10 年以上前から取り組んでいるテーマで、その原理は、音が斜めから到来すると表面に傾いた音圧振動が発生するので、これによって生じる振動板の傾き振動から音源の方向を決定するというものです。これを最初に手がけた米国の研究者も私も、左上の図のようなシーソー型の振動板が最適と何の疑いもなく考えていました。しかし、ある理論の発見がきっかけで、左下の図のように、逆側を固定した振動板を対向させた形の方が、はるかに高感度で最適構造に近いことが導かれました。分かってから考えると当然そうだとしか思えません。発想力にはいかに限界があるかを思い知らされました。ですが、これで大きな問題が克服されたので、いよいよ実用化に向けた展開に期待をかけているところです。

図2. ヤドリバエ模倣型MEMS 音源センサの振動板の対照的な構造。左上は音圧の勾配をシーソー型の振動板の傾き振動に変換しようとするもの、左下は互いに逆側を固定された振動板を対向させ、それらの間のギャップの高さの差に変換しようとするもの。後者がはるかに感度が高く、理論的な最適構造にも近い。右の4 枚はそれを2 次元化したデバイスの色々な入射音波に対するシミュレーション結果。

予想しない困難に遭遇するのを恐れて、あるいはこれで研究開発の期間やコストが増すことをいやがって挑戦的な要素を避けてばかりいると、ルーチン的な意味での順調さはあるでしょうが、問題発見や克服の喜びの機会は非常に限られたものになってしまいます。成長と進歩は、予想もしない問題に気づきそれを乗り越えることによって生じる、これは広く認められた哲学の教えでもあります。少しだけ冒険をすること、これが技術を、そして人間の心を豊かにしてゆくのです。私も、新しい課題へチャレンジする冒険心を忘れることなく、日頃の不思議の観察と思考を楽しみながら、将来のセンサの開発につなげてゆきたいと思っているところです。