2010/12/07 業界コラム 安藤 繁 理解と工夫から新しい創造を No.1Whispering Gallery 自由空間の音と壁沿いの音 東京大学 情報理工学系研究科 システム情報学専攻 教 安藤 繁 ...もっと見る 金子成彦先生から引き継いで、 このコラムに雑文を寄稿させていただくことになった安藤です。読みやすく、それでいて印象に残るような記事が書ければと思っておりますが、どうなることでしょうか。読者の皆様のご協力をよろしくお願いいたします。 Whispering Gallery私は、大学で計測工学の教育と研究を行っている人間です。音や光、画像などのセンシング手法、センサのデバイス開発、信号処理や逆問題などの数理的手法などが主要なテーマです。私が「計測」という言葉に関心をもったのは高校生の頃です。もともと物作りは大変好きで、木工、鉄道模型、アマチュア無線、オーディオ機器の自作、関連する金属加工など、今でもそうですが、作ることには何でも手を出して熱中しておりました。しかし、雑誌にのる製作記事などをまねして喜んでいるだけではいけないと思い、かといって自分で工夫してやってみると失敗続き、やはり、もっと深いところから理解した上で生み出すのでなければ、作ることにはらないと感じ始めておりました。何かの啓蒙記事を読んだのだと思いますが、深く理解し工夫して新しいものを作り出すということが「計測」にたくさんあると強く感じて、この道を目指したわけです。私にとっての計測の面白さとは、色々な自然現象や生物の仕組みに不思議を感じ、まずはそれを推論し解釈することを楽しむこと、次にはそれを自分のものとして捉え直して人工的な装置として実現してゆくことにあります。成功例が多いわけではありませんが、これらの過程の中で得た観察や知見から話題を選んで記事を書いてゆきたいと思います。 図.1 セントポール大聖堂。ロンドンの金融 街「シティー」にある英国国教会の大聖堂 で、テムズ川の流れもわずか南にある。 (2008年7月筆者撮影)表題のWhispering Galleryとは、音の伝搬の不思議な現象として有名なものです。ご存じの方もいらっしゃると思います。もとは、英国の物理学者Load Rayleighが ロンドンのセントポール大聖堂のドームの回廊でこの現象に気づき、名付けたものです。大きな丸屋根の回廊の内側に立つと、回廊の反対側の人の話し声がささやきまで良く聞こえるという現象です。 この現象には二つの説明がされているようです。一つは、音が丸い回廊と丸屋根とで反射され、反対側にちょうど音源の像が形成され、集中することで大変よく音が伝わるという説明、もう一つは、回廊と丸屋根に沿って特別な音の伝搬モードが形成されるという説明です。 音が球面鏡の結像作用で遠くまで大変良く伝わることは、 私も実際に確かめたことがありました。五月祭(東大の学園祭)の時に、学生委員だった私に学生が学科の建物の前で音のレンズの効果の実演をやりたいといって相談に来たのです。そこでオフセット印刷の薄く大きなアルミ原板の廃板を思い出し、学科の先輩の会社からもらってきて直径3m近い放物面鏡を2台作らせました。これらを数10m離れて正確に向かい合わせたところ、一方の焦点においたラジオの小さな音が、他方の焦点に耳をあてると見事に聞きとることができました。焦点をちょっとでもはずれれば、音が鳴っていることすら全くわかりません。これには学生も私も本当に驚き感激しました。 図.2 セントポール大聖堂の内部と円形ドー ム。Whispering Galleryは縦長の窓群の下 方にある。(2008年7月筆者撮影)しかし、円形の回廊や球形のドームではこれは起こりません。ちょっと計算すれば分かりますが、半径Rの球面鏡の上にある音源の像は球面の反対側から2R/3の距離に結ばれ、球面上の1点には集まりません。これでは感度高くささやきが聞こえるとは言えず、自由空間の音の伝搬と反射では現象が説明ができないということです。Rayleighが考えたWhispering Galleryが生じる原因はこれとは違います。 音は壁にそって特別な形態で伝わるということです。 丸い回廊では、音は壁に沿ってまっすぐ伝わることはできません。壁がまっすぐでも、壁にそって伝わる音の伝搬速度は自由空間より低くなることが知られています。さらに壁に近いほど円周の長さは長いので、音は壁に近いほど速く伝わらないと壁に沿った波動場は形成されません。これらを満足するような音の伝わり方は、このような形状に固有なもので、この発見にちなんでWhispering Gallery Modeと呼ばれます。 壁に沿った薄い範囲のみに音が集中し、それに接する自由空間中には、この波動と矛盾のない(周波数と波長と音速が自由空間波動場の関係を満たす)音波は存在しません。壁沿いにトラップされて外に出られない音ということです。この場合でも音は左回りと右回りの二通りで伝わりますので、多くの周波数成分が干渉して強め合う正確な反対側でないと音は大きくはなりません。 というようなわけで日に日に興味がつのって来たので、一昨年に学会参加の目的でケンブリッジに行った帰りに、セントポール大聖堂で実際に体験してみることにしました。セントポール大聖堂は、ロンドンの金融の中心街でテムズ川からちょっと北に行ったところ、地下鉄のSt.Paul’s駅を出るとすぐ目の前にあります。まさに大英帝国の誇りというような巨大な建物で、正面の荘厳な列柱や中央にそびえる大きなドームに圧倒されます。中に入ると全体が広大な空間で、特にドームの下はドームの丸天井までの高い吹き抜けになっています。さっそく、わきの階段からドームの内側の縁にある回廊、Whispering Galleryに登りました。同じことを考える人が多いのか、アルバイトらしい女学生が数人しっかりと見張っていて、残念ながらWhispering Gallery自体の写真はとることはできませんでした。壁面はしっくい(?)のような凹凸のない円弧の表面で、音の伝搬にはいかにも都合がよさそうです。二人で行けば、それぞれが反対側に立って詳しく調べたいところでしたが、一人だったので、動きながら見学客の話し声を聞いてみるしかできませんでした。それでも、壁に沿った1mくらいの幅は、明らかに聞こえる音の性質が違います。音の質だけでなく、音の距離感がないのは印象的でした。聞こえる音が耳元のささやき、あるいは頭の中に定位するような不思議な感覚です。回廊からドーム下の空中へ頭を乗り出すと音の環境は通常通りの印象で、1階を歩く人の声が広大な室内らしい距離感や反響とともに聞こえてきます。 残念ながら、これ以上のことは分からず、じっくりと観察と思考の時間をとりたいと思いつつも、あわただしく空港に向かうことになってしまいました。 図3. セントポール大聖堂のドームの外の展望回廊から見るテムズ川とロンドン中心部。ビッグベン(英国国会議事堂の時計台)も見える。右側はセントポール大聖堂のもうひとつのシンボルである時計台。(2008年7月筆者撮影)最後に、私の研究上の興味との関連も少し述べさせていただきたいと思います。私のWhispering Galleryの現象に関連する興味は、自由空間を伝わる音が壁面に(かなり斜めから)近づいた場合、Whispering Gallery Modeのような壁沿いの伝搬モードに音がトラップされるかどうかということです。 というのも、私は人間の聴覚系を模倣したセンサというのも重要なテーマにしていて、その中の一つとして、人間の耳翼の形の由来に興味をもっているからです。人間の耳の特有の溝状のくびれは、反射板というよりは音を吸い寄せて流すチャンネルを想像させます。家で飼っている犬や猫の耳を抱きながら覗いてみても、(たまに迷惑だとばかりかまれたり引っかかれたりしますが)その奥にはいかにも不思議なまがりくねった溝が掘られています。反射板のように見えるそばだてた耳の部分も、反射して空間に戻すというよりは耳の表面に沿って伝搬させるような角度に向いているようです。自由空間中の音が、耳翼に捉えられ耳の穴の中に(おそらく大変効率良く、また機能を果たしながら)吸い込まれてゆくメカニズムには、明らかに未知な何かがあるはずです。これからも、日頃の不思議の観察と思考を楽しみながら、できれば新しいセンサの開発につなげてゆきたいと思っているところです。 この記事に関するお問い合わせはこちら 問い合わせする 東京大学 情報理工学系研究科 システム情報学専攻 教 安藤 繁さんのその他の記事 2011/11/01 業界コラム 理解と工夫から新しい創造を No.12 考え落としに気づくまで 2011/10/04 業界コラム 理解と工夫から新しい創造を No.11 センサネットワーク 2011/09/06 業界コラム 理解と工夫から新しい創造を No.10 時間軸の旅人 2011/08/02 業界コラム 理解と工夫から新しい創造を No.9 計算の時代の萌芽とセンシング技術 2011/07/05 業界コラム 理解と工夫から新しい創造を No.8 進み続ける技法 2011/06/07 業界コラム 理解と工夫から新しい創造を No.7 アメンボのセンシングと戦略 2011/05/17 業界コラム 理解と工夫から新しい創造を No.6 展示会の役割と楽しみ 2011/04/12 業界コラム 理解と工夫から新しい創造を No.5 ぎゅう詰め車内の現象 2011/03/08 業界コラム 理解と工夫から新しい創造を No.4三相交流の「3」と三原色の「3」 2011/02/08 業界コラム 理解と工夫から新しい創造を No.3力を集める波と力を分解する波 2011/01/12 業界コラム 理解と工夫から新しい創造を No.2耳で味わう食感~サクサク感~ 2010/12/07 業界コラム 理解と工夫から新しい創造を No.1Whispering Gallery 自由空間の音と壁沿いの音 足立 正二安藤 真安藤 繁青木 徹藤嶋 正彦古川 怜後藤 一宏濱﨑 利彦早川 美由紀堀田 智哉生田 幸士大西 公平䕃山 晶久神吉 博金子 成彦川﨑 和寛北原 美麗小林 正生久保田 信熊谷 卓牧 昌次郎万代 栄一郎増本 健松下 修己松浦 謙一郎光藤 昭男水野 勉森本 吉春長井 昭二中村 昌允西田 麻美西村 昌浩小畑 きいち小川 貴弘岡田 圭一岡本 浩和大西 徹弥大佐古 伊知郎斉藤 好晴坂井 孝博櫻井 栄男島本 治白井 泰史園井 健二宋 欣光Steven D. Glaser杉田 美保子田畑 和文タック 川本竹内 三保子瀧本 孝治田中 正人内海 政春上島 敬人山田 明山田 一米山 猛吉田 健司結城 宏信 2025年5月2025年4月2025年3月2025年2月2025年1月2024年12月2024年11月2024年10月2024年9月2024年8月2024年7月2024年6月2024年5月2024年4月2024年3月2024年2月2024年1月2023年12月2023年11月2023年10月2023年9月2023年8月2023年7月2023年6月2023年5月2023年4月2023年3月2023年2月2023年1月2022年12月2022年11月2022年10月2022年9月2022年8月2022年7月2022年6月2022年5月2022年4月2022年3月2022年2月2022年1月2021年12月2021年11月2021年10月2021年9月2021年8月2021年7月2021年6月2021年5月2021年4月2021年3月2021年2月2021年1月2020年12月2020年11月2020年10月2020年9月2020年8月2020年7月2020年6月2020年5月2020年4月2020年3月2020年2月2020年1月2019年12月2019年11月2019年10月2019年9月2019年8月2019年7月2019年6月2019年5月2019年4月2019年3月2019年2月2019年1月2018年12月2018年11月2018年10月2018年9月2018年8月2018年7月2018年6月2018年5月2018年4月2018年3月2018年2月2018年1月2017年12月2017年11月2017年10月2017年9月2017年8月2017年7月2017年6月2017年5月2017年4月2017年3月2017年2月2017年1月2016年12月2016年11月2016年10月2016年9月2016年8月2016年7月2016年6月2016年5月2016年4月2016年3月2016年2月2016年1月2015年12月2015年11月2015年10月2015年9月2015年8月2015年7月2015年6月2015年5月2015年4月2015年3月2015年2月2015年1月2014年12月2014年11月2014年10月2014年9月2014年8月2014年7月2014年6月2014年5月2014年4月2014年3月2014年2月2014年1月2013年12月2013年11月2013年10月2013年9月2013年8月2013年7月2013年6月2013年5月2013年4月2013年3月2013年2月2013年1月2012年12月2012年11月2012年10月2012年9月2012年8月2012年7月2012年6月2012年5月2012年4月2012年3月2012年2月2012年1月2011年12月2011年11月2011年10月2011年9月2011年8月2011年7月2011年6月2011年5月2011年4月2011年3月2011年2月2011年1月2010年12月2010年11月2010年10月2010年9月2010年8月2010年7月2010年6月2010年5月2010年4月2010年3月2010年2月2010年1月2009年12月