東京大学 情報理工学系研究科 システム情報学専攻 教

安藤 繁

...もっと見る

この度の地震で被災された方々へ、心よりお見舞い申し上げます。私は仙台生まれで中学1年まで過ごしたので、ニュースに報じられる被災地の地名に、昔の記憶が呼び戻されます。現地の方々はさぞかし大変だったことでしょう。このメルマガの読者の方々でも、工場の被災や電力不足、部品の調達の遅れなどで大きな影響を受けている方は多いかと思います。

幸い、私の仕事場の東京大学も千葉の自宅も、特に問題になるような被害はありませんでした。地震のあったその日は音響学会の全国大会があって、午前中は早稲田大学(山手線大久保駅が最寄り駅)で発表を行いました。夕方まで会場で聴講していたかったのですが、午後早々に大学で奨学関係の会議と贈呈式があったため昼頃に大学に帰り、その行事を済ませた後で、居室に戻って、たまったメールを見ようとしていたところに地震が来ました。私の経験の中で最大で最長の揺れであったことは間違いありません。そのまま学会に参加していた先生から聞いた話では、地震で中断した大会はそのまま中止となり、路地まで車が入って渋滞する中を歩いて大学まで戻ったり、帰宅困難者の行列の中で自宅まで数時間かけて歩いて帰ったりしたとのことでした。私はあきらめてその日は大学の居室に椅子を並べて泊まり、翌日に少しづつ動き出したJRと私鉄を乗り継ぎ、最後は1時間ほどの徒歩で自宅に帰り着きました。

その車中はすごい混雑で、止まる駅ごとに出る人と乗る人とホームにあふれる人たちが押し合いへし合いの状態で、子供の頃に親から聞いた戦後まもなくの買い出し列車のあり様はこのようなものかなどと想像したところでした。地震後は計画停電もあって鉄道の運行本数が減り、特に千葉から先は影響が大きく、三月末までこれに近い状態が続きました。痛いのは、私が通勤に利用していた特急(多少贅沢ですが必ず座ってPC が使えます)が運休となり、混雑にもまれる毎日にもどってしまったことです。ですが、それにも慣れて多少の余裕がでてくると、例の「観察と思考」とか、現象をアナロジーで考える興味がわきだしてきます。今回はそのようなお話です。

図1. 4月に入り、のどかな日差しに銀杏や欅(けやき)の新芽がふくらみだした東大本郷キャンパス工学部前広場。筆者の研究室がある工学部6号館はこの広場を囲む建物の一つ。地震の際は、避難する教職員や学生でこの広場があふれかえり、繰り返す余震で欅の太枝や街灯が根元からしなるように揺れた。(2011年4月筆者撮影)

ぎゅーぎゅー詰めの車内では、それぞれが色々な方向を向いて押し合っています。顔と顔が向き合うのは誰もがいやなので、はすにずれるように立ったり、方向を変えたり、顔を背けたりと、皆苦労しています。一番安定するのはドアに近い人がドアから外を眺める向きに立って、その後ろの人が同じ向きに立ってというように方向を揃えて並ぶ状態です。車内の真ん中では向きが反対の人が押し合う状態になりますが、これだと背中と背中が向き合うので問題ありません。ラッシュに慣れた人は、乗り込む時に外向きの姿勢になって車内の人をおしりと背中で押すようにするので、普通にこういう状態が実現されます。しかし、混雑に慣れない人は、乗り込む時にどうしても頭から入ろうとしますし、せっかく外の景色が眺められるのに、へそ曲がりはどこにでもいるようで、ドアのそばで車内向きに立つ人がいると状況は一変します。皆が車内向きに揃うと真ん中の人は顔と顔をつきあわせて押し合ってしまいます。これでは安定せず、最初に言った色々な方向を向いて押し合う状態が生じます。

しかし、注意して見ると、局所的には同じ方向を向いた小集団に分かれています。小集団と小集団の境では向き合う状況が発生しますが、小集団の中は向きが揃って安泰です。さらに観察を続けると、電車のゆれでわずかに身動きがとれるタイミングを捉えて、小集団が変化したり合体したりしながらドアの方を向く状態に移ってゆきます。向かいあいを避けたいという気持ちに加え、電車を降りやすくという気持ちが働くのでしょう。

このような観察をしながら頭に浮かべるのは強磁性体の仕組みです。強磁性体は外から与えられる磁界に反応して強大な磁束を発生させます。真空中に比べて数千倍から数万倍にも及びます。この代表が電磁鋼板と呼ばれる鉄の薄板で、積層され、発電機、変圧器、モータ、電磁調理器、電気製品の中の各種のトランスやモータ、電車・電気機関車、ハイブリッド車等々の中で(磁歪によるわずかな音は出ますが)黙々と活躍を続けています。電力が生まれ、伝えられ、使われる中で、何回もこの電磁鋼板の中を通過します。この量があまりに多いので、電磁鋼板の損失(鉄損)の減少は国全体のエネルギー効率の改善に大きく貢献すると言われます。最大磁束(飽和磁束)の向上は機器の小型化・軽量化を可能にします。まさに縁の下の力持ちで、これだけでもラッシュに耐えて毎日毎日仕事に励む日本人の底力を連想させますが、頭に浮かべるという のはこれではありません。

図2.電磁鋼板を使った各種の磁気コア(http://kuretake-denko.co.jp/)と磁区の模式図。薄板には右図のような右向きと左向き(一部上向き)の磁区が分布し、外部磁界に応じて境界が移動し、差の面積に比例した磁束を生じさせる。

強磁性体とは、1個1個が磁石であるような原子の(結晶粒の)固まりです。1個1個の磁石の向きは結晶構造で特定の方向(複数)に限定されますが、どれを向くかは外部磁界と回りの原子との関係によって変わります。個々の原子には方向を選ぶ自由度が残っていて、より落ち着く方向に向きを変えられるということです。このような強磁性体の中では、局所的に向きのそろった小集団が発生します。磁区と呼ばれる構造です。注目しなければならないのは、小集団が生成された方が、それらの間にある境界(磁壁)が自由に移動して、外部磁界に敏感かつ線形に応答するようになるということです。逆に、全てが同一の向きに統一されてしまうと、変化に容易に応答できなくなってしまいます。磁気飽和と呼ばれる状態がこれです。
直感に反するようですが、これが磁性体を理解するポイントなので、先ほどの押し合いへしあいの車内のアナロジーで考えて見ましょう。小集団ができているので、境界には顔を向き合わせた人がいます。顔を向き合わせた人は、自分が反転すればもう向かい合わせにならずに済むかと思ったら大間違い、自分の後ろには自分と同じ向きの人がいたのですから、今度はその後ろの人と顔と顔を合わせるはめになります。要するに、境界にいる人はどっちを向いても同じなのです。全体の損得はどうでしょう。反転したことで得したのは、先ほどまで顔を合わせていた人です。しかし新たに顔を合わせることになった人は損で、得と損は全体として釣り合っています。混雑した車内の人間にとっては、向きを変えるのは、電車が揺れて隙間があくようなタイミングをはずすと、相当な力業でなければできません。だから我慢してしまうかもしれませんが、原 子レベルではこのようなことはありません。外部のわずかな磁界にも応じてスムーズに変化してしまうのです。

このような観察は、色々なことを学ばせてくれます。混乱した統率のない状態のようだが、部分部分としてはその方が変わりやすく、全体としての滑らかな変化を生みだします。変わりにくそうだが実は変わりやすいの「逆説」です。位置と方向をもつ要素の集団への着眼も重要です。これは単なる粒子より一段高度な要素の集団を考える第一歩になります。この例のように、向きの変化には一般に慣性が少なく、容易に瞬間的に起こり得ます。人間の視線や興味、あるいは動こうとする意志のダイナミックスがこうではないでしょうか。だからこそ、皆をどちらに向かせるかの統率力、ひきつける力、鼓舞する力が大切になります。危機的な状況であれば、なおさらです。皆がそちらを向けば、もうその時点でこれから動く方向は明らかでしょう。

図3.回転磁界漏洩磁束探傷による欠陥の方向依存性の検出と検出画像例。右上の画像はファラデー結晶(ガーネット)自体の指紋状の磁区構造と正常な鋼板からの漏洩パターン(結晶粒の配置)、下の2枚の画像は表面にカッターナイフで付けた傷付近からの漏洩パターンで、左は漏洩強度、右は漏洩磁束の駆動方向依存性を色相で示す。

私が、磁性体の仕組みに関心をもったのは、国内の鉄鋼メーカのプロセス計測技術者による品質高度化技術研究会への参加がきっかけでした。私は、この中で欠陥を磁気的に検出する技術を担当し、前回の記事でも紹介した時間相関イメージセンサを用いた磁気光学映像装置を開発しました。
鋼板に磁界を加えて内部に多量に発生する磁束は、疵があって磁束が通りにくい部分で外に漏れ出てきます。漏洩磁束探傷といって広く使われる技術です。開発した装置の特徴は、上図の左に示すように、回転する交流磁界を与えて、どの方向の磁界に対して強い漏洩が生じるかまで検出すること、もう一つは、ファラデー効果(磁界で光の偏光方向が回転する効果)を用いて、漏洩磁束を光に変えて画像として捉えることです。用いたファラデー結晶(ガーネット)自体も磁区構造をもっているので、白黒写真にはその指紋のようなパターンが写っています。カラー写真は、明度が漏洩磁束の強度を、色相が最大漏洩を与える磁界の方向を示します。

地震から1ヶ月、でも全貌が捉えられないほどの惨状には心が痛みます。しかし、逆境の中でもくじけることがないのが本当の力でしょう。私も、自分なりのペースを守り、日頃の不思議の観察と思考を楽しみながら、新しい課題へチャレンジし、できればセンサの開発につなげてゆきたいと思っているところです。