特定非営利活動法人 日本プロジェクトマネジメント協会 理事長

光藤 昭男

東京工業大学制御工学、MIT(マサチューセッツ工科大学 Sl...もっと見る 東京工業大学制御工学、MIT(マサチューセッツ工科大学 Sloan School MOT)修了。

東洋エンジニアリング株式会社産業システム事業本部プロジェクト本部長、株式会社荏原製作所取締役常務執行役員経営・事業企画統括・情報システム統括、IT エンジニアリング株式会社代表取締役社長、株式会社荏原エージェンシー代表取締役社長を務める。

特定非営利活動法人日本プロジェクトマネジメント協会理事長、2019年7月1日より特別顧問。

非営利特定法人日本プロジェクトマネジメント協会の理事長、光藤昭男です。8月に続き第二回目の「プロジェクト」と「プロジェクトマネジメント」に関してお話しします。

日本型プロジェクト遂行への高い評価

米国PMI(Project Management Insutitute)は、毎年優れたプロジェクトを世界中から発掘して、「The PMI Project of the Year」として表彰しています。千代田化工建設が受注・竣工させたカタールガスLNGプラントの建設プロジェクトに対して、1999年にこの賞が授与されました。契約金額は約三千億円です。欧米では、大型プロジェクトの遂行はオーナー側(発注者)の責任で進め、調達した機材費・工事費と消費した経費の実績値にコントラクターのフィーを付加してのせる契約が一般的でした。しかし、このプロジェクトは、一括請負契約に基づきコントラクター側(受注者)の責任で完成した超大型プラントということで、画期的だとの絶賛を浴びました。オーナー側の立場から見ると、契約時に投資資金、納期、プラントの性能などが概ね確定します。この契約は、投資主要項目が、建設が終わる数年後まで確定しないフィー契約と比べると、投資・資金計画が確実で事業見通しが立ち易いと言えます。投資家にとりリスク低減は、不可欠の意思決定要因です。その前提として、安心して多額の資金を投じ、一括請負契約を任せられる信頼関係の構築が不可欠です。それまでにも多くの日本企業が、国内はもちろん東南アジア・中東でも同様の契約で受注し、成功裏に引き渡し、この信頼関係を築いてきました。日本型プロジェクトマネジメントへの高い評価がありましたが、この受賞を契機に日本のプロジェクト遂行の優秀さが世界に認知されたと云ってよいと思います。

KDDと三現主義のプロジェクトマネジメント

私が経験した石油系プラント建設プロジェクトを中心に、1980年代の日本のプロジェクトマネジメントの状況を振り返ってみます。当時のプロジェクトマネジメントは、「KKD(勘、コツ、度胸)」と揶揄されることがしばしばありました。

一方で、プロジェクト実施面での「三現主義(現場、現物、現実)」は徹底していました。プロジェクトマネジャーが、ホストコンピュータから打出される厚み数cmの月次の実績データ、手書きの青焼化したA1版の“プロジェクト計画表”、 普及したばかりのHP社の電卓を片腕に抱え、“現場”(設計、製造、輸送、建設などの現場)に赴き、専門技術担当者の机の脇の小さなスティール製ごみ箱に座り込みます。「どうだ?うまく進んでいるか?問題はないか?」と云いながら、図面や設計書の“現物”をじっくりと見て進捗を“検分”します。雑談しながら担当者の話の裏を取り、次の担当者の席へと向かいました。週定例会議や月例会議を開催して、なるべく早く問題の兆候という“現実”の発見に努めました。“勘”の良さ、調べや説得する“コツ”に基づき、不十分な情報のもとでも決断し、指示の徹底を図ります。部下やチーム員に動揺を与えない“度胸”も必要でした。前回のコラムで触れた、中島みゆきが歌うNHK番組「プロジェクトX挑戦者たち」は、不思議にこの頃の雰囲気を思い出させる響きがあります。

既に米国流プロジェクトマネジメント手法は一部導入していましたが、今から振り返ると断片的で個別的だったと思います。いわゆる経営資源の“三要素”である「ヒト・モノ・カネ」と「計画表」を中心に管理していました。プロジェクト毎の実績データは全社ホストコンピュータに集約され、プロジェクト毎に整理されていました。しかし、各種データは統合されておらず、それぞれ個別の予実管理(予算対実績)でした。

日本企業のプロジェクトの遂行では、日本人が主要で重要なマネジメントの役割を担い、二次的な業務を人件費の割安な国内外の協力者や企業に発注していました。図面や設計図書などプロジェクトの遂行に必要な図書類は「形式知」化されています。「よろしく」に込められた意味深く濃密なコミュニケーションは、“阿吽の呼吸”の世界に通じる「暗黙知」を利活用するための“暗号“でした。

金額が合えば、以前と同じメーカーや同じ設計者を使います。通じ合う「暗黙知」が出来あがっているからです。お互いにどの精度のデータがどのタイミングで出てくるか、遅れる癖があるのか、いい加減な人か几帳面な人か判っていれば仕事の段取りも立てやすくなります。段取りが終われば、仕事は八割方済んだのと同然だといういうことを“段取り八分”と言いますが、事前に定めた段取り通りに進めばプロジェクトは順調と云えます。

現場では、チーム員がお互い期待を裏切らない様に頑張りました。さまざまな問題は現場から生じることが多く、問題を極力早期に発見すれば、現場中心に解決を図ることで、良い結果が得られること知っているからです。類似のプロジェクトはありますが、全く同じプロジェクトはありません。都度起きる問題に対処するには、「形式知」だけに頼って解決を図るには、無理が生じ、時間を必要とし、遅延を生じます。多くの日本人は、上意下達的一方向の指揮体制よりも集団主義を、整然とした役割分担よりも多少でも重複した協働作業を、個人よりもチームで働くことを得手とし、職場満足を感じました。良い結果も出して来ました。効率や生産性の問題も指摘されていますが、日本人や日本の風土が、良いスパイラルで好回転していた時期でした。

「暗黙知」を昇華して、「形式知」にして、「実践知」を育むということが重要だという研究報告(野中郁次郎ほか)がされています。特に、現場力の強い日本と日本人の仕事の進め方は、この通りに日常業務の中で体現化していると思います。これが、前回のコラムでお話しした、プロジェクト実施面で、「暗黙知」を最大限利活用した典型的な仕事の進め方と云えます。たとえ異文化間であっても、類似の経験を繰り返す事で、「暗黙知」を活かす仕事の進め方が可能であり、効果的であると云えます。

プロジェクトマネジメント”知識体系”

プロジェクトマネジメント“知識体系”は、1987年に米国PMIから発刊され徐々に普及してきました。プロジェクトマネジメントの知識体系を初めて学んだ時、新鮮な科学の香りを感じたことが忘れられません。科学の方法論は“分割と統合”が基本です。そこでは、まず“仕事の範囲”を正確に特定した上で、仕事を“分割”して細分化するWBS(Work Breakdown Structure)を作成します。仕事を進める際に、担当者間の抜け落ちや重複を防ぐことはエラー防止に大切ですが、そればかりでなく、全体の仕事を一目で管理出来るまで細分化します。この最小単位を WP(Work Package)といい、WPごとに「ヒト・モノ・カネ」を関連付けて分割・細分化し、管理し易い単位にします。各種の管理データや分析結果が、慣れれば直観でも判るという手法ですので、KKDとも共存できます。重要な点は、細分化されたデータを目的に合わせて“統合”し、特定の指標に合わせたプロジェクトの分析や評価が出来ることです。プロジェクトの進捗や問題点を、データに裏付けられた上で、合理的な分析をするのです。さすが米国発の“科学”だと感心しました。

実際に“科学”を本格的に実現するためには、知識体系を獲得したプロジェクトマネジャー(プロマネ)の決断だけでは無理があり、経営者の理解を得て、会社レベルでのプロジェクトマネジメント体制・規則の変更が必要です。科学的手法には、日常的なツールになったパソコンとネットワークの更なる性能向上も必要です。さらに、多くのチーム員は、プロマネのリーダーシップだけでなくボトムアップで現場の意見を反映させること、重複のない分業よりもお互いカバーし助け合うこと、このことで仕事上の達成感や一体感が得られ、働き甲斐や満足感が得られると発言しています。これらの事項は、知識体系の優れている点とは別の次元の内容です。マイクロソフトWindows95が出た頃に、プロジェクト担当者の有志達は、知識体系の勉強会を熱心に行っていました。パソコンが普及した頃、使い勝手は悪いにせよ電子メールが日常的に使えるようになると、電話で怒鳴ることも減ってきたように思います。知識体系の部分的適用や良い処取りは進みましたが、諸々の理由から全社で本格的な実務への適用には至りませんでした。

グローバル化の進展

ベルリンの壁の崩壊が1989年11月9日に始まり、冷戦が終わりました。以降、地球の全人口の半分である25億人の低賃金の人々が、一斉に世界経済に組み込まれました。コモディティ製品は、中国を中心とした新興国で生産、輸出されることで価格低下傾向にありますが、それに伴い先進国のコモディティ製品関連の産業では職場が奪われるか、年収の低下が起きています。世界は、高収入の高度な業務と新興国の賃金に限りなく近づく中低度な業務とに二極化しつつ、アウトソーシングという名の業務の分業化が進んでいます。どの業務、どの製品にも新興国の影が伴います。近い将来には異文化の人々と、プロジェクト業務の遂行面での混成・共働・融合が今以上に進むことは間違いありません。

日本が世界に冠たる経済大国第二位を占め、スイスIMD(International Institute for Management Development)が毎年発表する競争力ランキングで上位を独占していた時期は、この様な日本と日本人の特徴も、欧米からも好意のまなざしで見られて、“カイゼン”は世界に広まりました。今、日本と日本人の流儀を外国人が理解するために割く時間とお金は、ばかにならないと感じ始めている現実があります。日本製品への高い評価はあるにしても、中国・韓国のエクゼクティブは、グローバルスタンダードを理解しようと努力し、積極的な動きをしています。同国の若手も欧米の大学に大挙して留学しています。日本が強い業種の世界的コンベンション・コングレスでも日本人の姿が目立たなくなってきているそうです。

ハーバード大学の調査でもこの傾向を裏付けています。同大・異文化コミュニケーション専攻の教授は、外国人の上司が日本のビジネス文化を理解しないという訴える若手日本人に対してこう云っています。「世界中の企業はお互いに文化を超えてつきあうやり方を学びつつあるんですよ。日本だけが、この“グローバルなビジネス文化”に参加しないですむと思いますか?」と。欧米のコミュニケーション流儀に近い中国・韓国だけでなく、新興国の動きは素早く、教授が大好きでたまらないという日本人に心から警告を発しています。

再び「メード・イン・ジャパン」

これらの事実は、当然ですがプロジェクトマネジメントの分野でも避けて通れません。日本人が、日本的な方法を中心にプロジェクトを進めるビジネス環境は少なくなります。合理的な米国発知識体系と今回述べた日本的強みを組み合せ、業務達成だけを目標とせず、事業改革や価値創造を狙う方法論が日本で開発されています。それは、“プロジェクト&プロラムマネジメント(P2M)”と言います。

前回号で触れました、福島第一原発事故の国会事故調査委員会の最終報告英語版で「この原発事故はメード・イン・ジャパンだった。・・・事故の根本原因が日本人に染みついた習慣や文化にあると批判。権威を疑問視しない、反射的な従順性、集団主義、島国的閉鎖性などを挙げ」ました。次回(12月)は、日本と日本人の特長を活かしたプロジェクト遂行手法であるP2Mとその特徴についてお話しします。