東京大学 名誉教授 / 名古屋大学 名誉教授 / 大阪大学 医学部 招聘教授 / 立命館大学研究教授

生田 幸士

1972年 大阪府立住吉高等学校 卒
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1972年 大阪府立住吉高等学校 卒
1977年 大阪大学 工学部 金属材料工学科卒業
1979年 同学 基礎工学部 生物工学科卒業
1981年 同大学院 博士前期課程物理系・生物工学専攻修了
1987年 東京工業大学 大学院 理工学・EE、究科 博士後期課程・制御工学専攻修了 (工学博士)
同年4月より米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校ロボットシステムセンター 主任研究員
1989年 東京大学 工学部 計数工学科 専任講師
1990年 九州工業大学 情報工学部 機械システム工学科 助教授
1994年 名古屋大学大学院 工学研究科 マイクロシステム工学専攻 教授
2010年4月 東京大学大学院 情報理工学系研究科 システム情報学専攻 教授
2010年10月 東京大学 先端科学技術研究センター 教授 (兼務)
2010年秋 紫綬褒章受章
2019年 東京大学 名誉教授 / 名古屋大学 名誉教授
2019年 大阪大学工学研究科栄誉教授
2020年 大阪大学  医学部 招聘教授

1996年-2001年 日本学術振興会 未来開拓学術研究推進事業 複合部門「生命情報」推進委員
「人工細胞デバイスの開発」プロジェクトリーダー
2003年より 21世紀COE研究サブリーダ
2004年より2009年 名古屋大学 高等研究院 研究員併任
2004年より2009年 科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 CRESTタイプ プロジェクトリーダー

所属学会
IEEE,ASME,日本機械学会,日本ロボット学会(理事,会誌編集委員長),日本ME学会(会誌編集委員),
日本コンピュータ外科学会(理事)等会員.

私のような研究者は学会などで国内だけでなく世界中を訪問してきた。しかしあるとき、広島の原爆資料館を見学したことも、被爆者の話も聴いたこともないことに気づいた。広島在住の知人に原爆の語り部の紹介を依頼した。

最初の出会い

2007年秋、面談場所に指定された原爆資料館の売店に行くと、知人とソフトクリームを食べている子供がいた。近眼の私は近づくにつれ、ソフトクリームに集中しているのが子供でないことに気づいた。それが被爆の語り部である宇根利枝(うねとしえ)さんであった。宇根さんには失礼かもしれないが、第一印象は、「可愛いお婆さん!」。高橋留美子の漫画に出てくる小さい聡明なお婆さんを優しくしたイメージであった。

宇根さんと生田

ソフトクリームと宇根さん

近くの国際会議場のレストランに移動し、顔写真付きのカラー名刺をいただいた。「自分の記録のために、ビデオカメラで撮影させていただいてもよろしいですか?」と聞くと、「いくらでも撮って、みんなで何回でも観なされ」と快諾。卓上三脚でカメラをセットすると、宇根さんは休憩もなく2時間余り原爆投下時の体験を語られた。幼児のような小さな口からこぼれ出る言葉は耳には優しく洗練されたものであったが、内容は非日常の異世界のものであった。私の質問にも答えながらご自分の体験と当時の惨状を口移しするかのように語られた。すぐさま私の周りは原爆投下直後の広島になった。

原爆が投下された8月6日、宇根さんは広島市の南にある比治山の軍需工場の保育所で保母さんをされていた。幸いにも山が防護壁となり直接被爆は免れた。しかし鍋の煮物はぶっ飛び、かまどの火は消えるほどの爆風でひっくり返った。庭で遊ぶ子供たちを探しに奔走していると、爆心地方向から歩いてくる大勢の人々と出会う。髪は逆立ち、両手を前に出し、熱でただれた皮膚をまとうようにして無言で歩く被爆者の行列であった。

ジェスチャーで水を懇願する被爆者に宇根さんは「少し待っておいてね。すぐ水を持ってきてあげるからね」と言って水汲み場に戻ると、「爆弾のせいで水には毒が入っている。飲ましたらすぐ死んでしまう。飲ませたらだめだ」と言われ、結局水を届けられなかった。死を前にした被爆者にとって、結果には大差はないことであった。しかし当時は知る由もない。これが後年、宇根さんの「献水活動」(けんすいかつどう)の原点となった。

献水活動から平和の願いへ

献水活動とは、広島各地の被爆慰霊碑120カ所に清水を献上し、霊を慰め平和を祈願することである。宇根さんが戦後10年目、山で出会った滝の水の清らかさに感動し発想された活動である。軽いペットボトルや移動が楽なキャリーバッグもない昭和30年、重いガラスの一升瓶に清水を汲み、リュックサックで各地の慰霊碑をめぐられた。すでに修行の世界である。散在する慰霊碑まで徒歩や電車、舟で水を献上する活動を人生の半分以上、60年近く継続されてきた。2012年2月に亡くなるまで、2リッターのペットボトルを数本入れたキャリーバッグと伴に行動されていた。

宇根さんが他の語り部と違うところは、体験の伝道者であるだけでなく、献水活動と数々の平和運動を実行されてきたことである。興味のある読者は、宇根さんをネット検索して欲しい。Youtubeでも宇根さんの動画や肉声を聴くこともできる。

教え子との再会

2008年5月宇品港に近いグランドプリンスホテル最上階でランチをご一緒した。五月晴れの瀬戸内海を眼下に見渡せるレストラン。宇根さんに「天気良いから、写真撮りましょう」と言うと、さっさとガラス窓のそばに行き、瀬戸内海を遠く眺める決めのポーズ。カメラ目線でないモデルとしての振る舞いには、同席の知人と目を合わせてしまった。高いプロ意識に感銘である。NHK番組のプロフェッショナルに推薦すればよかった。

アングルを変えて撮影していると、「宇根先生じゃありませんか?」と言う声が聞こえた。振り返ると、隣のテーブルで会食中の中年女性達の一人が発した声であった。その女性は宇根さんの幼稚園の教え子であった。別の女性は絵本作家であった。何十年かぶりの再会に興奮した教え子たちは宇根さんを囲み、しばし濃い時間を楽しんでいた。

レストラン眼下、正面にある円錐形の島が似島という。戦時中ここには野戦病院があり、一万人以上の被爆者を船で運び治療したが、大半の方が亡くなった。この日は被爆者への国や市民の対応と、宇根さんの清水収集と滝業など、戦後の活動について講義を受けた。瀬戸内海の紅い夕日が悲しさを倍増した。

(「宇根 滝」とネット検索すると、宇根さんの滝業が掲載された記事が出てきます)

瀬戸内海を臨むホテルにて

瀬戸内海と未来をみつめる宇根さん

宇根さんの最終講義

2011年11月、広島市内の新聞社の会議室での面談が宇根さんからの最終講義となった。前年秋に私が紫綬褒章を受け、そのお祝いをしたいと言われていたものである。会議室での宇根さんは水戸黄門の風情であった。左右に中年男性を従え、ソファの真ん中で木製の杖を持った宇根さん。印籠の代りは小さい紙箱。

「お祝いしたくて、ずっと待っておったんよ」「これお祝い」と言って、机の上に手づくりの品を置かれた。宇根さんの名刺を貼った小箱の中には、千代紙製の緻密な折紙の数々と折り紙のコマ。阪神大震災由来のはるかのひまわりの種。宇根さんの絵本。そして水戸黄門の杖。

杖は、アカザ(藜)という一年草の幹を乾燥させ、丹念にニスを塗って仕上げたものである。手に取ると予想を裏切るほど軽く驚く、アルミの杖の半分以下の重量。しかし強度と曲げ剛性は十分で立派に杖の役目をする。帰宅後ネットで調べると「アカザの杖」は昔から作られていたが、今や貴重な高級品。機械屋の父も感動していた。

「原爆が落ちた後、食べるものがなくてね。いろんな植物を試した結果、アカザを煮たものが唯一食べられたんよ。このこと、先生に伝えましたからね。」

左右に従えた男性の一人が、青い葉が付いた植木を持参されておられ、一枚の葉を取るなり、口元に当て草笛の演奏が始まった。哀愁を込めた楽曲を一音も外さず見事な演奏をされた。この方は、草笛日本一の方で、今日のお祝いの席に音楽を沿えるために連れてこられた。もう1人は社長さんで、ネットブログ担当。今日は宇根さんの運転手。どちらも献水活動の仲間であった。やっぱり水戸黄門。

宇根さんを主人公にした絵本をいただいた。可愛い宇根さんのイラストが満載で、幼稚児でも理解できる宇根さんの語り口の絵本であった。宇根さんは「献水にも若い後継者が見つかったんじゃ」と嬉しそうに話されていたのが印象的であった。

別れ際、宇根さんからの沢山のプレゼントを入れた紙袋と自分のキャリーバッグを持って歩き始めると、台風のように宇根さんが飛んで来られ、笑顔で「紙袋は、このバッグの上に乗せると楽なんじゃよ」。もちろん知っていたことだが、こちらも満面の笑顔でお礼を言って別れた。

年が明け、2012年2月10日午後、知人から宇根さん逝去を知らせる電話が入った。宇根さんはご自宅で昼ごはんもすませ、知り合いとの会話中に意識が無くなり、お亡くなりになったとのこと。失礼かもしれないが、家族に迷惑かけない最後であった。宇根さんらしいねと知人に言うと、数年前、ホテルで湯舟に沈んでいたところを救命されたことがあると聞いてびっくり。戦後も多くの苦労を乗り越えての大往生だと感動。

原爆ドームの奇跡

お葬式には参列できなかったが、後日、一人で墓参りをした。宇根さん好物のメリーズのチョコレートを供えて近況報告した。水入れグラスの水垢をピカピカに洗浄したのが唯一のお礼。

帰途、元安川のそば、平和記念館を見下ろすホテル最上階のカフェで、紹介者の知人に墓参りの報告をした。

  「でも宇根さんはお墓にはいませんよ。風になってられると思います」
  「そうだね。きっと日本中の戦争慰霊碑に献水して回ってるね」
  「5年前に原爆資料館で会った時のこと思い出すね」

思い出話をしつつ知人の後に見える原爆ドームに視線をやると。

  「ドームの上に虹が見える!」
  「雨も降ってないのに? 本当だ。小さい虹ですね」
  「あれ、宇根さんの虹だよ」
  「そうですか?」
  「だって献水の宇根さんなんだよ」

虹はすっと消えてしまった。2人に発見され安堵したかのように。

  「ちゃんと伝えましたよ」

宇根さんの声がした。