新川電機は2027年に創業100周年を迎えます。これまで歩んでこられたのも、地域の皆様の支えあってこそです。

全国に広がる拠点では、それぞれの地域で様々な取り組みを行っています。
「シンカワJourney」と題して、各拠点の歴史や活動を旅するような気持ちでご紹介していきます。
当社をより身近に感じていただけると幸いです。

今回訪れるのは、広島本社です !

広島本社って、どんなところ ?

広島市中区にある広島本社には、約40名のスタッフがいます。人事、総務、SECカレッジ (教育) 、経理、監査、調達、品質保証、情報システム、健康経営推進…って、陰陽師の呪文のようですけど、要するに『会社の縁の下の力持ち』が全員集合している場所です。
野球でいうと、ベンチにいる監督やコーチ、トレーナーみたいな存在。全国でお客様にサービスを届けている社員たちが「今日も気持ちよくホームラン打てたぜ ! 」って思える毎日を、ここから支えています。
地味 ? いいえ、渋いんです。

広島本社のオフィスは、シーンとしていることが多いです。
みんな真面目に働いている。電話が鳴っていたり、相談し合う声が聞こえるが、パソコンのキーボードを叩く音だけが響いていることもあります。わたしは静かな空間が苦手なのだが、ここの静けさは悪くない。集中しているだけで、ピリピリしてはいません。ちょっと暗い雰囲気だけど、決して陰湿ではありません。

でも、誰かが「あの…」と、つぶやいた瞬間、空気が変わる。
「昨日のカープは最高じゃったね ! 」 「最近調子がよさそうだけど、どうしたん ? 」
話に花が咲く。咲きすぎる部署もある。

職場風景

歓談風景

これは、縁側でお茶を飲みながらほっこりする、あの感じ。派手じゃないけど、じんわり温かい。わたしはこういう盛り上がり方が好きです。
共有スペースでは、コーヒーを飲みながら仕事をしている人がいる。休憩している人もいる。20代から60代まで、年齢はバラバラだけど、みんな自然体です。
地味 ? …はい、結局地味です。でも、安心できます。

創業の地・広島と創業者・新川浪登

広島は、1945年8月6日、世界で初めて原子爆弾が投下された街です。
新川電機の創業者・新川浪登は、1927年に個人商店を始めました。でも時代は動乱期。日本が戦争へと突き進み、社員は次々と徴用され、戦地へ送られました。店は開店休業を余儀なくされる状態にもなりました。
戦争を生き抜いた新川浪登については、50年史のインタビューにて以下のように語られています。
「約束したこと、依頼されたことに対して、繊細な神経をもって応え、確実に実行にうつしていく」
きっと、失うものが多すぎる時代を経験したからこそ、何よりも人とのつながりを大切にして誠実さを心がけていたのではないでしょうか。

「平和」って、何だろう ?

平和公園

【平和 -へいわ-】
戦争もなく世の中が穏やかである・こと (さま)
争いや心配事もなく穏やかである・こと (さま)

広島の小学生は、大抵学校で平和学習をします。原爆ドームに行って、資料館を見て、被爆者の方の話を聞いて。「平和って何だろう ? 」って、真剣に考える時間があります。
わたしも子どもの頃に平和学習をして、考えました。「平和」って、なんかふわっとしていて難しい。でもきっと、「朝起きて、ごはん食べて、友だちと笑って、家に帰れる」っていう当たり前が、ずっと続くこと。それが平和かな、とわたしは思いました。

新川電機は、そういう「根っこの部分の穏やかさ」を大事にする会社でありたいと思っています。穏やかさの源は「安心」だとわたしは考えています。いつも通りに機械が動いたり、いつも必要な作業が楽になったり、大きな事故が起こらないように普段を見守り、危険を察知すれば知らせてくれる。

派手なことではないかもしれない。でも、安心して仕事に取り組める環境をつくる仕事。一緒に仕事をしていると「なんか安心する」って思ってもらえる会社。明日も明後日も、変わらずそこにある会社。
そんな存在として、100年、200年と続いていきたいと考えています。

広島本社のあゆみ

1968年完成の広島本社社屋

新川電機は広島で生まれました。最初はなんと、創業者の自宅の一角からスタート。たった3坪です。3坪って、ワンルームより狭いです。

1946年、戦後すぐに新店舗を新築しました。焼け野原から這い上がるように。
1953年には広島の目抜き通り「平和大通り」沿いの三川町へ移転。その後1968年に本社社屋が完成して、そこで53年間働き続けました。53年、半世紀以上。
そして2021年、同じく平和大通り沿いに面した広島グリーンビルへ引っ越し。今はここから、バトンをつないでいます。

地域に根づいた会社 (イベント盛りだくさん ! )

平和大通りは、長さ4 kmの大きな道路です。通称「100 m道路」。本当に道幅が100 mもあり、もはや広場。
ここでは一年中、いろんなイベントが開かれます。

春:フラワーフェスティバル

広島最大のお祭り ! 花車パレードを見ながらビール飲んで、ステージで踊って、屋台でたこ焼き食べて。大型連休なので大賑わいです。

夏:とうかさん大祭

夏の始まりを告げるお祭りで、浴衣を着た人たちでごった返します。「今年こそ浴衣デビューするぞ ! 」って毎年思う。

冬:ひろしまドリミネーション

イルミネーションがキラキラで、寒いのに外歩きたくなる魔法。広島本社からは秋ごろの設営から撤去まで一部始終を見ることができます。

そして、カープが優勝したら……絶対に優勝パレードがここを通ります !
待ち遠しい…… ! こ、今年こそ…… !

創業からもうすぐ100年。新川電機は地域に根づいた企業として、こうした地元のイベントにも協賛しています。地元愛、はんぱないです。平和大通りで開催される、とうかさんやドリミネーションのほかに、宇品港で行う広島みなと夢花火大会などにも協賛しています。

広島みなと夢花火大会

とびっきりの広島本社社員を紹介

情報システムグループ Hさん

Q.どのような業務を担当していますか ?
主に社内システムの保守運用、改修対応などを行っています。

Q.入社してから一番変わったことは何ですか ?
体重です。社会人になって自由にお金を使えるようになったので、好きなものばかり食べていたらかなり増量してしまいました。

Q.今後の野望は何ですか ?
最近、銭湯でゆっくりすることが趣味になっているので機会があれば全国の有名なところをめぐってみたいと思っています。

経理課 Fさん

Q.どのような業務を担当していますか ?
大竹支店の支払や入金をメインで担当しています。

Q.今まで一番印象に残っている出来事は ?
1番と実感している出来事はありませんが、入社して1週間経過したご褒美に、同じフロアの皆さんとケーキを食べたことです。

Q.入社してから一番変わったことは何ですか ?
髪色かもしれません。黒髪から茶髪に変わり、長さも短くしたこともあり、当初は出会った方々に驚かれました。

Q.社内で憧れ・尊敬できる方は誰のどんなところですか ?
私の思いに耳を傾けてくださり、指導やアドバイス、時には思いが叶うよう自発的に行動された、Sさんを尊敬しています。

Q.今後の野望は何ですか ?
到来した好機は逃さず、人から推されるような人材になりたいです。

執筆者からのご挨拶 (本音トーク)

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。執筆を担当した人事課の光井です。

突然ですが、広島は今、若者の県外流出率が全国1位です。悲しいけど…わかります。わたしも大学生のとき、「東京 ! 渋谷 ! 表参道 ! キラキラ ! 」って憧れていました。でも叶わず、広島に残留。当時は「人生終わった……」くらいに思っていました (ごめんね、広島) 。

新川電機に入社して数年たった時、数ヶ月だけ東京で働く機会がありました。めちゃくちゃ楽しかった ! 最高 ! ! 東京本社の人たちも、お店も、場所も、東京にいる友達もキラキラして見えて「これが都会か…… ! 」って大興奮。
でも広島に帰ってきたとき、すごくほっとしている自分がいました。
電車が時間通りに来る安心感。知っている景色。すれ違う人の穏やかな表情。夜、静かに眠れること。ああ、わたしは広島で働いて、広島で暮らすのが向いているんだな、って。

暮らすなら広島。刺激が欲しくなったら、新幹線で東京に出かけて行けばいい。飛行機で世界にだって行ける。
「広島を拠点に、世界を知る」
新川電機がやってきたことと、同じなのかなと思いました。
根っこは広島に張って、枝は遠くまで伸ばす。そんな木みたいな生き方が、わたしは気に入っています。

ぜひ一度、あなたの場所から、広島に来てみてください。
お好み焼きとカープと平和大通りが、待ってます。あ、わたしも待ってます。

広島本社の旅はいかがでしたか ?

これまで4拠店を旅をしてきた「シンカワJourney」。
全国各地に広がる新川電機の魅力が少しでも伝わっていれば幸いです。

今回紹介した以外にも、新川電機は全国各地に拠点があり、日々地域に根付いた活動を行っています。
紹介できていない地域もいつか紹介ができればと思っています。
またその日まで。Bon Voyage !