青山システムコンサルティング株式会社 顧問

岡田 圭一

1983年 明治学院大学 法学部 法律学科 卒
...もっと見る
1983年 明治学院大学 法学部 法律学科 卒
1983年 日本通信工業株式会社(現 NEC プラットフォームズ株式会社)
1988年 キヤノン販売株式会社(現 キヤノンマーケティングジャパン株式会社)
1998年 日本ゲートウェイ株式会社
2000年 アジアパシフィックシステム総研株式会社(現 キヤノン電子テクノロジー株式会社)取締役
2003年 OKADA Business Engagement Consulting 代表
http://okadabec.blogspot.com/

セールス&マーケティングコンサルタント、ビジネスエンゲージメントコンサルタントとして中堅中小 IT 系企業の顧問、相談役、アドバイザー、監査役、社外取締役等々累計 27 社
現在に至る

東京都世田谷区出身 / 三鷹市在住

趣味 写真、写経、読経
Facebookフォトアルバム https://www.facebook.com/okadakeiichiface/photos_all
富嶽三十六”圭” http://img.gg/RPwNACA
二十四節気七十二”圭” http://img.gg/HvNKVuJ

私よりはるかに有能な後進後輩たちが先に鬼籍に入る報に『凡夫の先輩とは言え経の一つでも手向けられれば…』との思いから勤しみ始めた観音経は大乗仏教の代表的な経典である法華経の一部。長い長い経典でその一部を観世音菩薩普門品第二十五偈と、言わば日々唱える日々写経するために 600 文字程に要約された偈文を諳んじられるまで二有余年。

最も多くの時間を空費し艱難辛苦を味わったのが十三の “念彼観音力” という経文が織り込まれる 260 文字。十三回も反復されると出来の悪い頭ではまさにトラップが如く混線混乱の罠に陥る。

衆生が飽きぬよう用意されたような困難さと、衆生も思わず吹き出してしまいそうな荒唐無稽な現世ご利益例え話という二面性を持つ “念彼観音力” 260 文字部分を私家的に逍遥してみたい。

奇しくも 5 年越し観音経写経 100 巻の発願成就を迎える年にこのようなコラムの機会を頂くというも此れ私にとっての現世ご利益かと思いつつ。

二十四節気七十二”圭” 写真集

還暦は男の最後の厄年ゆえ厄払いを兼ね昨年 6 月に高尾山薬王院『信徒峰中修行会』という体験山伏修行に参加してきました。山中回峰行、滝行、千巻経、写経、柴燈大護摩等一泊二日の勤行です。

薄暮の薬王院本堂で揺らぐ燈明を前にあらん限りの声で参加者 100 名が般若心経を一時間、一心不乱に唱え続ける千巻経という勤行は日頃出したことのないような大声を長時間発する事での酸欠状態と足の痺れからちょっとしたトランス状態に。片や勤行中私語禁止ゆえ無口無言が日常の喧騒から身を洗い清めてくれるような感。早暁、観光客の全く居ない大天狗小天狗像、仁王門の先には白む地平に揺らめく都心のビル群。見上げれば天高く夏の大三角。

 

昨年の『信徒峰中修行会』参加で一つ大きな教えを得ました。

 

《皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)》

 

懺悔文の一節ですが俗世に戻ってからネットで調べるに「人間が人間になる前から三毒 “貪瞋癡” は身に備わっていた。」という解釈に行き着きました。むさぼり・いかり・馬鹿なことをしでかしてしまう愚かさはサルの頃から人間に備わっている、という教え。

前号前々号でも記した、全ての衆生に観音性は備わっているという教えとは真逆のようですが、共に通じるはそれに「気づけ、気づいて欲しい、きっと気付けるよ」という釈尊の願いと教え。還暦厄払いと共に大きな収穫を得られたような一泊二日の勤行でした。

前号でも触れた通り、今の時代、働き方そのものが法、ルールで縛られ、現実との狭間でにっちもさっちも行かなくなったときには人間が人間になる前から三毒・貪瞋癡は身に備わっていたのだと敢えて開き直ってしまい、開き直ることでフッと空ずる…我に返るというコツ・智慧を高尾山薬王院『信徒峰中修行会』で得られたものと有り難く思い返されます。とはいえ山の 6 月ゆえに滝行はかなり凍えましたが…。笑

 

では本題に戻り “念彼観音力” 最後の五節に触れてみましょう。

 

或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害

『わくぐあくらせつ どくりゅうしょきとう ねんぴかんのんりき じしつぷかんがい』

「人を喰うという鬼やもろもろの化け物に遭遇しても、観音の力を心に念ずれば、害される事はないであろう。」

 

悪獣圍繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無邊方

『にゃくあくじゅいにょう りげそうかふ ねんぴかんのんりき しっそうむへんぽう』

「猛獣に囲まれ鋭い牙や爪をたてられた時も、観音の力を心に念ずれば、猛獣は果てもない彼方へ走り去るであろう。」

 

玩蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 念彼観音力 尋聲自回去

『がんじゃぎゅうぶつかつ けどくえんかねん ねんぴかんのんりき じんじょうじえこ』

「猛毒を持つさそりやへび、まむしが襲ってきても、観音の力を心に念ずれば、その声を聴いて自ら逃げ去っていくであろう。」

 

雲雷鼓掣電 降雹濡大雨 念彼観音力 応時得消散

『うんらいくせいでん ごうばくじゅだいう ねんぴかんのんりき おうじとくしょうさん』

「いかずち、稲光、ひょう・あられを降らせる自然猛威、観音の力を心に念ずれば、雷雲は消散するであろう。」

 

諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散

『じょうじょきょうかんじょ ふいぐんじんちゅう ねんぴかんのんりき しゅうおんしつたいさん』

「兄弟喧嘩や夫婦喧嘩にはじまり友人隣人に至るまでのあらゆる争い事や、紛争や戦争の恐怖に巻き込まれても、観音の力を心に念ずれば、人々の持つ恨みや憎しみは消え去るであろう。」

 或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等、若悪獣圍繞 利牙爪可怖、玩蛇及蝮蠍 気毒煙火燃、雲雷鼓掣電 降雹濡大雨 これら全てが “皆由無始貪瞋癡”、つまり人が人になりうる前から備わる三毒の心を表しているのではないかと。そしてそれに自ら気付けることが出来ればそれら厄災をおのずと避けられることを例えているのではないでしょうか。

諍訟経官処 怖畏軍陣中 は自らの力では避けようもない外界要因での艱難苦難、前号で記したかの伊藤忠中興の祖:瀬島隆三氏の体験されたような艱難辛苦の抑留生活を表しているのではないかと。置かれた立場を呪うことは誰しもできる事ですが、母の言葉を信じ自ら光明を見出す、我に返る、落ち着きを取り戻すといった空ずるコツ…に気づけよとの釈尊の願いではないでしょうか。

 

念彼観音力の文言を敢えて十三回も反復することで、安易に覚えられないような仕掛けを凝らし、かつあり得ない様な例え話を繰り返し、しかしその裏には深い教えと凡夫衆生の意識記憶に飽きぬように残るように、との工夫と願いが込められているように感じるところです。

 

さて、諳んじられるようになる為の一助として始めた観音経写経 100 巻の発願も『令和』最初の元日には晴れて満願成就の見通しとなりました。

一巻 600 文字 3 時間超。5 年に及ぶ難行苦行でした。夏場は額や顎から汗がしたたり落ち、冬は手がかじかみ墨が硬くなり、都度字は乱れ、もぅやめようか…といった煩悩が頭をもたげること多々。

とはいえ都度タイミング宜しく人生の先輩方からの支えや教えという縁尋機妙・多逢聖因も多々あり、凡夫なりにも何とかたどり着けそうです。

 

で、満願成就達成後の “手書きの 100 巻” はいったいどうするのか? との質問を頂きますが、写経したものは寺に納経する習わしが一般的で特に観音経については近い所では秩父三十四所観音霊場や坂東三十三観音霊場等も有るので納経に困ることはないのですが、私は霊場周りの時間はライフワークでもある 富嶽三十六”圭” に費やしたいし…。

で、色々考え結論は “熊出没注意!” といった獣道での写真撮影も行う我が身ゆえ、何かあったら棺中にその 100 巻を収めるよう家族に頼みましたところ『馬鹿じゃないの!』と笑われてしまいました。

長年営業で煩悩三毒コンプライアンス無視といった罰当たりな行いを続けてきた我が身。六文銭だけではこと足りぬと思ったゆえの考えなのですが凡夫の家族ゆえ理解いただけないようです。笑

 

専門的に仏教教育なども受けたことの無い営業老兵の与太話にお付き合い頂き有難うございました。

かのエイトマンの桑田次郎先生が描かれた『マンガで読む観音経』から始まった本コラムですが締めくくりにもう一冊。松原泰道師は『観音経入門』にこう記されています。「観音とはあなた自身の事である」と。

南無大悲大慈観世音菩薩 オンアロリキヤソワカ