暦の上では立春ですが、まだまだ寒さ厳しい日々が続いていますが、2月3日は筆者の誕生日、2月4日は修士論文提出日ということで、少し清々しい気持ちになれます。
立春に想う

小生は、今年で62歳となりましたが、正式には定年延長期間にあり、リタイア前の教授の年長組に属しています。ずっと前にリタイアされた名誉教授の先生で、社会からの風当たりを引き受ける役目という意味で現役最年長の状態を「むきだし」と呼んでおられた方がいらっしゃいました。目下、SIP革新的燃焼技術プロジェクト(注1)で燃焼制御チームのリーダーを務めております小生は、まさに「むきだし」状態です。このプロジェクトも今年が3年目なので秋に中間評価が待っています。
東大教員の定年年齢は、長い間60歳でしたが、今は65歳になりました。
そこで、60歳から65歳の間、どのように有意義に過ごすかが問題で、講義演習、学生の研究指導、これまでの研究成果のまとめ、研究会の継承や次の世代への引き継ぎなどたくさんの仕事が残されていますが、一方では、政府の委員会や分野を跨った国際会議等へ出席を通じて社会の動きと大学の在り方に対して俯瞰的見方が必要な場に参加する機会もあり、今後の大学での研究や教育の方向性について思考をめぐらすことも多くなりました。このような60歳までの状態と少し違っている今の状態を自分では「三途の川を渡っている状況」と勝手に呼んでおります。
さて、この時期は、寒中見舞いを頂く時期でもあります。最近、その中に、お世話になった先輩や友人の訃報を伝えるものが混じるようになり、残念なお知らせを受け取るたびにその方を偲びつつ、残り少なくなった大学で過ごす時間の中で自分は何をすべきか、後進に何を残すべきか問い直す機会が増えてきました。
大学が守るべきもの
それは、ものづくりの現場との接点を失わないことです。

昨年夏に東大機械系工房で長い間木工を担当されていた柏崎さんがお亡くなりになりました。小生が学生の頃から小型風洞、アクリル製水槽など、曲線の加工や漏れ止めが鍵を握る手の凝った加工では随分お世話になりました。
また、市販品では入手できないようなサイズの机や棚の製作にも貢献して頂きました。いい加減な図面でもこちらの意図をくみ取って形にして頂いたものです。写真の花瓶置きは、柏崎さんの作品で、東大工学部2号館の建て替え工事が行われた際に取り外された大正時代から使われていた講義室の机の廃材を利用して作られたもので、休憩時間を利用して余技で製作されました。繊細で、端正なものです。受け取った時に、木目を褒めると、この板材料を見ながら、「この板は今どき手に入らない。柾目が通っていることから見ても、かなりの大木より製材された板だ。永年かけて枯らした板を廃材にするのは忍びがたく、保管していた。」と語っておられました。
今後とも機械系ではものづくりのプロセスを通じてコミュニケーションをとる機会を無くさないで欲しいと願っています。どれだけ精緻な理論が出来たとしても、ものづくりの勘所が分かったうえでの理屈でないと役に立ちません。加えて、相手に理解してもらうことはフェイスツーフェイスでないと難しいです。最近、遠隔地のメンバーを加えたTV会議を開催することがありますが、調子のいい話はTV会議でもOKですが、悩みや本音を聞き出すことは難しく、やはり、相手の表情、声や空気感の変化から読み取るものが大きいことを感じています。また、目の前に座っている人に関心が集中してしまい、モニターの向こうに座っている人を忖度することの難しさを感じます。
大学の変わるべきところ
ここ最近、卒論や修論の締め切り間際になっても論文をまとめきれない学生が散見されるようになりました。ゆとり教育世代が研究室に登場した時のように締め切り間際でやる気をなくして失速する学生とは違い、今の学生はまとめの段階になって目先の作業に集中するあまり、肝心の論旨を立てることが苦手なようです。どうやら、上位概念と下位概念の両方をきちんと理解し、両者の繋がりを説明できる能力が低下していることが原因と思われます。我々の学生時代と比べて計算機の利用法に精通し、仕事をこなすことはできるのですが、何か足りないものを感じます。新しい発見、発明につながる仕事を期待されているハイレベルエンジニアに求められる資質は、試験でよい成績を取るだけではなく、ものごとの繋がりを意識した上で、基礎を奥深く理解していることです。この対策としては、卒論、修論のテーマの選択にあたっては、従来の仮説検証型のテーマだけではなく、現実に社会で問題解決のために必要としている課題を専門領域の視点から創出し問題解決法を提案させる体験ができる、学習内容を実際に試す場を用意すべきと考えます。
今年度、小生の研究室では修論のテーマに、「災害リスクを考慮した分散型電源システム導入計画」を取り上げた学生がいます。内容は、ガスエンジンの数学モデルやシミュレーション技術、太陽光等の再生可能エネルギーを活用した小型分散エネルギーシステムが系統連携されたときに必要となるガスエンジンの台数や仕様を決めるための最適設計問題解決技術を基礎に、目下、関心が高まっている災害時のビジネス継続性(Business Continuity Planning: BCP)に向けて分散電源導入のための計画について公的補助金システムの設計に至るまでの研究を行ったものです。この例のように、政策決定に貢献できるツールを工学分野から提供することも上位概念と下位概念をつなぐ機会と考えています。
ドイツに学ぶもの
1月21日から1週間、ミュンヘン工大に出かけてきました。そこでは、毎年入学して来る学生数が機械工学科だけで750名という数字にも驚きましたが、入学前と卒業前にインターンシップを必修で課していることにも驚きました。まず、高校から大学に入る前に3か月の入学前企業インターンシップを実施、ここでは工場での作業中心のアプレンティス(徒弟)の体験をさせ、卒業前には学習効果を実際の現場で試すことが可能なテーマの下に卒業直前に2回目の3か月間の企業インターンシップを実施するとのことでした。

ミュンヘン工大 ガーヒンキャンパス

シュトゥットガルト駅のランドマーク

ミュンヘン工大での会合の後、自動車産業の拠点であるシュトゥットガルトに移動し、研究室OBが活躍中のボッシュを訪問しました。ここで伺った話は、さらに衝撃的でした。ドイツ企業には、中国人留学生も多くインターンに来るそうなのですが、彼らはインターンに溶け込むために英語だけでなくドイツ語でもコミュニケーションできるレベルまで勉強してくるそうです。工場の現場の人たちはドイツ語しか話せない人が大半なのでコミュニケーションにはドイツ語が必要です。なるほどと思うと同時に、インターンシップでも相当気合いが入っていることに感心しました。このように、異国を深く知り、順応するための隠れた努力を中国の学生は始めていることを日本の学生に知らせる必要があります。
さて、ボッシュ訪問からの帰途に同じシュトゥットガルトにあるベンツ博物館を見学しました。
小生の好きな歌舞伎の世界では、歌舞伎公演の成功を祈念して、演目に関係する神社への参拝が行われます。この例に倣い、SIP革新的燃焼プロジェクトの成功を祈念して、ガソリン自動車初号機搭載エンジンを拝んできました。
ここで印象に残ったことは、この博物館は単に、ベンツの歴史を飾る名車を展示しているだけではなく、歴史的背景を踏まえながら、自分たちが目指してきた自動車文化のあり方や課題解決のプロセスを国内外の見学者に理解してもらえるよう工夫されていたことでした。外国人労働者を受け入れてきた歴史の長いドイツではどのようにして待遇改善がなされてきたかを示し、スマホや携帯が登場した今日の個人主義とどのように自動車産業は向き合うのかを問いかけて終わるディスプレイは、大人の展示スタイルでした。

ベンツ博物館ガソリン自動車初号機搭載エンジン

労働者の待遇改善に関する展示
まとめに替えて

昨年の9月に弘前大学で日本機械学会D&D2015が開催され、その帰りに恐山に足を延ばしました。ここで目にしたものは、宇曽利山湖から流れ出る三途の川で、川のほとりには、柳と「奪衣婆(だつえば)」と「懸衣翁(けんえおう)」の像が立っていて、死後の世界の話が語られていました。
それによると、
人が亡くなって三途の川までやってくると、「奪衣婆」が待っていて身ぐるみはがし、はがされた衣類を「懸衣翁」が受け取って、傍らに立つ柳の枝に掛けて、その枝の垂れ下がり具合を見て、生前の悪行の軽重を推量するのだそうです。この結果を受けて、閻魔大王から地獄行きか極楽行きかを言い渡されるとのことです。

なになに、ふむふむ。これは、カスチリアーノの定理ではないか。思わず微分方程式を立ててみたくなります。あの世に行くときにもカスチリアーノの定理が関係しているという話で機械工学の立場からは興味深い話です。この話は、何を物語っているでしょうか。できるだけ、身軽になって来世にいらっしゃいと言っているように思われます。引き継ぐべきものは整理して次代に引き継いでおけと。しかしながら、どの程度の荷重でどのくらい撓むかを知りたいときに役に立つのは材料力学の知識で基礎は大切にせよと。
さて、複雑な社会と大学教育を語る前に、まずは、部屋を片付け、力学を復習するとしますか。
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