早稲田大学教授・東京大学名誉教授

金子 成彦

1972年 山口県立山口高等学校理数科1期卒
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1972年 山口県立山口高等学校理数科1期卒
1976年 東京大学工学部機械工学科卒
1978年 東京大学大学院工学系研究科舶用機械工学科修士課程修了
1981年 東京大学大学院工学系研究科舶用機械工学科博士課程修了(工学博士)
同年   東京大学工学部舶用機械工学科講師
1982年 東京大学工学部舶用機械工学科助教授
1985年-1986年 マギル大学機械工学科客員助教授
1990年 東京大学工学部附属総合試験所機械方面研究室助教授
1993年 東京大学工学部舶用機械工学科助教授
1995年 東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻助教授
2003年 東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻教授
2018年 早稲田大学理工学術院創造理工学部客員教授
2019年 早稲田大学理工学術院国際理工学センター教授
2019年 東京大学名誉教授
2019年 日本機械学会名誉員
2020年 自動車技術会名誉会員

久しぶりにコラムに書かせていただきます。

6 月は麦秋とも呼ばれます。我が家の家庭菜園もジャガイモの収穫時期を迎え、昨日収穫を終えました。今年の関東地方は陽気が安定しない年で、なかなか寒さが抜けきらないと思っていたら 3 月中に桜が咲き出し、4 月の入学式の時期には散っていたという珍しい春を経験しました。雨も少なく、3 月から 6 月初旬の間にまとった量の雨が降った記憶はありません。そのせいか、畑の中には例年に比べて虫が少なく、ミミズもあまりいません。土もパサパサしています。
さて、土のパサパサにはもう一つ理由があります。言い訳じみていますが、秋から年明けにかけて植えた大根を収穫した後の 2 月終わりから 3 月初旬に掛けての時期は、畑を寝かせて置かなければならない大事な時期です。しかし、今年は日本機械学会の会長職の引き継ぎ時期にあたり、畑の手入れに割ける時間が不足し、大根を引き上げた同じ週のうちに畑に肥料を施してジャガイモの種芋を撒いてしまいました。その結果、収穫されたジャガイモは小粒なものばかりでした。このように、手を抜くとすぐにバレテしまいます。

震災後の日本機械学会の動き

  • ・調査・提言分科会
    WG1:機械設備の被害状況と耐震対策技術の有効性
    WG2:力学体系に基づく津波被害のメカニズムの理解
    WG3:被災地で活動できるロボットの課題の整理
    WG4:被災地周辺の交通,物流分析
    WG5:エネルギーインフラの諸問題
    WG6:原子力規格基準の課題と今後の方向性
    WG7:地震、原発事故等に対する危機管理
  • ・長期的課題検討分科会
    WG1:将来のエネルギー源・エネルギー利用に関する定量的評価と提言
    WG2:人工物に対する信頼性・ロバスト性の確立と危機に対する管理制御方法
    WG3:工学を社会に対して適正に説明する方法とそのための機械技術者の人材育成
    WG4:福島原発事故の教訓から学ぶ工学の原点と社会的使命~安全・安心社会の構築に向けて

英国機械学会訪問

少し歴史をひも解いてみることにしましょう。日本機械学会の初代会長は眞野文二先生です。1886 年に英国に渡られた眞野文二先生は Institution of Mechanical Engineers(略称:IMechE、英国機械学会)の会員となられ、同会の会員が大学の学位以上に尊ばれているという実情に驚き、帰国後、東京帝国大学機械工学科および東京高等工業学校機械科の卒業生を中心に 1897 年に設立されたのが現在の日本機械学会です。

英国機械学会周辺地図

英国機械学会の建物
(向かい側はセントジェームズパーク)

小生は、2012 年 9 月に学会と市民をつなぐ情報発信活動に関する調査を目的として英国機械学会を訪問する機会を得ました。英国機械学会は、英国土木学会と並んでバッキンガム宮殿からそれほど離れていないウエストミンスター地区に建物があり、存在感を示しています。しかし、事務局長さんの説明によって、その存在感は、市民への発信という形でより具体的に実現していることが分かりました。

英国機械学会は、毎年、ポリシーステートメントという冊子体を発行しています。内容は、様々で、その時に話題となっているテーマについてパブリックステートメントという形で 4~5 年前から市民や行政に向けての発信が開始されていました。驚いたことには、機械工学の重要性を市民に浸透した度合いを測るために、英国機械学会からの発信がどのようなメディアに取り上げられたかを定期的に調査しており、Voice of the Profession という名前のデータ集として纏められています。改めて、成熟社会での学会の役割を考えさせられた訪問でした。

震災後の調査提言活動を通じて考えたこと

東日本大震災は、工学者に多くのことを気付かせてくれました。その一つに、日本は戦後の急成長によって生活の豊かさや利便性を向上することには成功しましたが、人工物がもたらす負の側面やリスクに関しては専門家と市民との間にはコミュニケーションが十分にとれていたとは言えず、ある意味で発展を急ぎすぎた国だったということが挙げられます。また、エネルギー問題を始めとする日本の課題は過去の歴史を背負っており、簡単に解決できるものはありません。
解決の糸口を見出すために学会が果たせること、それは、工学者に自分の専門領域を越えた俯瞰的な見方を身に付けさせる機会を提供することだと思いました。これは、豊かな作物をもたらす肥沃な土壌の大切さを認識して用意することに似ています。
また、学会は専門分野に関しては目下の最新情報を持った人々の集う場所であり、最新のデータに基づいた議論ができるはずです。さらに、学会は年代を越えた技術者や研究者によって構成されており、過去のデータも扱うことができる集団です。したがって、今後の学会は、これまでのような仲間内に向けての発信だけでなく、市民に向けての発信機能を併せ持つ集団に変わって行くべきと考えます。ただし、市民向けの情報発信活動は、正確さと迅速さが求められるため、その役割は現役世代だけが担うものではなく、日本の人口のボリュームゾーンを形成している 65-75 歳までのアクティブシニアの参加を得て内容の充実を図るべきと考えます。

最後に、これからの工学者には、アイデアを形にする創造的活動だけでなく、社会実装の重みを感じさせる経験も積ませるべきで、それによって、様々な立場に立って考えるという発想を植え付けることができると考えます。一市民の側に立って考えることが習慣として身に付くように、学校教育の中でも科学技術リテラシーの時間を取って、リスクに対する説明や合意形成の方法を教えるべきと感じた次第です。