2013/08/03 業界コラム 金子 成彦 日本機械学会会長の経験を通じて (その3) 日英文化交流活動 早稲田大学教授・東京大学名誉教授 金子 成彦 1972年 山口県立山口高等学校理数科1期卒 ...もっと見る 1972年 山口県立山口高等学校理数科1期卒 1976年 東京大学工学部機械工学科卒 1978年 東京大学大学院工学系研究科舶用機械工学科修士課程修了 1981年 東京大学大学院工学系研究科舶用機械工学科博士課程修了(工学博士) 同年 東京大学工学部舶用機械工学科講師 1982年 東京大学工学部舶用機械工学科助教授 1985年-1986年 マギル大学機械工学科客員助教授 1990年 東京大学工学部附属総合試験所機械方面研究室助教授 1993年 東京大学工学部舶用機械工学科助教授 1995年 東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻助教授 2003年 東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻教授 2018年 早稲田大学理工学術院創造理工学部客員教授 2019年 早稲田大学理工学術院国際理工学センター教授 2019年 東京大学名誉教授 2019年 日本機械学会名誉員 2020年 自動車技術会名誉会員 第 2 号に少し書きましたが、7 月 19 日にグラスゴーのリバーサイドミュージアムで、「山尾庸三の功績と工部大学校(現在の東京大学工学部)」について講演してきました(注 1、2)。 小生がこのテーマで講演を依頼されたのは、幾つかの理由があります。 まず、小生が山口市の生まれで山尾侯と同郷であること、次に、工部大学校の初代都検を務めたヘンリー・ダイアーは蒸気サイクルで有名なランキンの弟子で、小生が担当している東京大学工学部機械エネルギーシステム工学講座の内容に関係があることでした。 長州ファイヴロンドン到着後の 長州ファイヴの写真(注 3)今を遡る 150 年前の 1863 年、徳川幕府によって海外渡航が禁止されていた時代に長州の 5 人の若者がロンドンにたどり着きました。この 5 名は井上聞多(井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(伊藤博文)、野村弥吉(井上勝)で、後に長州五傑または、2006 年に製作された映画のタイトルから長州ファイヴと呼ばれるようになります。日本の近代化に貢献された先人を「○○の父」と呼んでその功績を称えていますが、伊藤博文は「内閣の父」、井上馨は「外交の父」、遠藤謹助は「造幣の父」、井上勝は「鉄道の父」、山尾庸三は「工学の父」と呼ばれています。実は、小生の実家と井上馨侯の生家は 100m、山尾侯の生家は約 20 キロの距離にあり、子供のころの遊び場が井上馨侯の生家があった井上公園(ここは幕末の七卿落ち(八月十八日の政変)で京都から追放された三条実美ら 7 名の公卿が一時滞留した場所でもあり記念碑が建てられています)だったこともあり、司馬遼太郎の歴史小説を読み始める以前から明治の偉人のことには関心を持っていました。 日本の工学全分野の発展に尽くした山尾庸三山尾侯は、1837 年 10 月 8 日、現在の山口市秋穂二島に生まれ、藩内の私塾で学び、その後、江戸で剣術と航海術を学びます。江戸滞在時に、幕府の亀田丸がロシアに行くことを知り、黒竜江方面に 4 か月の航海に出ます。この時、船舶修理工場で機械を使用しているのを見て、日本国内での人力による作業との差を痛感し、海外渡航への思いを強めます。 山尾侯は Imperial College of London で自然科学を学んだ後、1866 年に単身グラスゴーに移り、昼間は、 Napier 造船所の徒弟として、夜は、 Anderson College(今の University of Strathclyde)で 2 年間工業技術を学びました。当時、徒弟は、apprentice と呼ばれ、潜在的な能力を持つ大切な人たちという位置付けで社会的な地位は高かったようです。実務経験と基礎知識の両方を備えて 1868 年に帰国した山尾侯は、明治政府に出仕し、1870 年に工部省の設置を、翌年には工学校の開設を建議します。当時の日本には工業の発展に目を向ける人材が乏しく、政府の中では反対の声が上がりますが、山尾侯は「人材を育成すれば、その人が工業をつくって行く」と力説しました。その結果、工学寮が設置され、山尾侯は工学頭に就任し、その後、工部大輔、工部卿を歴任しました。この状況を、今上天皇は Early cultivators of Science in Japan, SCIENCE, VOL.258, 23 OCTOBER, 1992 と題する論文の中で触れておられ、山尾侯の日本の近代化に対する貢献を高く評価しておられます。この論文は世界的に著名な科学雑誌 SCIENCE に掲載されているため、広く読まれたものと推察します。 西洋の科学技術を導入し殖産興業政策を推進する工部省は、民部省の一部が独立して 1870 年に設置され、1885 年に廃止されるまで、近代国家建設のために鉄道敷設、造船、鉱山開拓、製鉄、電信整備、灯台設置などの官営事業を担うことになります。工学寮設置当時工部大輔として外国人教師を採用する職にあった長州ファイヴの一人、伊藤博文侯はグラスゴー大学の著名な教授である Macquorn Rankine の推薦により工学寮の都検(教頭に相当する職)として 25 歳の Henry Dyer を日本に招聘します。Henry Dyer も山尾侯と同様に Anderson College で学んだことがあり、この二人のコンビで、土木、機械、造家(建築)、電信、化学、冶金、鉱山の 7 科、後に造船を加えた 8 科体制で工部大学校における実務を重視した工学分野の人材育成は力強く推進されることになります。 1879 年に 23 名の第一回卒業生を送り出して以来、工部大学校からは日本の近代化の礎を築く数多くの技術者が輩出しました。工部大学校の第一回卒業生たちが、1879 年に相互の親睦、知識の交換を目的に設置したのが工学会(現在の日本工学会(注 4))で、1882 年に会長に就任された山尾侯は、1917 年に辞任するまで 35 年の長きにわたり日本の工学全分野の発展のために尽くされます。このような功績により、山尾侯は「工学の父」と呼ばれるようになりました。さらに付け加えると、山尾侯は明治期の美術教育にも貢献されています。1876 年に工部美術学校を設立し、この時期にすでに工業デザインの重要性を認識していました。この学校は、現在の東京芸術大学に発展してゆきます。 山尾侯は、また、聾唖教育・盲教育の推進者としても知られています。1880 年に山尾侯によって開校された東京・築地の訓盲院は、日本初の盲教育機関と言われています。この教育機関は、その後、現在の筑波大学附属聴覚特別支援学校につながって行きます。山尾侯が盲教育に熱心だったのは、グラスゴーの造船所時代に、ハンディキャップのある人が健常者に混じって鋲打ちの仕事をしているのを見て、衝撃を受けた経験があったからと言われており、日本でもハンディキャップのある人が教育を受け、健常者以上の能力を備えて社会に参加し貢献できる環境を実現しようとしました。ここにも山尾侯の先見性が見られます。 リバーサイドミュージアムクライド川から見た博物館小生が講演を行ったリバーサイドミュージアム(注 5)は 2011 年 6 月 1 日にオープンした新しい博物館で、グラスゴー市内を流れるカルヴィン川がクライド川に合流する地点に位置しており対岸には造船所を臨むことができる素敵な博物館でした。展示内容は、グラスゴーの繁栄を担ってきた輸送、エンジニアリング、造船に関する歴史的遺産です。この博物館は、展示内容もさることながら建物を見学する人々からも好評を博していて、2013 年のヨーロッパベストミュージアムに選ばれています。この大胆な設計は、イギリス在住のイラク生まれの著名な女性建築家ザハ・ハディド(注 6)の手によるものです。 なお、東京代々木の新国立競技場の設計者はこの建築家に決まっており、大胆な設計になる予定です。(注 7) 博物館正面玄関にて記念撮影 正面から見た博物館 7 月 19 日の小生の講演会には 63 名の方が出席してくださいました。1 時間 20 分ほどの説明の後に、質疑応答になりましたが、さすがに歴史に詳しい方が多く、小生が知らなかった技術を通じての日英の交流の話には驚きました。特に、スコットランドの橋の設計に貢献した渡邊嘉一の話には感心させられました。(注 8) 講演の様子(その1) 講演の様子(その2) 渡邊嘉一は、工部大学校 5 期生として土木科に学び、1883 年に首席で卒業、ただちに工部省に技師として雇われ鉄道局に勤務しました。しかし、翌 1884 年に職を辞して英国に渡り、グラスゴー大学に入学し、土木工学と理学の学位を取得して 1886 年 4 月に卒業します。卒業後は、ファウラー・ベイカー工務所の技師見習い生となり、続いて技師に昇格しています。その後、フォース・ブリッジ鉄道株式会社のフォース鉄道橋建設工事監督係となります。工事監督のかたわら、同橋前後の鉄道線路約 20 キロの実地測量とその設計主務も担当しています。フォース鉄道橋がまだ建設中であった 1887 年に、王立科学研究所において、人間模型を使ってこの橋の構造であるカンチレバーの原理が説明されました。椅子に腰掛けた 2 人が両腕を伸ばし、握った棒を張り出して桁をつくる。両端の支点はブロックの重りで押さえられ、中央径間の吊桁に相当するところに人間の荷重を載せる。これでこの構造に十分耐荷力があることが示されたとのことです。 中央が渡邊嘉一フォース鉄道橋20 ポンド紙幣(右上に写真が使われている)王立科学研究所で原理を示す写真が撮られてから 120 年後、スコットランド銀行が新しい紙幣を発行しました。20 ポンド紙幣の図案に選ばれたのは、スコットランドが世界に誇るフォース鉄道橋、そしてフォース鉄道橋を語るときに欠かせない、「Human Bridge」と呼ばれる人間模型の写真でした。 このように、山尾侯が開校に奔走された工部大学校の卒業生の功績はいまでもスコットランドに残っていることを今回の日英交流によって知ることができました。 次の 150 年に向けて今回、同郷の偉人である山尾庸三侯の功績について調査し、改めて明治初期の政策立案担当者のスケールの大きさと視野の広さ、日本への想い、人のつながりの濃密さに感銘を受けました。明治維新からもう 150 年か、まだ 150 年かは人によって印象が違うと思いますが、自分自身の教員生活がそろそろ 30 年になろうとしているとき、その5倍の時間で日本が工学人材育成から始めて工業国になるまでの過程を辿ったことには驚きを感じます。 先人の熱き想いを駅伝ランナーの襷のごとく次世代につなげて、多面的な視野を持った人材育成に向けて次の 150 年のグランドデザインを開始したいものです。 (注 1)在英国日本国大使館HP (注 2)グラスゴー大学HP (注 3)ロンドン到着後の長州ファイヴの写真 (注 4)日本工学会HP (注 5)リバーサイドミュージアム http://www.kenchiku.co.jp/world/1203/top.html http://www.glasgowlife.org.uk/museums/our-museums/riverside-museum/Pages/default.aspx (注 6)ザハ・ハディド (注 7)新国立競技場 (注 8)渡邊嘉一 この記事に関するお問い合わせはこちら 問い合わせする 早稲田大学教授・東京大学名誉教授 金子 成彦さんのその他の記事 2024/01/10 業界コラム あんたぁ先頭 ! 2023/01/11 業界コラム トランジェントな時代を生きる ( 4 ) 2022/01/12 業界コラム トランジェントな時代を生きる ( 3 ) 2021/01/12 業界コラム トランジェントな時代を生きる ( 2 ) 2020/01/08 業界コラム トランジェントな時代を生きる 2019/01/09 業界コラム 大学が変わるべきところ守るべきもの冬休み小旅行(ハウステンボス・湯田温泉編) 2018/01/10 業界コラム 大学が変わるべきところ守るべきもの冬休みの小旅行(京都・尾道編) 2017/02/07 業界コラム 大学が変わるべきところ守るべきもの(研究環境の来し方行く末) 2017/01/11 業界コラム 大学が変わるべきところ守るべきもの(冬休み小旅行編) 2016/02/09 業界コラム 大学が変わるべきところ守るべきもの(立春編) 2016/01/13 業界コラム 大学が変わるべきところ守るべきもの(初詣編) 2013/08/03 業界コラム 日本機械学会会長の経験を通じて (その3) 日英文化交流活動 2013/07/09 業界コラム 日本機械学会会長の経験を通じて (その2) アジア圏との国際交流活動 2013/06/11 業界コラム 日本機械学会会長の経験を通じて (その1) 東日本大震災対応 2010/11/09 業界コラム 産業と教育の現場から No.12 未来の研究開発リーダーに贈るメッセージ ~これからの学会との付き合い方~ 2010/10/05 業界コラム 産業の教育と現場から No.11 タフな学生を育てるためのコンテストの活用法 2010/09/07 業界コラム 産業の教育と現場から No.10 学部4年生のためのもう一つの発表会 2010/08/03 業界コラム 産業の教育と現場から No.9 留学生の慶事 2010/07/07 業界コラム 産業の教育と現場から No.8 産学官連携功労者表彰を通じて学んだもの 2010/06/08 業界コラム 産業の教育と現場から No.7 若手人材育成を意識した同窓会の活用法 2010/05/12 業界コラム 産業の教育と現場から No.6ホロニックエネルギーシステムの実現に向けて 2010/04/06 業界コラム 産業の教育と現場から No.5PBL教育を通じて日本のガラパゴス化を阻止しよう! 2010/03/02 業界コラム 産業の教育と現場から No.4 ゆとり世代ついに研究室に現る ! 2010/02/09 業界コラム 産業の教育と現場から No.3 就活学生に贈るメッセージ~エネルギー作物栽培の体験から~ 2010/01/13 業界コラム 産業の教育と現場から No.2 手料理コンパと工学教育 2009/12/01 業界コラム 産業の教育と現場から No.1メンテナンスの現場から学ぶべきもの 足立 正二安藤 真安藤 繁青木 徹藤嶋 正彦古川 怜後藤 一宏濱﨑 利彦早川 美由紀堀田 智哉生田 幸士大西 公平䕃山 晶久神吉 博金子 成彦川﨑 和寛北原 美麗小林 正生久保田 信熊谷 卓牧 昌次郎万代 栄一郎増本 健松下 修己松浦 謙一郎光藤 昭男水野 勉森本 吉春長井 昭二中村 昌允西田 麻美西村 昌浩小畑 きいち小川 貴弘岡田 圭一岡本 浩和大西 徹弥大佐古 伊知郎斉藤 好晴坂井 孝博櫻井 栄男島本 治白井 泰史園井 健二宋 欣光Steven D. Glaser杉田 美保子田畑 和文タック 川本竹内 三保子瀧本 孝治田中 正人内海 政春上島 敬人山田 明山田 一米山 猛吉田 健司結城 宏信 2024年5月2024年4月2024年3月2024年2月2024年1月2023年12月2023年11月2023年10月2023年9月2023年8月2023年7月2023年6月2023年5月2023年4月2023年3月2023年2月2023年1月2022年12月2022年11月2022年10月2022年9月2022年8月2022年7月2022年6月2022年5月2022年4月2022年3月2022年2月2022年1月2021年12月2021年11月2021年10月2021年9月2021年8月2021年7月2021年6月2021年5月2021年4月2021年3月2021年2月2021年1月2020年12月2020年11月2020年10月2020年9月2020年8月2020年7月2020年6月2020年5月2020年4月2020年3月2020年2月2020年1月2019年12月2019年11月2019年10月2019年9月2019年8月2019年7月2019年6月2019年5月2019年4月2019年3月2019年2月2019年1月2018年12月2018年11月2018年10月2018年9月2018年8月2018年7月2018年6月2018年5月2018年4月2018年3月2018年2月2018年1月2017年12月2017年11月2017年10月2017年9月2017年8月2017年7月2017年6月2017年5月2017年4月2017年3月2017年2月2017年1月2016年12月2016年11月2016年10月2016年9月2016年8月2016年7月2016年6月2016年5月2016年4月2016年3月2016年2月2016年1月2015年12月2015年11月2015年10月2015年9月2015年8月2015年7月2015年6月2015年5月2015年4月2015年3月2015年2月2015年1月2014年12月2014年11月2014年10月2014年9月2014年8月2014年7月2014年6月2014年5月2014年4月2014年3月2014年2月2014年1月2013年12月2013年11月2013年10月2013年9月2013年8月2013年7月2013年6月2013年5月2013年4月2013年3月2013年2月2013年1月2012年12月2012年11月2012年10月2012年9月2012年8月2012年7月2012年6月2012年5月2012年4月2012年3月2012年2月2012年1月2011年12月2011年11月2011年10月2011年9月2011年8月2011年7月2011年6月2011年5月2011年4月2011年3月2011年2月2011年1月2010年12月2010年11月2010年10月2010年9月2010年8月2010年7月2010年6月2010年5月2010年4月2010年3月2010年2月2010年1月2009年12月