早稲田大学教授・東京大学名誉教授

金子 成彦

1972年 山口県立山口高等学校理数科1期卒
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1972年 山口県立山口高等学校理数科1期卒
1976年 東京大学工学部機械工学科卒
1978年 東京大学大学院工学系研究科舶用機械工学科修士課程修了
1981年 東京大学大学院工学系研究科舶用機械工学科博士課程修了(工学博士)
同年   東京大学工学部舶用機械工学科講師
1982年 東京大学工学部舶用機械工学科助教授
1985年-1986年 マギル大学機械工学科客員助教授
1990年 東京大学工学部附属総合試験所機械方面研究室助教授
1993年 東京大学工学部舶用機械工学科助教授
1995年 東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻助教授
2003年 東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻教授
2018年 早稲田大学理工学術院創造理工学部客員教授
2019年 早稲田大学理工学術院国際理工学センター教授
2019年 東京大学名誉教授
2019年 日本機械学会名誉員
2020年 自動車技術会名誉会員

明けましておめでとうございます。今年の干支は兎です。今年も宜しくお願い申し上げます。
まずは、様々なことが続いた2020年から2022年の間に小生の周辺で起きた出来事を通じて世相の変化を振り返ります。

京都・宇治上神社のうさぎみくじ

キャンパス内外の変容

2022年初頭に公開された、替え歌で有名な嘉門タツオさんによる「コロナに負けるな ! 」という動画の中には、ネオンが消えた夜の街、時間制限付きの居酒屋、無観客のイベント、ワクチン接種、持続化給付金、感染対策、マスク配布、医療従事者への感謝、東京オリンピック・パラリンピック開催等々、一連の出来事が織り込まれています。わずか3年の間に次々といろいろな出来事が続きましたが、結構忘れていることも多いことに驚かされます。記憶に残す手法として替え歌は有効かもしれません。さて、小生の周辺ではこんな変化がありました。

2020年

コロナ感染が広まってきた3月末に早稲田大学は新学期の開始を5月に決定し、大学では5月11日からの新学期に備えてオンライン講義の講習会が開かれました。講習会では、今では当たり前になったZoom講義、オンデマンド講義、ハイブリッド講義という用語が飛び交い、講習会参加者はパソコン操作に慣れるまで苦労しました。慣れてくると遠隔講義の利点だけでなく欠点も見えてきました。
(注 : 昨年の新年号「トランジェントな時代を生きる ( 3 ) 」をご参照ください)
ほぼ同時期に、2020年に開催が決まっていた東京オリンピック・パラリンピックの開催が怪しくなりました。桜の花が咲くころ、ある日突然、街からミライトワ、ソメイティの幟が消え、戸山公園のカウントダウン掲示板から数字が消えました。数字が消えた掲示板は寂しいものです。

戸山公園の桜

数字の消えた掲示板

2021年

1年先送りされた東京オリンピック・パラリンピックは、7月開催が決まり、カウントダウン掲示板に再び数字が入りました。ただし今度は、無観客での開催にするかどうかの大議論が巻き起こり、最終的には無観客になりました。
無観客開催が決まった日に戸山公園を通りかかったところ、サッカーをしている学生に出くわしました。草サッカーみたいに無観客に決まったことにほっと胸をなでおろしました。

数字が戻った掲示板

草サッカーを楽しむ学生達

2022年

コロナの第7波が落ち着き、移動の制約が弱まったため、講義が対面で行われる機会が増えました。対面講義に戻ると学生たちに活気が戻ります。戸山公園を散歩しているカップルはコロナ第1波、第2波の頃にはお互いの距離を意識して少し離れて歩いていましたが、今はコロナ禍前のように手を繋いでいます。また、教室でも微笑ましい光景が見られます。
西早稲田キャンパスには2面がガラス張りになっていて外から講義の様子が覗ける講義棟があります。この形式の講義室は開放感があって気持ちがよいものですが、学生からは『水族館』と呼ばれています。自分たちはガラス越しに見られている『魚』とでも思っているようです。そうすると、演壇で講義している先生は、『飼育係』といったところでしょうか。
さて、留学生はフレンドリーな人が多く、講義が始まってもおしゃべりで盛り上がっている学生達がいます。ある時、この部屋には外からは見えにくい、カップルが座る定番の場所があることに気づきました。小生の講義をBGMにして、別の話で盛り上がっています。キャンパスが交流の場としての機能を取り戻してきました。これもコロナによる移動制約が緩んだおかげです。しかし、第8波が始まりつつあり、感染した学生もちらほら出ていますので、感染対策を緩めることはできません。

3年目のコロナ禍での暮らし

博物館・資料館巡り

2022年、コロナ禍の下での暮らしも3年目に入りましたが、この秋は移動制約が弱まりましたので、久しぶりに人が集まる場所に出かけました。
10月には、博物館開設150周年記念の国宝展が東京上野の東京国立博物館で開催されました。待ち時間を短くするために予め、インターネットで時間指定した入場券を購入する必要があり、鑑賞時間も2時間という慌ただしいものでしたが、多くの方が来場されていました。

東京国立博物館150周年記念国宝展

川口市文化財センター分館郷土資料館

ここで、少し東京国立博物館の歴史について触れておきましょう。
東京国立博物館初代館長は、慶応元年 (1865年) に日本を出発した19名の薩摩藩英国留学生の一人である町田久成氏です。渡英中に大英博物館やケンジントン博物館などを見学し感銘を受けて、廃仏毀釈による文化財の破壊や、海外流出を残念に思い、博物館建設や文化財の保護、調査・報告を進言する『大学献言』を太政官に提出しました。博物館建設のために尽力し、帝国博物館の初代館長となられました。

※ 出展:薩摩藩英国留学生記念館

江戸から明治に時代が変わる時期に海外留学された方は、西洋諸国に追いつくために富国強兵路線に沿って政財界で活躍された方が多いと思っていましたが、一歩先を読んで文化財保護に携わられた方がおられたことを知り、改めて後世に伝えることの重要性を感じました。
さて、今回の展示品は東京国立博物館に収められている国宝ということで立派なものが多く、中には中学校や高校の美術や歴史の教科書で見た記憶がある品もありましたが、特定作家の作品展とは違い、エッジの立ったものではなかったので、自分の中では強い印象は残りませんでした。

東京国立博物館を見学した翌週に、旧鳩ヶ谷市にある川口市立文化財センター分館郷土資料館を覗いてみました。埼玉県には、日光街道、中山道、川越街道、日光御成道という4つの街道が通っており、各街道に沿って宿場町が栄え、独特の文化が形成されています。現在は川口市に合併されていますが、旧鳩ヶ谷市には、日光御成道が通っていて、江戸から明治の文化が残っています。

大村益次郎像 (靖国神社)

この郷土資料館では、日光御成道沿いの赤山陣屋跡遺跡や地場産業、地元出身の著名人が特集されていました。地元出身の著名人の中には靖国神社の大村益次郎の銅像の製作者として知られる彫刻家の大熊氏廣氏がおられます。『埼玉県ゆかりの偉人』によると、大熊氏は、「明治15年、日本で最初の国立美術学校である工部美術学校彫刻科を首席で卒業。日本における西洋彫刻家の先駆的存在として活躍した。明治21年にヨーロッパに留学、帰国後、代表作の『大村益次郎像』を制作した。作品は、肖像彫刻を中心に約100点にのぼる。文部省美術展覧会 (文展) ほか、多くの美術展で審査委員を務めるなど、美術界の発展にも貢献した。」と記されています。

※ 出展:埼玉県ゆかりの偉人

ここでの展示で驚いたのは、工部美術学校卒業時の成績表が展示されていたことです。評価は、第一等卒業 (15%) 、第二等卒業 (45%) 、修業 (40%) の3つに分かれており、成績優秀者だけが卒業証書を手にしたことを成績表の実物で確認できました。修業証明書しか手に入れられなかった卒業生は落胆されたことでしょう。工部大学校も卒業認定が厳しかったそうですが、美術学校も同様のようでした。

京都旅行

昨年の新年号でも書かせて頂きましたが、目下、マンション管理組合の理事長を務めております。コロナ禍が始まった2020年から大規模修繕が始まり、2021年には耐震診断、2022年には耐震補強工事と進んできました。東大工学部2号館の建替え工事や実家のバリアフリー工事を経験した小生でも、94戸が居住するマンションの改修工事は骨の折れる仕事です。時には気分転換が必要で、最近は街に出ても電車に乗っても色に接する機会が少ないとの不満を感じていた小生は、紅葉を求めて京都に出かけました。
まず、紅葉の名所として知られる東福寺で丁度見ごろの紅葉を楽しみ、続いて京都市内の喧騒を避けて宇治川周辺の名所旧跡探訪を楽しみ、英気を養ってきました。何枚かを写真で紹介しましょう。

東福寺通天橋

東福寺紅葉

平等院

宇治川

混沌とした時代への対処法

元々あったカーボンニュートラルの流れに加えてコロナ禍が発生して以降、ロシアのウクライナ侵攻、化石エネルギーの高騰、物価上昇、光熱水料金上昇、半導体の品薄による新車の納入遅れ、等々、巡り巡って身近なところにも影響が出始めています。これに加えて、国際情勢の不安定さが引き金になり、日本では防衛費をめぐる税制改正の議論も始まりました。小生が研究内容として注目している交通事故も、大型バスやトラックという本来ならばプロとしてのトレーニングを受けたはずの資格保有者が関係する事故が目立つようになりました。ここは世代を超えて、伝承によって守るべき技術と将来志向の技術を仕分けて、両者の大切さを理解しながらうまくやって行く必要があります。FIFAワールドカップ2022でベスト8の壁を乗り越えることができなかった日本の男子サッカーのように、チームプレーだけでもだめですし、個人の力だけでもだめです。相手のあるものについては、取り巻いている環境についての時間的変化への理解が大切です。小生は今回のマンション管理組合理事長の体験から学ぶものが沢山ありました。

築40年が経過したマンション管理組合理事会の議事録に沿って管理運営の歴史を振り返りますと、過去40年間のマンション管理は、以下のように推移しています。

  1. 竣工直後 : 管理組合、自治会、居住者とオーナーが一致し、居住者の年代が揃う、一体となった運営。主要な関心事は各種ルール決定、管理費・修繕積立金の決定。
  2. 竣工後40年頃まで : ルールに沿った運営、建物保守・経年劣化対応、全体の利便性を高める部分改修。
  3. 竣工後40年頃以降 : 上記 2. に加えて、目下の基準に沿った建物保全、管理規約等の修正・変更。

40年間の建物劣化がゆっくりと進行するのに対し、居住者が対応しなければならない問題の変化は早く、かつ多岐にわたっています。竣工当時から変わったところは、以下の部分です。

  • 地震対応、防災対応、緊急時対応
  • アスベスト対応
  • 短時間集中豪雨 (気候変化) への対応
  • デジタル化対応
  • 個人情報保護
  • ライフスタイルの多様化 (例えば、高齢化、少子化、単身化、国際化、在宅勤務、オンライン業務、単身赴任などの就労形態の変化) 、賃貸居住者・セカンドハウスオーナー発生

このように、管理は躯体そのもののハード面だけではなく、人と人とのつながりや人と組織とのつながりに関係するソフト面に関係した話にまで広がっています。

居住者が対応しなければならない環境変化でインパクトが大きかったものが2つあります。一つは「マンション管理適正化推進条例」 (市の責務、管理組合の責務、区分所有者の責務を規定したもの) が挙げられます。国の法律改正を受けて2022年4月に施行されました。これによってマンション管理状況報告書の提出が義務付けられました。もう一つは、マンション管理の「質」を評価する「管理計画認定制度」で、こちらは管理計画が一定の基準を満たすマンションを地方自治体が認定する仕組みです。管理組合が自治体に申請すると管理状況が審査され、基準に適合すると判断されれば、認定を得られます。

さて、理事会は輪番制で基本はボランティアです。工事のない年は、管理修繕費が遅延なく漏れなく納められているかどうかをチェックすることが主な役割ですが、工事を伴う年にあたると、以下のような手間のかかるプロセスが待っています。管理会社が代行してくれる部分もありますが、管理組合は管理会社に対するガバナンスを行わないといけません。

  • その時の国のルール、地方自治体のルールを勉強し、工事に対するルール (耐震補強などは審査会を通過する必要があります) や補助金適用に関するルールの把握
  • 工事内容の決定
  • 設計事務所や施工会社の選定
  • 居住者への説明と合意形成
  • 実際の施工など

もっと根本的な問題は、管理組合の理事が2年で交代することにあります(注 : マンションによっては1年で交代) 。このような状況に対応するためにITを活用する提案が居住者から出されていますが、システムを使える人がいない、メンテやトラブルに対応してくれる人が近くにいない等の問題をはらんでいるので、普段はあまり用事がないけれど一旦事あるときにはお世話になる消防署に、今後は消火活動や救急活動に加えて突発的に起きるネットワークの不安定問題対策やセキュリティ対策、携帯電話の通信障害発生時にも対応できるような駆け込み寺的な機能が備わってほしいと思います。ITの利用を前提にしたシステムや制度設計が増えてくると警察や消防署、学校、町会といったこれまでの体制では緊急に発生する問題には実効性を伴う対処ができないケースが発生しています。

ここで紹介したマンション管理とよく似た悩ましい出来事が、日本で長く続いてきた組織でも発生しているものと推察します。人と人とのつながりや、人と組織とのつながりを再構築すべき時にあります。

終わりに

京都・宇治には、宇治神社と宇治上神社があります。
宇治上神社は平等院の鎮守社として長く崇拝をされてきた神社です。醍醐天皇が平等院を訪れた折りに「離宮明神」の神位を与えられたそうで、正式名称は「宇治離宮明神」です。明治維新後、『宇治上神社』と『宇治神社』に分かれました。

※ 出展:icotto心みちるたび

うさぎ御籤

両神社の御祭神である菟道稚郎子命 (うじのわきいらつきこのみこと:第15代応神天皇の皇子) が宇治を訪れる際に道で迷ったとき、一羽の兎が現れ後ろを振りかえりながら正しい道へと導いたそうです。宇治神社では、その兎を「神使のみかえり兎」と呼び大切にしてきました。

今年はウサギ年です。迷ったときには、導いてくれたり、待ってくれたり、ほっとさせてくれるウサギが皆様のところにも現れるとよいですね。今年も宜しくお願い致します。