東京大学名誉教授・元早稲田大学教授

金子 成彦

1972年 山口県立山口高等学校理数科1期卒
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1972年 山口県立山口高等学校理数科1期卒
1976年 東京大学工学部機械工学科卒
1978年 東京大学大学院工学系研究科舶用機械工学科修士課程修了
1981年 東京大学大学院工学系研究科舶用機械工学科博士課程修了(工学博士)
同年   東京大学工学部舶用機械工学科講師
1982年 東京大学工学部舶用機械工学科助教授
1985年-1986年 マギル大学機械工学科客員助教授
1990年 東京大学工学部附属総合試験所機械方面研究室助教授
1993年 東京大学工学部舶用機械工学科助教授
1995年 東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻助教授
2003年 東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻教授
2018年 早稲田大学理工学術院創造理工学部客員教授
2019年 早稲田大学理工学術院国際理工学センター教授
2019年 東京大学名誉教授
2019年 日本機械学会名誉員
2020年 自動車技術会名誉会員

2024年3月末に早稲田大学を退職しましたが、小生の身の回りにはいくつかの小さな喜びがありました。

西早稲田での挑戦の5年間

2019年3月に東京大学を退職し、その年の4月に早稲田大学に迎えていただき西早稲田での日々が始まりましたが、新たな挑戦の日々でした。一から研究室を立ち上げ、研究費を獲得し、留学生と日本人学生が混ざった狭い研究室で英語と日本語の両方を使って卒論や修論を指導するという任務を、新しい環境の下で行うことになりました。また、担当した5科目の講義はすべて英語で行いました。

2年目の2020年にはようやく軌道に乗りかけたところでコロナ禍の影響を受けてしまい、実験系の研究、特に人を被験者とした実験はとてもやりにくくなって行きました。世間では「三密を避けよ」という通達が出されていましたが、狭い空間で生体信号を計測する際には、防護マスクの使用や消毒・洗浄など煩雑な手続きが必要でした。国外にとどまっていた留学生とはオンラインで指導を続けましたが、意思の疎通は容易ではありませんでした。それでも、活動を支えてくださった秘書や事務室の皆様、学生諸君の頑張りのおかげで3名の修士、7名の学部生 (内訳は、日本人5名、外国人5名) が巣立って行きました。研究対象とした実験は概ね小規模の装置で行う実験でしたが、自分たちで企画し、部品を集めて手作りの装置を作り、所望の成果が得られた時の達成感は格別のものがありました。

小生は、2024年3月末の2度目の退職に向けて、3か月かけて大型の実験装置や書籍の移動を学内で繰り返した後、2024年3月26日に最後の引っ越しを実行することになりました。この日はあいにくの雨でした。小生は、実験装置を積んだトラックの助手席に座って常磐自動車道経由で東京大学柏キャンパスに向かいました。少し寂しい気持ちにとらわれつつ、ふと前を見ると目の前のトラックの荷台に積まれた水槽がスロッシングを起こしているではありませんか ! しかも波のピークが2か所に現れる2次モードでした。長年研究してきた流体関連振動分野のテーマの一つがスロッシングで、2回目の退職ということで2次モードを励振してお祝いしてくれたのではないかと思い、虹を見た時のような驚きとうれしさを感じ、この小さな喜びに感謝しました。

トラックに積まれた水槽内液体の2次モードのスロッシング

学術活動の引き継ぎ

70歳を迎え、研究教育活動以外にも区切りをつけなければいけないものが沢山ありました。大きな課題の一つとして、日本機械学会機械力学・計測制御部門傘下のFIV研究会の運営を若手に引継ぐということがありました。小生は博士課程の時代から参加し、委員、幹事、主査を務め、約40年間FIV研究会の運営に関与してきました。この度、産業界と学術界との連携の強化・再構築につながるように、カーボンニュートラル関連研究の技術開発について情報共有と議論の場を作るという大方針のもと、主査の交代を行いました。これまで研究会に参加してくださった皆様に無事引き継げたことをご報告できるのはこの上ない喜びです。

新しい活動は「FIV-CN研究会」という名称のもと、カーボンニュートラルに関係のあるFIV関連研究について、

  1. 企業・団体の取り組みに関する話題提供や資料の収集
  2. 各種発電、燃料、素材、モビリティ、温暖化等に関する国内外の研究動向調査
  3. 産学連携による課題の分類、難易度、重要性、必要な基礎技術の探査

などを目的としています。国内でもカーボンニュートラルに関連する技術開発は活発に行われ始めた分野が多く、技術課題も明らかになってきたこの時期を逃さずに、意味のある活動となることを願っています。

また、この活動を通じて地球温暖化対策や技術だけではなく、経営に強い人材の育成を目指してほしいと考えています。25年前に小生がストックホルムのスウェーデン王立工科大学Torsten H.Fransson教授のPBL教育を視察した際に目にしたものは、学生に小規模発電所の経営者になったつもりでヨーロッパ各地からの電力の購入計画を競わせるものでした。技術だけに限らずマネージメントを早いうちから体験することが必要で、ビジネスモデルの仮説検証の必要性を意識した教育を追究して欲しいと考える次第です。

学会参加再開

秋頃から日本機械学会関連講演会への参加を再開しました。リフレッシュのために9月の「D&D2024」 (神奈川大学) 、11月上旬の「関西支部100周年行事」 (京都大学) 、11月末の「1DCAE・MBDシンポジウム2024」 (東広島市) に参加しました。かつて東京大学で卒論指導をしたことのある学生がその道の大家になられても「小生から学んだ基礎を意識しながら研究を続けてこられた」という話を聞いてうれしくなりました。これまではこの方とは会議で同席しても組織運営に関係する話題について意見交換するばかりで、アカデミックな側面に触れる機会はほとんどなかったので、お互いにマネージメントの立場を離れて一研究者同士として話す事ができたのは心安らぐものがありました。

神奈川大学みなとみらいキャンパス

京都大学百周年時計台記念館

山登り再開

退職後にやりたいことの一つである山登りの練習を兼ねて、学会の合間に、石山寺、三井寺に参拝しました。
登山は心肺機能と脚力、柔軟性、敏捷性びんしょうせいが大事な要素ですので、夏からファストウォーキングを行い心肺機能を、スクワットで脚力を鍛えていました。今回の石山寺と三井寺の参拝は、長い石段を登らないと本堂にたどり着けないのと急な下り坂が体験できるので足慣らしに役立ちました。

石山寺山門

石山寺は、紫式部が月を見ながら源氏物語の構想を練った場所であることで有名で、「源氏の間」と称する紫式部がこもった場所がありました。石山寺から見える瀬田の唐橋や三井寺から見える琵琶湖の湖面は風情があり、ここに月が昇れば創作に向けてイマジネーションが湧くような気がしてきました。

源氏の間

ちなみに、大河ドラマといえば戦国、大奥、明治維新がテーマだと思っていましたが、平安時代それも源氏物語を題材とした「光る君へ」を書かれた大石静さんの脚本は大変興味深く感心しました。ドラマ化が決まった2年前には一足早く宇治川地区を散策したこともありました。 (2023年のブログ、トランジェントな時代を生きる (4) )

石山寺から瀬田の唐橋を望む

三井寺から琵琶湖を望む

石山寺の階段

低山登山への挑戦

「日本100低山」という企画がNHKで取り上げられていて、最近では中高年の方を中心に低山登山がブームを呼んでいます。紅葉の季節になったころに、低山の登山を実行に移しました。目指すは長瀞ながとろアルプスコース縦走です。主峰は500m程度の宝登山という山で、ここには宝登山神社奥宮があります。このコースは、秩父鉄道の野上駅を降りてからすぐに登り始めることができるため、そこそこ人気があるコースです。しかしながら、低山といえども頂上直下には急な坂があり200段の階段が待ち受けています。段差のある階段を身を持ち上げるようして片足スクワットで登る状況が続きます。また下山の際には、下り坂をうまく下りないと膝にダメージを受ける恐れがあります。

長瀞アルプスコース (長瀞ハイキングMAPより抜粋)
長瀞町観光協会のサイトより

頂上直下の急な階段

普通のウォーキングやファストウォーキングでは心肺能力の維持はできても、山登りに必要な脚力やひざの粘りは鍛えにくく、また両足スクワットよりも片足スクワットが大切だということが実際に登山してみて初めて分かります。普段平地で行うことができる、近所の歩道橋の上り下りを利用したトレーニングでは踏面はフラットですが、山は不整地が多く、所によっては木の根が複雑に絡まっていたり倒木が横たわっていて歩行の邪魔になるような状況があるため、トレーニングの仕方に工夫が必要であることもよく分かりました。楽しみながら山を降りることができるまでにはまだ時間がかかりそうです。しかし、精神的緊張と達成感の両方を持つ低山登山は心身を鍛えるには適しているのだと思います。

ともあれ、この坂を越えると山頂です。この日は、幸い好天に恵まれ宝登山の山頂は視界が開けていて、秩父の山並みが広がっていました。朝早い時間帯では雲海が見られる時もあるようです。

宝登山山頂

山頂から秩父の山並みを望む

下山途中の紅葉

しかし今年は、暖かい日が続いていたためか、途中の紅葉は、見ごろには少し早かったのが残念でした。

おわりに

西条ブールバールの紅葉

小生は学生時代の4年間、東京大学運動会のワンダーフォーゲル部に所属していました。記憶に残っているワンゲルからの学びに「晴れた日半分、雨の日半分。いつもガイドブックに登場するような景色が見られるわけではない。」という言葉があります。京都や長瀞を訪ねたタイミングはいずれも紅葉の見ごろには少し早く、色づきも今一つでしたが、11月末に1DCAE・MBDシンポジウム2024で訪問した東広島市の西条ブールバールの紅葉は、寒暖差の影響かちょうど見ごろでした。

今後も低山を行くがごとく、準備を怠ることなく楽しみを積み重ね、小さな喜びを見つけて行きたいと思います。