早稲田大学教授・東京大学名誉教授

金子 成彦

1972年 山口県立山口高等学校理数科1期卒
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1972年 山口県立山口高等学校理数科1期卒
1976年 東京大学工学部機械工学科卒
1978年 東京大学大学院工学系研究科舶用機械工学科修士課程修了
1981年 東京大学大学院工学系研究科舶用機械工学科博士課程修了(工学博士)
同年   東京大学工学部舶用機械工学科講師
1982年 東京大学工学部舶用機械工学科助教授
1985年-1986年 マギル大学機械工学科客員助教授
1990年 東京大学工学部附属総合試験所機械方面研究室助教授
1993年 東京大学工学部舶用機械工学科助教授
1995年 東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻助教授
2003年 東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻教授
2018年 早稲田大学理工学術院創造理工学部客員教授
2019年 早稲田大学理工学術院国際理工学センター教授
2019年 東京大学名誉教授
2019年 日本機械学会名誉員
2020年 自動車技術会名誉会員

東京から実家のある山口市までの途中にある名所旧跡を訪ねる小旅行を数年続けてきました、今回の訪問先は京都と尾道です。

京都では、祇園のフォーエバー現代美術館で開催されている「かぼちゃと水玉」で有名な草間彌生さんの展覧会がお目当てでした。草間さんの初期の作品がたくさん展示されていて、緻密な絵からはエネルギーをもらうことが出来ました。

謹賀新年

草間彌生作品

かぼちゃのオブジェと筆者

月並みですが、展示会場からほど近い場所にある清水寺の「戌」の絵馬と狛犬の写真をお届けします。

清水寺の絵馬

清水寺と狛犬

しまなみ海道

京都でエネルギーをチャージした後は、兼ねてより一度は自転車で通ってみたいと思っていた「しまなみ海道」に足を延ばしました。尾道から今治に続く約 70 キロの西瀬戸自動車道は、因島大橋から来島海峡大橋までのルートに歩行者、自転車、原動機付自転車が通れる専用道路が併設されていて、自転車愛好家には人気の高いルートです。年末にもかかわらず、海外からもサイクリストが訪れています。

千光寺からみた天寧寺三重塔と新尾道大橋遠景

尾道は坂の町で有名なところです。西回り航路の中継基地として栄えたところで、現在でも 25 の寺院と 6 つの社が山麓部を中心に残っています。とくに有名なのは千光寺で、ここからは、尾道-今治ルートに掛かる最初の橋である新尾道大橋が良く見えます。

尾道港でレンタサイクルを借りて、対岸の向島に渡船で渡ること 3 分(日本一短い船旅だそうです)、そこから自転車道はスタートします。

向島の中では、道路に引かれたブルーのラインと看板に従って走行します。島といってもそれほど実感がなく、陸続きといった感じです。みかんやイチジクの栽培が盛んです。

尾道港

向島のみかん畑

この島に隣接する因島の間には、立派な因島大橋(橋長 1270m、国内 8 位)が掛かっています。

因島大橋

因島大橋自転車道

自転車道は片道 1 キロ程度ですが、爽快な気分が味わえます。自転車道に上るまでのジグザグに蛇行した道は勾配がきつく、息が上がり足がガクガクし、京都で蓄えたエネルギーをここで吐き出します。下り坂を漕ぐのは爽快で、普段の生活でたまったもやもやが晴れます。こんな感じで念願を果たすことができました。

 

さて、昨年は国内 20 日、海外 40 日、約 2 か月間、学会出張やプロジェクト成果発表、個人旅行等で旅に明け暮れました。

海外では、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、中国に出かけましたが、印象的だったワシントン DC への旅と長沙への旅について説明をしながら大学の来し方行く末について思いを巡らせてみたいと思います。

ワシントン DC

3 月初旬にワシントン DC に行き、シーベルエネルギー財団の授賞式に参加しました。我々の「災害時の事業継続性(BCP:Business Continuity Planning)」に関する研究(注 1)が評価され受賞に繋がりました。

 

この制度は、IoT ベンチャーを経営している Tom Siebel 氏が資金提供して、サイバーセキュリティに貢献するアイデアを募集し、優れたテーマに対して研究資金を提供して頂けるものです。我々の提案は、地震、津波、台風などの大規模自然災害が発生した際に停電からクラウドサーバーを守るために必要な技術であるとの評価を受けました。授賞式の会場は、恐らく二度と足を踏み入れることはないであろう、米国国家登録財に指定されている National Science of Academyでした。

 

このような研究支援制度の背景にあるものは、大学発のアイデアを支援する動きです。

アメリカには SBIR(スモールビジネスイノベーション開発法)という法律があり、アメリカ連邦政府の外部委託研究費の一定割合をスモールビジネスに拠出することを義務付けています。1983 年から 2015 年度までの 33 年間で 389 億ドルの資金が投じられています。この制度は起業した大学院生やポスドクが応募できる制度で、8-15 万ドルの賞金が 2 年間期限で与えられます。研究費の獲得者の 74% は博士号を取得した人です。このような活動の中からバイオベンチャーなどがたちあがったのです。成功しているベンチャーを分析すると、コア学問群とサイエンス型ベンチャーに特徴があります。コア学問とは、心理学、哲学、法学、環境学、数学、物理学、化学、生命科学のことで、ちなみに、従来型の工学である機械、電気等はサイエンス型ベンチャーに遠いそうです。(注 2)

(注 2):イノベーションはなぜ途絶えたか―科学立国日本の危機

著者:山口栄一、ちくま新書(筑摩書房)

 

目下の日本の工学教育は、明治以来の基礎学問の体系を基盤として、戦後発展したコンピュータ、情報、通信、地球環境問題あたりで止まっている感じがあり、その先にある何かを追い求める態度を忘れてはいけないことをこの授賞式では感じました。

また、トム・シーベル氏は、自らも複数の専門分野を学ばれた方で、基礎科学から応用科学へ展開でき、時代が抱えている問題が見える人や先が読める若手を育てようとしていて、先見性を持った人物であるとの印象を持ちました。

さらに、主催者側が期待していることは、各国から選ばれた優秀な人材によって構成されたネットワークを活用して IoT 社会が内包している複雑な問題を解き明かす仕組みの提案と、各国が抱える課題をシステムとソフトの力で解決し、それをビジネスに展開するアクションプランでした。

ナショナル・アカデミー・オブ・サイエンスの建物

なお、我々の提案した BCP に関する研究は、その後、災害拠点病院の非常用エネルギー供給設備導入計画の研究へと発展し、2017 年の JST-RISTEX のテーマに採択され、現在、当研究室の上道茜助教を中心に研究が進められています。(注 3)

エネルギーグリッド・サイバーセキュリティ

脅威と対策

トム・シーベル氏と筆者

長沙訪問

フェン君・程永華駐日中国全権大使・筆者

昨年 11 月に中国で開催されたアジア太平洋振動会議に参加した際に、かつて、博士課程学生として当研究室に在籍した教え子と再会することが出来たことは小生の喜びでありました。30 歳代で長沙市にある湖南大学の教授に昇進した彼は、1000 人計画で中国に呼び戻された留学生の一人で、本コラムでかつて紹介したフェン・カイ君です。(注 4)

湖南大学フェン教授の研究室

フェン教授は、博士課程で取り組んだ理論的研究をもとに、特徴あるフォイル軸受設計論に発展させ、進境著しい中国の精密加工技術と連携することに成功して、実際のもの作りまでを手掛けるようになっていました。また、他大学との共同研究や企業との連携の動きを強めており、研究スタイルの改革にも取り組んでいました。さらに、海外や日本からの専門家も招聘しており、活気に満ちた研究が大学で行われ始めています。

湖南大学では短時間ではありましたが、小型分散エネルギー機器に関する講演を行いました。日曜日にもかかわらず、立ち見が出るほど多くの学生さんが参加してくれて、熱心に耳を傾けてくれました。

筆者の講演会の通知

熱気あふれる学生諸君

千年学府湖南大学

さて、フェン教授が勤務されている湖南大学について紹介したいと思います。この大学は、千年以上の歴史を有しており、前身は宋時代の「四大書院」の一つである岳麓書院(紀元 976)で、1926 年に「湖南大学」と命名されました。多くの政治家、有名人を輩出している中国でも有名な大学で、学生数 3 万人、教員数 4500 名、敷地面積 146 万平方メートルの大規模大学です。

岳麓書院はたいへん広く、総面積は 21000 平方メートルです。なお、現存している建築は殆んど明清時代のものです。主な建築物は、大門、二門、講堂、半学斎、教学斎、百泉斎、御書楼、湘水校経堂、文廟などです。これらはお互いに繋がり、雄大な中国古代の建築の様子を再現しています。岳麓書院の建築は教学(授業をする所)、蔵書(本を収蔵する所)、祭祀(祭りを行う所)、園林(観賞用の庭園)、記念(記念の建築)という五つの部分からなっています。

岳麓書院全体図

御書楼

このように千年の歴史を持った大学でも、欧米や日本から帰国した優秀な研究者の指導の下に、産学連携を通じた実学的な取り組みがなされています。最近では、北京や上海のような PM2.5 問題を抱えていたり、住居費が高い大規模都市よりも、衣食住のバランスのとれた中規模都市に置かれた大学を優秀な学生は選択するようになってきているそうで、このような動きは中国の研究の厚みを増してゆくことでしょう。

変化の年

清水の舞台

縷々述べてきた通り、アメリカと中国では、大学を取り巻く研究環境は変化しつつあり、日本も清水の舞台から飛び降りるような大胆な変化が必要なタイミングを迎えています。

日本の大学を取り巻く環境は相変わらず厳しいものがありますが、向かい風の中でも前に進むヨットのタッキングのように、目標を定めて少しでも前進できるように行動したいと思います。

 

今年もよろしくお願いします。