スペイン語通訳・翻訳 / スペイン語講師

杉田 美保子

スペイン・バルセロナ滞在27年を経て、2015年に帰国。...もっと見る スペイン・バルセロナ滞在27年を経て、2015年に帰国。
石川県金沢市でスペインの生活や、スペイン語の楽しさを細々と伝授中。「故郷」バルセロナとはリモートでの繋がりが中心となっている中、余暇に畑を耕したりしながら、日本の生活も楽しんでいる。
京都のバルセロナ文化センターのスタッフとしても、どのようにしてスペイン語の面白さをみなさんに伝えられるか、日々模索中。

スペインの教育文化スポーツ省認定のスペイン語能力試験 DELE の C1(上級)所持。

スペインのバルセロナに 27 年滞在し、昨年日本に戻り、あっという間に一年が経ちました。元々が日本人なので、日本に戻っても特に問題もなく、今日に至っています。またいつの日かバルセロナに行ったとしても、問題なく滞在ができることでしょう。それは、多分、この二つの違った国をどちらも理解できているからなのでしょうね。そして、このどちらの国も好きなので、ここにこれから書いていくことを、批評や批判としてではなく、一つの「特色だ」と受け止めていただければ幸いです。

パンプローナから約 10 キロの Perdón 峠※ の巡礼者を表現した記念プレート。急坂で息が上がった体に、峠の風は心地よい ※ Perdón峠:赦しの峠

『スペインと日本、どちらが好きですか?』と聞かれたことが、4 万回ほどあります。

「え、4 万回もですか?」と驚くのが日本人で、「じゃ、これで 4 万 1 回目だね」と笑うのがスペイン人です。
日本語だと「ごまんとある」「くさるほどある」「たくさんある」という言い方になるのでしょうが、スペインでは具体的な数字が入ります。たくさん聞いて耳にタコが出来る時には、

「それは 100 万回も聞いたよ」と言ったりします。

さて、本題に戻り、スペインと日本のどちらが好きか、という質問ですが、これは「コーヒーとバナナ、どちらが好きですか?」とか、「ざるそばと鍋焼きうどんのどちらが好きですか?」に匹敵し、私にとっては異次元的な質問になってしまうのです。疲労時にはコーヒーで眠気を覚まし、空腹時にはバナナを、とでも言うのか、暑い夏にはざるそばを、凍えて寒い冬には鍋焼うどんを、という感じで、スペインと日本を「どちらが好きか」でまとめることはできないのです。

今から 35 年前

すでに日本のマンガには国際色豊かな物語が綴られ、その一つに魅了された私は、「アランフェス」という街と「アランフェス協奏曲」という音楽を探すことになったのでした。インターネットもスマホもなかった時代で、図書館にあった本と、FM ラジオの番組欄をしらみつぶしに調べ、「アランフェス」がスペインの内陸、マドリードの南約 60 キロにある街の名前だと知り、ロドリーゴの作曲した「アランフェス協奏曲」第二楽章を FM ラジオで聞くことに成功するのに、2 週間以上はかかったものでした。その「スペイン熱」が、まさか大学卒業まで続くとは家族は思いもしなかったでしょうが、卒業式の 5 日後に、日本を発ち、スペインへ向かうことになったのです。

現地入りして気がついた、スペインと日本の大きな違いは、休暇にありました。スペインには、主に三つの大型休暇があります。3 月または 4 月にある「イースター(聖週間)」、「夏休み」、「クリスマス休暇」なので、夏休みが終わりかけると、その次のクリスマス休暇の計画を立てます。クリスマスが終わると、イースターの、そしてイースターが終わると夏休みの、という、実に分かりやすい休暇計画を立てて行くのです。

一般の会社員が 2 年目からもらえる有給休暇として、30 日が法律で決められていて、その有給の休暇を小分けに消化することができるのです。そしてその中で一番大型のものは 15 日以上でないといけない、ということなので、「休暇」というのは 2 週間以上取り、心も体もリフレッシュせよ、ということになるのですね。ですので、大方のスペイン人は夏に 3 週間連続の休暇を取り、外国旅行に行ったり、国内の避暑地のキャンプ場やビーチ近くの別荘で過ごしたり、という休暇を過ごします。そして、1 週間はクリスマス休暇のために残しておき、年末年始を含むクリスマス休暇を楽しみ、残りの数日は、イースターやその他飛び石連休などにくっつけて、消化していきます。小さなお子さんのいるカップルなどは、この休暇の調整が特に難しいのです。なにせ、学校の夏休みは日本の倍以上、6 月 24 日から 9 月一杯となる場合が多いからです。

早目の夕食の後、El Acebo 村にある教区ユースホステルのおもてなし ボランティアさんが、十字架を見に連れて行ってくれた。 逆光で写すのがコツだそうだ

スペインの出版社で正社員として働いていた時期には、私もこの恩恵にあずかることができました。
7 月の締め切りと同時に 8 月号も前倒しで、雑誌のページ数を減らして準備した後、3 週間の休暇となるのです。さすがに、3 週間全部を使って旅行に出てしまうと、せっかくの夏のボーナスを全額つぎ込むことになってしまうので、ここは堅実に、10 日間くらいの旅行をすることが多かったですね。

こういう短期間での旅行スタイルで特に気に入ったのが、「スペイン巡礼の道」を歩くことでした。
そこで、このコラムの本題、「巡礼の旅」のご説明をしていくことになるのです。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

1993年に世界遺産に登録されたのが、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道」です。イエス・キリストの 12 使徒の一人、聖ヤコブがエルサレムで亡くなった後、このスペインのガリシア地方の町まで運ばれ、埋葬されたという伝説だそうですが、この聖地が「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」、略して「サンティアゴ」と言い、スペインでこの巡礼のことを「Camino de Santiago(サンティアゴの道)」と呼びます。世界中から巡礼者が集まる「カミノ・フランセス(フランスの道)」は、フランスの「サン・ジャン・ピエ・デ・ポル」から始めるか、スペイン側の「ロンセスヴァジェス」から始めるか、が一般的で、西にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指し、約 800 キロの行程を、30 日ほどかけて歩くのです。ただ、現実には、一ヶ月の休暇が取れない、連続の徒歩行程が困難な場合などがあり、毎夏 1 週間、3 年かけて達成する人もいますし、1 年のすべての休暇を利用する人など、様々な巡礼のスタイルがあります。また、サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着すると、「コンポステーラ」という証明書がもらえるのですが、そのためには「サンティアゴに 100 キロ以上離れたところから徒歩で歩いてくること」という決まりがあるので、この 800 キロの最後の 100 キロだけを徒歩で巡礼する人もでてきます。この巡礼を計画するには、基本的に「どこから始めて」「どのくらい歩くか」で、あとはその日の体調、その日の天候に左右されるだけ、という、現代のライフスタイルなどからは、とてもかけ離れたものとなり、そのために日常のストレスを解消するためのセラピーとして巡礼する人もいるぐらいです。実際、数回巡礼の旅を続けた筆者も、肝心の「サンティアゴから 100 キロ」の所からサンティアゴに到着していないので、巡礼の旅はまだ未完なのです。

バルセロナのカミーノ友の会で手配してもらったCredencialと、 ロンセスヴァジェスのアルベルゲのスタンプ

この巡礼を始めるにあたり、住んでいる地域の「カミーノ友の会」へ頼めば、「クレデンシャル(Credencial-巡礼手帳)」の手配をしてくれて、小額の寄付金で手に入れることができます。この手帳は、巡礼中とても重要なもので、毎日到着する宿泊施設・アルベルゲ(ユースホステル形式のものが大多数)で提示し、その宿泊場所のスタンプを押してもらい、その町に滞在したという証明書となるのです。そして、巡礼の始まりの村を決め、そこまでの交通機関の切符を手配します。

ただ、その昔は「巡礼は家から出発する」ということで、自宅を徒歩で出て、カミーノに合流する、という敬虔な巡礼者もいたということです。バルセロナから徒歩で行ったのでは、10 日の休みだけでは出発地点にさえ到達できない、ということで、バスやタクシーなどを利用して「現代的」巡礼を始めました。

サンティアゴ・デ・コンポステーラまで 790 キロ!

巡礼に出かける前に、もう一つしなければならない重要な用意があります。これが、歩くときのシューズの手配です。一日 20 ~ 30 キロの徒歩行程。夏は暑く、春・秋は寒く、雨になることもあるので、足回りの準備はとても大切なのです。このシューズの慣らし履きが十分でない、または足に合っていないシューズを履いてしまうと、とんでもなく最悪な事態になってしまうのです。

巡礼の旅の始まり

2013年7月10日から、巡礼の旅が始まりました。バルセロナの自宅を出て、「牛追い祭り」で有名なパンプローナヘはバスを利用し、パンプローナからロンセスヴァジェスまでは 45 キロほど、この行程は同行の友達と計 4 人だったので、タクシーで移動しました。旅行に出るときには、必ず「重要なものを忘れる」というジンクスのある私ですが、今回も身分証明書が見当たらない! と大騒ぎをし、自宅に取りに戻り、しかし結局ウエストポーチに入っていた、という大失態をし、ギリギリバスに乗り遅れるかも、という、ヒヤヒヤした第 1 日目をスタートしたのでした。

2011 年に新しいアルベルゲができるまで使用されていた古い施設 (新しい施設が一杯になると、こちらの古い方に泊まることになる)

ロンセスヴァジェスにはお昼過ぎに到着。この村には 2011 年に完成した新しいユースホステルがあり、宿泊料は 10 ユーロと、少し高かったのですが、施設はとても綺麗で、巡礼前夜の宿としてはとても満足のいくものでした。ただ、もしあと 2 時間到着が遅ければ、この施設の全 183 ベッドが一杯で、古い施設に行かなければならなかった、というほど、この日ここに集合した巡礼者の数は多かったのです。持参したリュックには、その日のお昼のおにぎりやサンドイッチが入っていたので、まずはそれをテーブルに出し、おかずと飲み物は現地のバルで調達しました。

巡礼の道沿いにあるバルやレストランだけでなく、今でもバルセロナのバルなどは、自宅からもってきたサンドイッチを店内で食べるイートインシステムがいまだに残っていることが多く、飲み物、食後のコーヒーなどはバルで頼み、持参のサンドイッチを食べる、というわけで、これには今回日本から私たちの巡礼に参加した友人夫婦もびっくりしていました。

1 日目の「オススメの行程」は、20.7 キロに設定されていて、ルートと高低差、途中の見所が表示されている

シューズの次に重要なのが、持って歩くリュックの重量です。自分の体重の 10% 以下に抑えるのが好ましい、とは、どんなガイドブックにも出ている情報ですが、これがとても難しいのです。では、どこで調整すれば良いのか? それは、「もしかしたらこれは必要かも」という、「もしかしたら」グッズを切り捨てることなのです。というのは、夏の巡礼には日焼け止めは必須だし、2 ~ 3 リットルの水は常時携帯しなければならず、早朝や、就寝後に使用する懐中電灯も必要です。ですので、そういう重要なものを持つために、リュックも空っぽの状態で 800 グラム、という超軽量なものを選ぶなど、こだわってみるのがオススメです。ちなみに、持って行く着替えは、着ているものと、替えが 1 組。1 日の歩きが終了した時点で洗濯をし、干しておけば、次の日には乾きますし、乾かなければ、リュックにくくりつけて、天日干しをしながら歩くのです。必須の持ち物の一つに、「安全ピン」というのも、ここに書いておきます。それと、到着後に着るラフなワンピースでも 1 着あれば、周りを見回すと全てが巡礼者、の村々では十分なのです。毎日違った村に到着をしますが、夜に巡礼者への祝福のミサをしてくれる教会が多いのも特徴です。教会という神聖な場所に出かけるわけですが、巡礼者は短パンにビーチサンダルでも歓迎して入れてもらえます。暑い中、長距離を歩く身体の鍛錬、という感じの巡礼ですが、聖地に徒歩で向かっているということで、巡礼者に一目置いてくれる、という慣習はとてもありがたいことです。

では、次回はフランスの道の第 1 日目からの出来事と共に、スペインのゆとりや生活スタイルについてお話していきたいと思います。日本とは全く違う国のことで、読むだけでは「ピン」とこないかも知れませんが、ぜひ、お付き合いいただければ、と思います。

¡Hasta luego! (アスタ・ルエゴ、
「またね。さよなら」の意)