スペイン語通訳・翻訳 / スペイン語講師

杉田 美保子

スペイン・バルセロナ滞在27年を経て、2015年に帰国。...もっと見る スペイン・バルセロナ滞在27年を経て、2015年に帰国。
石川県金沢市でスペインの生活や、スペイン語の楽しさを細々と伝授中。「故郷」バルセロナとはリモートでの繋がりが中心となっている中、余暇に畑を耕したりしながら、日本の生活も楽しんでいる。
京都のバルセロナ文化センターのスタッフとしても、どのようにしてスペイン語の面白さをみなさんに伝えられるか、日々模索中。

スペインの教育文化スポーツ省認定のスペイン語能力試験 DELE の C1(上級)所持。

¡Feliz Año Nuevo!
Bon Any Nou!
新年明けましておめでとうございます。

変化、という観点で見ると、やっぱりスペイン変わった !

30年以上前、バルセロナ五輪の頃にバルセロナで知り合った麻紀ちゃんと、久々に金沢で再会しました。お互い20代だった私たち、当時はフットワークも軽く、家族がいたわけではないので、かなり自由に旅行したものです。当時、クラブメッド1週間滞在がお気に入りで、冬はアルプスのスキーリゾート、夏は中央フランスの高原で乗馬を楽しみ、というお気楽なバカシオネス (vacaciones (スペイン語) 、vacançes (バカンセス、カタラン語) =バカンス、休暇) を楽しんだものです。

調べてみると、現在はとても価格が上がっていて、また円安の折、「無理無理無理」と心の叫びが聞こえてきました。当時、1週間滞在、連日3食にはワインなどの飲み物代込み、スキーレッスン、リフト券や、乗馬レッスン代を入れても、一泊1万円ほどの計算だったと思うのですが、今は当時行ったリゾート地さえ、リストには見当たりません…。

30年前のスペインは、12月号でお話しした現在のスマホ世界なんて、近未来映画のようなもの、携帯電話は普及しておらず、公衆電話は当たり前。固定電話で待ち合わせ時間を決め、当日遅刻しても連絡できず、という生活でした。そんな中、麻紀ちゃんとの連絡をどうやってしていたのか、なんて、到底思い出せませんが。

カタルーニャ以外に、スペイン、南仏をスケッチされた谷さんの画集。筆者も巻末に旅日記を寄稿させていただいた

1993年4月、谷昭二さんという、光風会会員、日展会友であった画家さんが金沢からデッサン旅行に来ました。カタルーニャ州はスペインの北東に位置し、北はピレネー山脈でフランスと接し、西は乾燥した内陸、東は穏やかな地中海、という、逆三角形のような地形。カタルーニャにある4県を5週間かけ、スケッチして回る、という夢を叶えるべく、スペインにいらっしゃったのです。

カタルーニャ州北西のピレネー山脈、南部内陸、バルセロナ西部近郊、村には必ず教会がある。石造りの建物は、日本の田園風景とはかなり異なる
バルセロナでももちろんスケッチ。何度か訪れたスペイン各地の作品をまとめて出版されたため、取材地はかなり多い

移動は電車、バス、タクシーを駆使。旅行中にスケッチをされている間は、筆者のすることはほぼ皆無だったため、麻紀ちゃんを誘って、三人で旅をしたこともあります。谷さんを草原や丘に案内し、お迎えに来る時間と場所を決め、自由行動です。宿泊したホテルで自転車を借り、サイクリングしていると、乗馬のできる施設を発見、筆者にとっては初めての体験です。基本馬は私なんかの言うことは聞かず、最前を行くインストラクターの掛け声と鞭を見て、筆者を背中に乗せ、トロット、キャンターと速度を変えていきます。乗馬未経験だった筆者は、比較的穏やかな、どちらかというと高齢の馬に案内されたものの、あまりの速さに怖気付きます。「あああ、やめてー」と手綱を引くと、ここは言うことを聞く馬。…急ブレーキ。はずみで筆者落馬 !

バルセロナから海岸線を北上、フランス国境近くの「コスタ・ブラバ (荒い海岸) 」にある村、カダケス。海あり山あり、1日では描ききれない。せっかくだからと麻紀ちゃんを誘い、ここで乗馬初経験をする

草原でのお散歩、落ちたところは柔らかく、ケガはなかったものの、悔しい ! それが麻紀ちゃんとの乗馬バカンス計画へと発展したのです。
行き先はポンパドゥール、フランス中央部より南西にある町で、クラブメッドもリゾート施設を展開していました。バルセロナから電車を乗り継ぎ、いざ出発。

お互いの固定電話で日時と集合場所を決め、理由は忘れたのだけれど、バルセロナ中心の駅ではなく、乗る予定の特急が停車するという郊外の駅で落ち合いました。「あ、あの電車だね ! 」と止まっていた電車に乗り、「まだ時間あるから、送ってきてくれた友達に挨拶してくるねー」と麻紀ちゃんは荷物を座席に置き、ホームへ下り…

「プシュー…… ガッタン………ガッタン……ガッタン…」

なんと電車が音もなく発車し始めたのです !

そうです。現代こそ、安全確認のために「ドアが閉まります。白線までお下がりください。発車します」というアナウンスが入るものの、当時のバルセロナ、定刻になるとドアが閉まり、静かに出発、と言うパターンが普通でした。そして、電車の窓も手動で開けることができ、「麻紀ちゃーん」「みほさーん」「次の駅で降りて待ってるね ! 」と。

ホームに残った麻紀ちゃんは、切符もお財布も一足先に旅立ったため、「えー ? 信じられない ! 」状態で、しばし呆然。筆者は貴重品を手に、車掌を探しにいきます。かくかくしかじかを説明し、私はどこで友達と落ち合えるか、乗車中の電車は次、どこに止まるか、ポンパドゥールへ行く次の電車の時刻、などの情報を得ます。現代ならば、バッグを座席に置いても、スマホは手にして、と言う感じなので、麻紀ちゃんに電話すれば話は済んだのですが、当時はそんな文明の利器はありません。

借り物のヘルメットにブーツ、記念撮影はサービスに含まれていなかったが…

各駅停車で次の駅で降り、私を送ってくれた友達に公衆電話から電話をすると、無事帰宅していて、事の次第を説明。麻紀ちゃんも私の友達に電話をして、どの駅で落ち合えるか説明。再び私も電話をかけ直して説明を聞き、と言う伝言ゲームが始まったのです。「今なら絶対にこんな混乱は起きないよねー。ハハハハハ」

バッグもなく、もちろん携帯なんてものも持たずに麻紀ちゃんが私の自宅に電話できたのは、今では不思議と思われることでしょう。当時はほぼ全ての人が、最低5つの電話番号をメモなしで、頭にインプットしていたものです。自宅、職場、友人、家族…。今ではスマホの住所録を見ないと、電話なんてかけられません。進化と呼ぶのか、退化と呼ぶのか… ?

別の旅行ではフランスのアルプスにスキーへ。ありがたいことに地続き、電車を乗り継げばどこへだって行ける

金沢で久々の再会で麻紀ちゃんが覚えていたのは、あれは駅で乗り込んだ電車が近郊線の各駅停車だったこと。乗るはずの特急は到着が遅れていた、とのことですが、後の祭り。結局、お昼に到着予定が、夕食時間になってしまい、とんだ長旅となってしまったのです。細部はすっかり忘れていた筆者。日本では30年前でもここまでの悲劇は起こらなかったでしょうし、小さな駅でも遅延情報は駅で確認できたことでしょう。そこが、スペインのゆとり。何事もポジティブにとってしまうのが精神衛生上良いのかな、と思っています。

最近のバルセロナは、地下鉄のホームやバス停にも電光掲示板で「あと何分で電車が来ます」「〇〇番のバスはあと何分で来ます」表示があり、「次の駅 (バス停) は〇〇です」「スリには気をつけてください」と言う多言語でのアナウンスが入り、乗り間違い、乗り過ごししにくくなっています。その分、雑多な音が耳に入り、昔の静かな車内、という感じではなくなったのが残念な部分もあるのですが。

筆者をスペインへと引き寄せたのは、ナルシソ・イエペスの演奏する「アランフェス協奏曲」。バルセロナ滞在中にイエペス氏の未亡人にお会いでき、10弦ギターを見せていただいた。夢の1つが叶った瞬間

それ以外にも、タバコ、不動産、ガソリン、バルで飲むコーヒー、日替わりランチなど、1988年から2024年の36年間で、かなりの物価上昇がありました。日本でハイライトの価格が200円の頃、スペイン標準銘柄タバコは103ペセタ (当時の円では100円を切っていました) 。現在は5.20ユーロ (約832円) 。ざっくり計算で、36年間で8.4倍ほどの上昇率です。

ありがたいことにスペイン、物価は上昇するのですが、その上昇分は毎年の給料の賃上げにも反映します。ああ、またスペインで住みたいな、と言う妄想が頭をよぎるのですが、これから大移動することを想像すると、妄想にとどめてしまいます。やっぱり、様々な経験を重ね、日本滞在も早10年となる今、渡西した22歳の私ではなくなったということなのでしょうね。

バルセロナ到着後に始めた製本の学校で。一枚の紙を折って、切って、プレスして、縫って、貼って、重しをして、と言う工程は長いのだが、忍耐の修行には最適だった
書くことの好きだった筆者、後年にはDTPオペレーターとして出版社勤務、果てはコラムも書かせていただけることになった。夢のようなご縁に感謝

この10年の日本での生活の間、8年以上に渡り、私事を含め、日本とスペインの生活の違い、それぞれの文化やゆとりの違いを書かせていただきました。このコラムを読んでくださっている方々には感謝の言葉しかございません。また、メルマガの歴代および現在のご担当の方々には締切突破や画像のまずさなどがありながらも、毎月フォローいただきました。こんな貴重な経験をいただけたご縁は、本当に大切な宝物です。ありがとうございました。

これからも、スペインは日本同様変わっていくと思いますが、古くからの文化、習慣、人々の生き様、考え方は代々続いていくものと思っています。どうか、まだスペインを訪れたことのない方、また「もう一度」と考えていらっしゃる方、ご旅行計画を立てていただき、このゆとりを現地で体験していただきたいな、と願っております。長い間、応援いただきありがとうございました !

では、2025年もみなさまの益々のお幸せとご健康をお祈りいたしております。

杉田美保子

今月のフレーズ

- スペイン語 -
¡Feliz Año Nuevo! (フェリス・アーニョ・ヌエボ)
明けましておめでとう

- カタラン語 -
Bon Any Nou! (ボン・アンニ・ノウ)
明けましておめでとう