スペイン語通訳・翻訳 / スペイン語講師

杉田 美保子

スペイン・バルセロナ滞在27年を経て、2015年に帰国。...もっと見る スペイン・バルセロナ滞在27年を経て、2015年に帰国。
石川県金沢市でスペインの生活や、スペイン語の楽しさを細々と伝授中。「故郷」バルセロナとはリモートでの繋がりが中心となっている中、余暇に畑を耕したりしながら、日本の生活も楽しんでいる。
京都のバルセロナ文化センターのスタッフとしても、どのようにしてスペイン語の面白さをみなさんに伝えられるか、日々模索中。

スペインの教育文化スポーツ省認定のスペイン語能力試験 DELE の C1(上級)所持。

前回のコラムでは、スペイン巡礼の道の出発点、ロンセスヴァジェス(Roncesvalles)まで到着しました。

ヒマワリ畑

今回は、いよいよ実際に歩き始めることになります。一般的に、夜 9 時ごろから夕食が始まる、という宵っ張りな生活のスペインですが、さすがに巡礼の場合は勝手が違います。1 日 20km 前後を歩くため、体調管理は必須。寝不足の体で 7kg 前後の荷物を担いで炎天下を歩くなんて、神にもできない神業でしょう。

教会の内部をめぐるツアー。巡礼者たちの服装はラフで、 ビーチサンダルでも許される

到着初日は、教会の上から下まで、そして教会の外にある遺骨が無造作に投げ込んであるお墓などを、次の日から一緒に巡礼の道を歩く人々と共にガイドツアーで案内してもらいました。午後 8 時から巡礼者のためにミサが行われ、各国語で祝福の言葉を頂くのですが、その感動を胸に夜 10 時に消灯。日本から巡礼の旅のために来た友達 S さんのご主人 O さんは、時差ぼけとの戦い。筆者の親友 P さんは懐中電灯を点け、持ってきたメモに日記をつけ始め、S さんと私は早々にベッドに。徒歩 1 日目の明日は起床 5 時半、出発 7 時ごろという設定にし、眠りについたのです。

7 月初めのスペイン

7 月初めは、日本なら朝 4 時半には太陽が出て、夜 7 時近くまで明るいのですが、スペインとは少し太陽時差があります。朝 7 時前に日の出、夜 10 時ごろまで明るいスペインの地での午後 10 時消灯は、至難の技。慣れないユースホステルの 2 段ベッド、近隣から聴こえてくるイビキの合唱、寝入ったころに周りがザワザワとしてくるというわけで、眠ったのかどうなのかも分からないままベッドを出て、着替え、歯磨き、トイレを済ませ、靴を履き、いざ出発。

出発の際にとても重要なのがトイレと、リュックの荷物の作り方。
4-5km ごとに村があるとはいえ、日本のようにどこに行ってもトイレがある国ではないので、それなりの苦労をすることになります。リュックは、軽量にするため必要最低限のものしか入っていない、とは言え、日焼け止め、水筒、カメラなどはすぐに出せるようにしておかないと困るもの。そこで仕舞い方を失敗すると、歩いている時にリュックが右か左に偏ってしまい、歩きにくくなるのです。

夜行列車のようなコンパートメント式施設。
10 ユーロは高いと思ったが、次の日に前言撤回

出発が 7 時前、8 時ごろに最初の村に到着。朝食・トイレ休憩

7 月 11 日の出発は 7 時前。まだ夜が明けたばかりで、気温も穏やかで、長い影法師が道路に伸びるのですが、8 時を過ぎるころには太陽の光が「ギラギラ」となり始め、ここで「しまった!」が起こるのです。日焼け止め! 西に向かって歩くので、持参したサングラスは歩く時の邪魔になるだけでした。その分、後方から太陽の光がじりじりと腕、足、首などを突き刺すのです。早朝と昼間の気温差がとても大きく、太陽が出るやいなや、来ているものを脱ぎたくなるほどの暑さです。

巡礼の歩き方

巡礼の歩き方にも、人それぞれスタイルがあり、2 時間おきに休憩を入れ、靴とリュックを取りたい派、止まると疲れが倍増するのでひたすら歩きたい派、などいろいろです。初日は 4 人で足並みを揃えて歩き始めたのですが、時計を見ながら休憩を入れるのではなく、身体が欲した時が休憩タイムなので、どうしても無理があったようです。掲示板には 20.7km とあったにもかかわらず、実際スビリ(Zubiri)という村までは 21.5km ほどで到着しました。ただ、嬉しいことにたくさんの日陰があったため、初日にしてはハイキングのようでとても楽でした。

黄色い矢印が巡礼の道しるべ。 紅白のラインは欧州規格の「GR/Gran Recorrido」、「長距離歩道」を意味し、 それぞれ番号が付いている

ロンセスヴァジェスは、スペインの北、まだ高地なので、森や林の中を通ったりするとかなりの日陰があります。前回お話しした青地に黄色の帆立貝のマークとは別に、シンプルな黄色い矢印も道しるべとして使われていて、道が分岐する場所では、この目印が重要になってきます。この「フランスの道」はいくつかある巡礼の道の中でもメインなので、道を間違えることはほとんどないほど整備されているのですが、それ以外のルートでは道を間違えて逆戻りを余儀なくされたりする場合もあるほどです。そんな時にどこに目印があるかを探しながら歩くのも、巡礼の醍醐味です。

親友 P さんが貧血になったのは、到着後の昼食時。見る見る真っ白になっていく彼女の顔を見た時に、みんなが「あちゃ〜」と思ったものでした。原因は、涼しかったために水分補給を十分にしなかったこと。「喉が渇いていなかったから」というのですが、体に必要な水分と喉の渇きは関係がないのですね。また、日陰が多かったので帽子を被らなかったこと。

そして、到着後に「汗をかいたまま昼食するのは嫌よ。」というのでシャワーを浴び、リラックスしすぎてしまったこと。いうなれば、軽度の熱中症のようなものでした。しばらく芝生に寝そべってから復活した P さんは、無事メインディシュのステーキを食べられるほどに復活したので、まずは 1 日目はクリアーですね。

朝の太陽が長い影ぼうしを作ってくれる。 「自撮り」ならぬ「自影ぼうし撮り」が厳しい行程中の楽しみの一つ

宿泊施設には、公共のものとプライベートのものがありますが、公共のものはリーズナブルで、長丁場となる巡礼には必須の施設です。私たちの宿選びは、「リーズナブルに抑え、その分を食事に充てたい」というものだったので、最初に探すのは公共の宿泊施設でした。ロンセスヴァジェスには選択肢が無かったのですが、普通は村にいくつかの施設が存在し、その一つを選ぶのです。

さて、スビリでの宿泊施設ですが、多分ここが一番最悪だったかな、と思えるほどお粗末なものでした。使用しなくなった小学校の校舎が宿泊施設になったもので、1 教室に 22 のベッドが 2 段になり、所狭しと並び、それももちろん仕切りなしの男女兼用。女性用のシャワー室は 4 つあったものの、隣との仕切りがなく、排水口も詰まり気味、ビーチサンダルを履いて入っても水が逆流してくるのが気になる、という劣悪な状態。それが 8 ユーロとは、ロンセスヴァジェスの 4 人で一つのコンパートメント施設(充電用のコンセントとコイン式ロッカーが人数分装備)の 10 ユーロと比べると、とても割高感。

涼しい林の中、影が多いので嬉しい。つい帽子のことを忘れてしまう

巡礼の道は、宿の当たり外れも想定内で、相部屋が嫌な人はワンランク上のオスタル(ホステル)やホテルをどうぞ、ということになります。老若男女混じった教室ですが、それぞれ疲れて到着するので、周りで誰が何をしていようとも、みんな我が道を行くので、着替えだろうがなんだろうが、平気なものです。ここに欧米人と日本人の男女関係の感覚の違いを見てしまいました。ただ、屋根のある施設で寝ることができ、水もトイレも整っているので、あまり文句を言うとバチが当たりますかね。

午後は全くのフリータイム

午後は全くのフリータイム となります。昼食がだいたい午後 2 時なので、それが終わり洗濯をする人、柔軟体操をする人、街をぶらつく人、はたまた Siesta(シエスタ・昼寝)をする人などなど多種多様です。

15 ~ 20 分の Siesta が理想的で、頭も体もリフレッシュ。最近では名ばかりとなりましたが、私が渡西した当時は、Siesta の時間(14 ~ 16 時くらい)は商店が軒並み閉店したものです。スビリの村は、特にこれといった観光名所も無く、昼間は暑いので、おのずと宿泊施設の中庭に人の輪ができます。荷物を減らすために洗濯洗剤をケチって持ってきたため、どうしようかと考えていた時にログローニョという町出身の親子が巨大な洗濯石鹸を貸してくれました。これがきっかけで、巡礼での最初の友達ができたのです。ただ、「こんな大きな洗濯石鹸をリュックに入れて歩いているんだろうか、この人たちは?」という疑問も沸いたのですが。

夏が過ぎ、秋が近づくと、ヒマワリも枯れていく。 前を歩く巡礼者たちが道標の矢印とニッコリマークで「頑張れ」と励ましてくれる

では、次回は、スビリで出会った親子が、なぜとてつもない大きな洗濯石鹸を持って歩いているか、という謎に迫りつつ、道中での感動や見聞きしたもの、地域のお祭り、パンプローナの牛追い祭りについてお話しします。日本とは全く違う国のことで、読むだけでは「ピン」とこないかも知れませんが、ぜひ、お付き合いいただければ、と思います。

¡Hasta luego! (アスタ・ルエゴ、「またね。さよなら」の意)