スペイン語通訳・翻訳 / スペイン語講師

杉田 美保子

スペイン・バルセロナ滞在27年を経て、2015年に帰国。...もっと見る スペイン・バルセロナ滞在27年を経て、2015年に帰国。
石川県金沢市でスペインの生活や、スペイン語の楽しさを細々と伝授中。「故郷」バルセロナとはリモートでの繋がりが中心となっている中、余暇に畑を耕したりしながら、日本の生活も楽しんでいる。
京都のバルセロナ文化センターのスタッフとしても、どのようにしてスペイン語の面白さをみなさんに伝えられるか、日々模索中。

スペインの教育文化スポーツ省認定のスペイン語能力試験 DELE の C1(上級)所持。

前回は、パンプローナ(Pamplona)の町で、牛追い祭りの午後の余韻を楽しみました。今回は、パンプーロナの街を突っ切り、次の村を目指します。

Trinidad de Arre - Cizur Menor - Obanos

遠くからだと丘に見えた「Alto del Perdón(赦しの峠)」も、近くに来るとかなりの勾配がある山だ

この日は、パンプローナの牛追い祭りも残す所あと二日、お祭りの佳境で、パンプーロナの街を徒歩で通り抜けるのを断念した私たち。「え? 巡礼の旅にタクシー?」。…ええ、良いんです…。だって、早朝からエキサイトしている街を通過しようものならば、酔っ払いは通りに寝転び、ビールやワインの匂いが漂い、「なんで、こんな暑い中を歩くんだろう?」という疑問が湧いたり、もしかしたら牛に踏み潰されてしまうかもしれないじゃないですか…。

麦畑が続く道端に、色とりどりの季節の花が咲いていて、きつい登りの間、目を楽しませてくれる
闘牛場の入り口。 この狭い通路を牛と人が走って入場するが、一つ間違えば大変危険だ

午前 8 時の牛追い開始の直前に無線で呼び出されたタクシーの運転手さんですが、見事赤と白の牛追い衣装をまとい、テレビで見るはずの牛追いをラジオで聞くことになったにもかかわらず、嫌な顔一つせず荷物をトランクに入れてくれました。「ごめんよ、ちょっとラジオの音量を上げさせてもらうよ。やっぱり毎朝の牛追いの様子は知っとかないとね」と、陽気な運転手さん。「あなたたちは、どこの人かな? 牛追いって知っているの?」という質問に、「いえ、そんなに詳しくはありません」と言うのがスペインはカタルーニャ州出身の P さん。私たち日本人にはもっと未知なものです。「じゃ、ラジオを聴きながら解説してあげるか。 …ん? どうしたんだ?」。ラジオの解説はとても切迫したものでした。どうやら事故が起こった様子です。「原因はわからないんだが、闘牛場の入り口の柵が閉鎖してしまったようだよ。牛も人も闘牛場に入ろうとしているんだけれど、たくさんの人々が転んだりして、団子になっているようだ。かなり緊迫しているぞ」。

それから Cizur Menor(シスル・メノール)の街まで約 20 分の間、牛追い祭りのルールを解説してくれた親切な運転手さん。早く会社に

戻って、この日の牛追いをテレビ中継で見たそうな感じです。そうなんです、パンプローナはお祭りのため、休暇を取っている人が多いのでした。出勤している人たちも、会社の控え室でテレビ観戦するほど、町一丸となったお祭りなのです。日本の伝統的なお祭りにも、こういったエキサイティングなものが数々ありますが、やはりこのタクシーの運転手さんのように、祭日返上で仕事をし、それでも「時間があれば、テレビで見よう」ということになるんでしょうね。スペインと日本。離れていても、伝統への思い入れは同じなのですね。

タクシーを降り、歩き始める。 正面に今日超える山が見えてきた。丘のようだ

タクシーを降り、後ろを振り向くと、パンプローナの町は雨雲に覆われ、はっきりとしないお天気。しかし、天は私たちの味方をしてくれて、涼しく、歩くにはもってこいの気温。なにせ、今日は山越えです。前方に見えてきたのが「Alto del Perdón(赦しの峠)」。遠目には「丘」のような様相なのに、実際に登り始めると息が上がり、汗が噴き出し、足が前に進まないのです。その時にチラリと見えた、稜線を駆け抜けるランナーの姿に、「あんなところを人が走っている!」とみんなが叫んだのでした。

通称「奇跡の泉」という場所が頂上に着く前にあるのです。そこで、先ほど丘陵を走っていたランナーと出会ったのですが、「なんでこんな高地を走っているの?」との問いに、「先週までは、丘を駆け上り、稜線を走り、丘を駆け下り、というトレーニングしていたんだけれど、今週はダメだね。さすがに、上りには顎が出たよ」とは、パンプローナっ子。やっぱり、連日の牛追いと酔いどれには、さすがの若者も体力が落ちるっていうもの。これも万国共通なので安心しました。

「¡Buen camino!(ブエン・カミーノ、良い巡礼の旅を!)」

という言葉を背に受け、頂上を目指します。

Perdón 峠の巡礼者の記念碑。 様々な時代の巡礼者のシルエットが浮かび上がっている

Alto del Perdón(アルト・デ・ペルドンと発音します)を直訳すると「赦しの峠」となります。英語でのパードン、スペイン語ではペルドンとなります。スペインの歴史家ホセ・ペラレス氏が「ナバラ新聞」に書いた記事によれば、13 世紀頃、ここに「赦しの聖母(Virgen del Perdón)」の僧院と、巡礼者のための病院があったため、この名がついたそうで、「ここに到達すると、サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着するのと同じご利益があり、不慮の事故で巡礼を最後まで終えられなくても、すべての罪が赦され、精神の健康が保証される」のだそうです。それで、「赦し」です。ですが、歴史はさておき、「厳しい坂だったけれど、頂上に着いたら素敵な風景なので、赦してあげよ

う」と私たちのほうが言いたいほどの急勾配でした。このコラムの第一回目のトップ写真が、赦しの峠です。今回のコラムでは、別のアングルでご紹介します。荒涼な丘を登りきり、汗をかいた体に、峠の風は天からの贈り物のようなものだからです。巡礼の道には、記念写真に最適な場所が数多くあるのですが、多分、この峠の景色は五本の指に入るものでしょう。

さて、登りがあれば、下りがあるのがこの世の常。峠に沿って道が続くのですが、巡礼者はこの素晴らしい景色を後ろに、峠を下りていくことになるのです。その道の辛いこと、辛いこと。登ってきたのとほぼ同じ傾斜が下りとなり、その上、道には小石がたくさんあり、気をつけて足を乗せないと、「ずずず」と滑ってしまうことに。しっかりした土の道を踏みしめて歩くのとは違い、ごろごろした大きな砂利の上を歩くのは、普段使わない筋肉と、神経を使うもの。足の先が、前に、前にと、靴のつま先に押され、だんだん足に神経が移っていくのがわかるほど。今まで感じなかったほど、「足」の存在が自分の中で大きくなる感覚。早く宿について、靴を脱ぎたい! というのがこの時の心境です。

延々と続く麦畑。 7 月なのに、風景が黄金色というのがとても不思議だ

いくらスペイン北部、とはいえ、7 月のナバーラ地方は夏。朝晩の気温は低いものの、日中は太陽の光と青い空、気温は 30 度近くになるのです。登った距離だけ、下る距離があります。遠くに次の目標である Puente la Reina の町が見えるのだけれど、歩けど、歩けど、距離が縮まらないのです。日陰を探がそうにも、周りは麦畑。ウテルガ、ムルサバルという村を通過し、町ごとに水分補給のために一休み。水分だけではなく、塩分も補給しながらの辛い道程です。人のいない麦畑の間を歩くときが、この巡礼で一番辛い、でも一番実りの多い時間が過ごせるのです。「自分と向き合う時間」です。
双肩に食い込むリュックの重み。それぞれのペースで歩くことになるので、自ずと寡黙になります。じりじりと照りつける太陽を背に、足元に神経を集中させます。自分に耳を向ける時間でもあります。「何のためにこの輝りつける太陽の下を歩くのか?」「巡礼が私に何をもたらすのか?」果ては、「何世紀にもわたり、巡礼を続けてきた人々は、何を考えながら歩いたのか?」「この道で、どんなドラマが展開されたのか?」などなど、いろんなことが頭に浮かびます。はっきりとした答えも出ないまま、毎日が終わるのもまた事実なのですが。

絆創膏が痛々しい、O さんの親指。 痛みはこれだけではなかったことが、後に発覚することに

休憩の場所は、自ずと影のあるところ、座れるところなど、限られてきます。村と村の間の距離は大体 4~6km なので、1 時間から 1 時間半歩くと、次の村に着く、というのがほとんどですが、すべての村でコーヒータイムをしていると、いつまでたっても目的地に着かないので、手っ取り早く道の途中で休憩をとります。さて、同行の O さんですが、どうやら靴が合わないようで、休憩毎に靴を脱いでいます。親指のテーピングが痛々しいのですが、どうなっているのでしょうか?

巡礼に行くに当たり重要なのが、足回りです。履き慣れたものが好ましいのですが、巡礼中にはいろんなタイプのシューズを見かけます。

トレッキングシューズ、スポーツシューズ、登山靴、通気性の良いサンダルタイプのシューズなどなど。決まりはないのですが、やはり「履き慣れているもの」が基本です。ただ、普通は 1 日に 20km も歩かないので、「この靴で 20km 歩いたらどうなるか」というのは、やはり「神のみぞ知る」です。これが、今回 O さんに降りかかった苦痛となるのです。

この日の目標は Puente la Reina(プエンテ・ラ・レイナ)という、綺麗な橋のかかる町でしたが、あと 4km というところで歩けなくなった私たち。Obanos(オバノス)という村で宿を取ることにしました。照りつける太陽の炎天下を歩いてきたので、体力はすっかり消耗しています。我慢強い O さんですが、彼の足もそろそろ限界にきていたようです。熱風や直射日光が入らないように、窓のシェードを閉めておく習慣があるスペインですが、この Obanos 村の宿舎もその一つ。薄暗い大きな部屋に、二段ベッドが程よい間隔で設置され、バス・トイレも清潔です。大体の人が巡礼の拠点 Puente la Reina に行くのですが、それでもそこにたどり着かなかった人々が Obanos の宿舎に到着してきます。その薄暗い部屋で出会ったのが、それからしばらく行程を共にすることになるブラジル人の M.J. さん。ロボットのように歩く M.J. さんにすれ違いざまに「¡Hola! ¿Estás bien?(オラ! エスタスビエン? こんにちは!大丈夫?)」と話しかけたのが始まりです。ブラジルはポルトガル語なのですが、スペイン語とは類似点があります。それよりさらに似ているのが、スペインのカタルーニャ地方で話されるカタラン語です。その後 M.J. さんと、親友 P さんとは、ブラジル語とカタラン語で普通に会話が成り立っていました。その後話を聞くと、M.J. さんは同郷の巡礼者と一緒に歩くことになり、「あと少し、あと少し」と「騙されて」歩かされ、気づくと 40km 以上も歩いていたと、ほとんど涙目で語ったのですが、その翌日からは、ここで知り合った合計 7 人ほどの巡礼者と 1 日 20km 以内の道を歩くことになったのです。やはり、40km は辛いようです。

今日も 17.7km を歩きました。次回は、この Obanos の宿舎で起こった、傷んだ足の「メンテナンス」の模様をお伝えしたいと思います。様々なアイディア、民間治療法があるのです。では、来月もまたお付き合いいただければ、と思います。

 

¡Buen camino! (ブエン・カミーノ、「良い巡礼の旅を!」の意)