スペイン語通訳・翻訳 / スペイン語講師

杉田 美保子

スペイン・バルセロナ滞在 27 年を経て、2015 年に帰国...もっと見る スペイン・バルセロナ滞在 27 年を経て、2015 年に帰国。
金沢市の北國外国語カレッジを中心に、スペインの生活とスペイン語の楽しさを細々と伝授中。「故郷」バルセロナとはリモートでつながりながら、日本の生活も楽しんでいる。
京都のバルセロナ文化センターのスタッフとして、ますます活動の幅を広げていくべく、挑戦中。

スペインの教育文化スポーツ省認定のスペイン語能力試験 DELE の C1(上級)所持。

あれから10年と1ヶ月が経ちました。そう、東日本大震災からです。本当なら、3月11日に合わせれば良さそうなものですが、まだ春になっていない、寒い日に、あの日のことを書くのは、なんだか心まで痛くて冷たくなるので、今月号になりました。今日は、バルセロナの人々が、どのように私たちに反応してくれたか、ちょっとご紹介です。義援金をお願いするにあたり、どうすれば自然か、また現地の人々はどう対応したか、あまり表現のうまくない筆者ですが、今日は、当時の人々の反応をご紹介しますね。

団結、絆、スペインから

このマガジンで折り紙、切り紙のお話をしたのが、なんともう5年も前のこと( スペインの知られざる文化 No.2 )で、その時には素敵な自転車の持ち主のペーパーアーティストの話をしました。そこでチラリと話したのが、2011年の震災の後から始まった、折り鶴、折り紙ブームです。

左が日本の鶴で、右がスペインのパハリート(pajarito=小鳥)。パハリートは、偶然とは思うが、日本のだまし船の折り方から派生しているようだ

日本とは8時間の時差のあるバルセロナで、あの映像をテレビで見たのは、日本時間ではもう夜になってからでした。急いでインターネット記事を探し、呆然としたのを覚えています。「遠くから、何かできるだろうか?」と悶々と1日を過ごし、頭に浮かんだのが募金活動でした。階下に住んでいる友達家族や、昔の同僚、仕事先などなどからじゃんじゃんメッセージが入り、その都度私の知りうる限りの情報を流したものでした。みんな、1日に何度も流れるテレビニュースの映像に、胸を痛めていて、居ても立っても居られない気持ち、というのは、日本の方々と同じだったのです。ただ、当時は、去年私たちが日本で体験した、新コロナウィルスに感染した乗客を乗せたクルーズ船、ダイアモンドプリンセス号をテレビで見るが如く、対岸の火事に近いもののような感じでした。

どの国にも、日本人留学生、日本人居住者がいるわけですが、その外国にいる日本人の気持ちが、奇しくも大震災をきっかけに、こんなに繋がるとは、思いもよりませんでした。12日から、友達との連絡、友達の友達との交流、友達の友達の家族の声かけで、募金活動が実現したのです。ただ、通りで募金を呼びかけるには、許可申請や、諸々、手続きが必要だと思い、ツテを頼りに集会の場所、日時が次々と決まって行ったのです。

東日本大震災から1週間ほどで、陶器作家の友達、千里さんの知り合いのギャラリーが、場所を貸してくれることとなり、ワークショップを開くことができたのです。千里さんが書道、筆者が折り紙を担当することとなり、「日本の文化を通じて、被災者への応援をしていただけませんか」というものでした。

ギャラリーは入り口が噴水になった二階建て。スペースが足りなく、立って折り紙する人も

さて、問題は、それを市民の方々にどのように周知するか、ということ。

地元にある大手新聞社、La Vanguardia(ラ・ヴァングアルディア)誌のデジタル版に毎週掲載されるブログに、「バルセロナ・無料」というコーナーがあり、ここで様々な、無料で参加できるワークショップが紹介されていたのを思い出し、そこにメールで情報を送ってみたのです。すると、その週末のワークショップを紹介してくれたのです。( 2011年3月17日発行のブログ )

折り紙の数が足りなかったので、幼稚園の教諭をしている友人に頼んで、色紙を分けてもらったり、自宅にストックしてあった色付きのコピー用紙などを正方形に切り、準備しました。千里さんも自分で持っていたり、友達たちに声をかけて、筆を集め、半紙を集め、すべてあり合わせのものでしたが、集まってくれたたくさんの人々と楽しい時間を過ごすことができました。

バルセロナが長くなると、いろんなつてが見つかるもの。町の各地域にある文化センターも、無償で教室を貸してくれた。リチャードも友達を誘ってくれて、毎回盛況なワークショップ

そして、今はもう亡き友人のリチャードが、フェイスブックに「Solidaridad: Operación Tsunami(団結:ツナミ作戦)」と題したグループを作ってくれ、そこに次々と参加者が増え、271人の人々がメンバーとなってくれたのです。そこにも、大震災以外にも、さまざまな「絆イベント」を共有し、拡散、集会や寄付への参加などを呼びかけてみました。

サンジョルディにも、地域の文化センターがスペースを割いてくれ、机、ポスターを用意してくれ、義援金の箱の設置も許可してもらった

前述の「aDa Gallery(アダ・ギャラリー)」では、私たちのイベント以外にもアーティストを誘ってくれ、募金のためのワークショップを開いたりもしてくれました。( その時のブログ )

また、バルセロナから北に50キロほどにあるSant Celoniという町では、さまざまなNPO団体が参加した団結イベントを行われ、そのメインワークショップとして折り鶴が採用され、市民が楽しそうに、貧困や病気で戦う国々を支援していました。( 写真はこちら )

ちょうどあの年は、5月11日にスペイン南部のLorca(ロルカ)地方でも地震が起き、もともと地震を考えた建築がなされていないために、教会などが大崩壊してしまったりもし、スペイン中が「明日はどこに何が起きてもおかしくない」「助け合いが大切だ」と考えるようにもなったのです。

大きな特設テントの下に、広いテーブルを借りて、広々と折り紙。文房具を駆使して、日本の国旗のシールを作りデコレーション。ついでにカタカナも覚えてもらった
笹は、切ってしまうと葉っぱがくるくると丸まってしまうので、郊外のガーデンセンターで鉢植えを買ってもらい、さて、装飾開始。仙台の七夕には負けるが、気持ちは同じ

ゲームクリエーターのオリオル・コマス氏と知り合ったのは、ガウディのボードゲームの日本語翻訳を依頼された時でした。その後、彼の主催する「遊ぶだけ遊ぶ(意訳)Jugar x jugar」のイベントに誘われたのです。ボードケームを楽しむ会のテントの中に、三つもの長テーブルを用意してくれ、時節柄、東日本、ロルカ、ジョプリンで地震があったため、その被災地へのオマージュというイベントを行いました。仙台の七夕祭りの事務局にも連絡し、ポスターもいただきました。その時のイベントは義援金協力をお願いするものではなかったのですが、「団結」「愛」「平和」をテーマとしたワークショップで、七夕飾りを作る、折り紙で遊ぶ、そして海を越えても、みんながポジティブエネルギーを送っているんですよ、という発信をしました。

たくさんの折り鶴が手元に残りました。さて、それをどうするか? 当時一緒に仕事をして友達になったマリアの提案が、最も良いように思われ、実行に移すことになるのですが、それが、カタルーニャの聖山、モンセラット(Montserrat)にある、サンタ・コヴァ(Santa Cova=聖なる洞窟)へ奉納する、というものでした。

モンセラット山の礼拝堂、サンタ・コヴァへ奉納。
フニクラの駅から礼拝堂までの道には、点々と奉納の塔や彫刻作品などが続き、長い道も苦にならない。

集まった折り鶴を糸に通し、たくさんの束を用意しました。糸と糸が絡まないように、大きな紙にくるみ、それを手に、フニクラに乗り、頂上に到着。そこからサンタ・コヴァまでの道を歩き、まるで遠足のようなものでした。有志が集まり、6月の夏の始まりの時期を楽しませてもらいました。

そうこうしていると、なんと、地元テレビにまで取り上げられることになり、千里さんとのコラボのイベントは、友人の家族の経営していたAureasという多目的スペースをお借りして行う運びとなりました。( 当時の放送内容はこちら ) 今では新型コロナウィルス感染の問題でこんなにたくさんの人が集まることはできないので、とても懐かしい思い出になります。やはり習字と折り紙でのワークショップは、友達が友達を呼んでくれ、そのまた兄弟たち、子供達が集合しました。つくづく、人と人との絆、温かい気持ちというのは万国共通なんだな、と感じた時間でした。

テレビ局のカメラが入り、緊張かと思いきや、みんな集中して楽しんでいる
私立大学や市内の文化センターが大々的に宣伝をしてくれた。集まった義援金は、その都度バルセロナの日本総領事館を通して赤十字社に寄付として納めた

以上が、バルセロナで起こった2011年の様子です。世界でたくさん行われた絆イベントのほんの一つです。この後数年にわたって、イベントはもっともっと大きくなっていったのですが、それはいつか機会があったらご紹介しますね。

¡Ya estamos en primavera! (ヤ・エスタモス・エン・プリマベラ! =もう春ですね! の意味)