スペイン語通訳・翻訳 / スペイン語講師

杉田 美保子

スペイン・バルセロナ滞在27年を経て、2015年に帰国。...もっと見る スペイン・バルセロナ滞在27年を経て、2015年に帰国。
石川県金沢市でスペインの生活や、スペイン語の楽しさを細々と伝授中。「故郷」バルセロナとはリモートでの繋がりが中心となっている中、余暇に畑を耕したりしながら、日本の生活も楽しんでいる。
京都のバルセロナ文化センターのスタッフとしても、どのようにしてスペイン語の面白さをみなさんに伝えられるか、日々模索中。

スペインの教育文化スポーツ省認定のスペイン語能力試験 DELE の C1(上級)所持。

新型コロナウィルス問題もとうとう丸一年続き、なかなか先の見えてこないのは日本だけではないようです。ロックダウンが厳しいヨーロッパの国々。スペインも例外ではなく、ステイホームも日常になっているようです。そんな中、徐々に規制が解かれていき少しずつ家族と会うことが可能になって来ているのも事実。厳しいロックダウン中は、同じカタルーニャ州の中の県境だけではなく、町の境界も超えられずたかだか20キロ離れた町に住む親御さんにも会いに行けなかった、とも聞いています。

その点、日本には罰則がないのでかなり自由に旅行できる感じですが、それでも街中の人混みには行きたくない、っていうのが心情でしょうか? オートキャンプも流行し屋外でのアクティビティーに出たくなるのは当然です。でも、東京五輪を前にもう少し自粛しなければ、とも言われています。そんな中、次回スペイン旅行ができるとしたら、街中ではなくちょっと郊外に出てみませんか、というお誘いです。

モンセラット、カタルーニャ地方の聖なる山 その1

近くで見ると圧倒されるモンセラットの山並みと、その下の建物

モンセラット(またはモンセラート、モンセラ)はMontserratと書きますが、カタルーニャ語でmontは山、serratはノコギリの意味があり、直訳すると「ノコギリ山」となります。バルセロナからほぼ60キロを内陸に向かって行くと、途中からギザギザの山並みがはっきりと見えて来ます。標高1,236メートルの山の720メートル地点に位置する修道院(Monasterio de Montserrat)へは車で行くのがいちばん楽なのですが、電車とアプト式鉄道クレマジェラを乗り継ぐ、鉄道の駅からケーブルカーに乗る、そしてもちろん最寄駅から「徒歩」でも行くことができます。ただ、この場合の「徒歩」は「登山」並みなので、それなりの準備は必要ですね。

高速道路からもよく見える。あのギザギザはなんだろう、という山肌

さて、「モンセラットに行く」と一口に言っても単なる景勝地ではないのです。屋内、屋外の美術館あり、修道院あり、フニクラあり、一日滞在しても飽きのこない、美術、文化、自然、スピリチュアルな空間を楽しめる場所なのです。

近くで見ると、ギザギザより、ニョキニョキの方があっている感じ。空想を駆り立てるフォルムにはびっくり

モンセラット山に着くとまず圧倒されるのが、その修道院を囲むかのように(山々に隠れるように修道院が作られたのかもしれませんね)ギザギザにそびえ立つ山肌です。遠くから見るとギザギザに見えるものの、近くから見ると意外に山はだはゆるやかにカーブを描き、一つ一つの山がニョキニョキとしていて、「あ、象の鼻みたい」とか「あ、お腹のぽちょっとした人に見える!」などなど、想像力を駆り立てます。標高700メートルあたりから下を見ると、天気が良い日は遠くに町が見え、吹き寄せる風が心地よく、悪天の日は谷が霧でかすんだりして、それはそれなりに神秘的な風景となります。

車で到着した後は、それぞれ山の上と下に向かってフニクラがあるので、登山準備がなくても、自然を楽しめる

駐車場から歩くこと約5分で、お土産物を売るショップやレストランがありますが、ここは修道院からの帰りに寄ることにします。1565年に作られた、モンセラットの紋章のついた古い城壁の門を上がって行くと、修道院の広場に着きます。この広場は、1929年にアントニ・ガウディと同時代に活躍した建築家、ジュゼップ・プッチ・イ・カダファルクにより計画されたもので、広場に沿ってモンセラット美術館や1563年に巡礼者のために作られたホテル・アバット・シスネロスの建物などがあります。またここからの展望も素晴らしく、人気の写真スポットです。

修道院構内の広場だというのに車両が入っているのは特別な行事があったためか、昔はのどかだったのか。車の止まっている場所まで進むと、朝日がきれいに昇ってきた。絶景
聖堂のファサード。ステンドグラスも素晴らしい
室内は暗いため、うまく写真が撮れない。黒いマリア様とキリストの坐像。

奥へ進むと聖堂があるのですが、右側の廊下には人が列を作っています。ここが「モンセラットの黒いマリア様」に会いに行くための通路の入り口で、年中いつ行っても人が並んでいない日は皆無なのです。この列に着くと、時間差で少しづつ人が動き出し、聖堂の側面部分を通り、教会内部へと進みます。途中、いろいろな装飾、絵画、彫刻などを見ながら階段を上がって行くと、急に行列の進みが遅くなります。そうです、教会中央祭壇の上部にいる黒いマリア様の正面に立ち、祈りを捧げるのがこの行列についている人々なのです。

マリア坐像の右手は宇宙を象徴する球体を持ち、その膝には子供のキリストを抱いています。キリストの右手は祝福のポーズをとり、左手にはパイナップルを持っています。この約95センチのマリア像の前に立ち、その右手の球体にキスして人々は満足し登ってきた階段の反対を降りて行くので、どうしても渋滞は免れません。様々な苦悩や悲しみを持つ人々が、このマリア像の前で祈りを捧げる様子は日本をはじめ、アジア諸国にある神社仏閣で人々が祈る姿とはちょっと違うけれど、その根底の気持ちはおんなじなのだと気付かされます。

そんな黒いマリア様詣での後、聖堂をぐるっと一周する形で、入り口とは反対側の出口から出ます。そこにはキャンドルを捧げるスペースがあるのですが、大小の色とりどりのケースのついたキャンドルは、売店ではなく自己申告制で払うシステムになっていて、この辺りも参拝に来た、という気持ちになります。

一本だとさみしい感じのキャンドルも、こんなにたくさんの人々の気持ちが集まるっているのを見ると、心も安らかになるというもの

参拝を終えると再び広場に戻るのですが、床の大理石、壁の彫刻などに見とれてしまいなかなか先に進みません。この後のモンセラット山の素晴らしさは、来月にまたじっくりとご紹介しようと思います。

¡Ya os contaré más cosas! (ヤ・オス・コンタレ・マス・コサス! =そのうちまた、いろいろなことをお話ししますよ! の意味)